師匠に違和感を感じた、あの一言。
(この記事は、2021年11月9日にブログ掲載したものをnoteに転載します。一部内容を変更してお届けします)
こんにちは。
前回、師匠から10時間強連続してディスられた、という話をしましたが、あれから約1カ月経ち少しは冷静に考えられるようになってきました。
自分のためにわざわざ時間を費やして色々とアドバイス下さったので、改善するべき点は直していきます。
しかし、やはりどう考えても違和感が残ったあの一言については特段問題ないと思いますのでnoteで公開したいと思います。
以前も書いたんですが、高級レストランでおごって頂いたんですね。その際に、「こういう所はよく来るの?」と聞かれましたので、「あまり来ないですね。」と答えました。
そうしましたら、師はご家族連れでたまにいらっしゃるとのこと。まあ、それはいいんですが、一言こう仰ったんですよね。
「何も違いが分からない人が、旅行であそこ行ったここ行ったって騒いでるけど、小さな違いも分からない奴に、旅先での違いなんか分かる訳ないだろ」って。
これは、実の所、師匠のおっしゃる通りだと私も思うんです。
師匠は古い家柄のお方であり、かつ室町時代から?は支配階級に属しておられた、れっきとしたお家柄。
現代社会で例えるならば、伝統と格式ある五摂家に生まれ、素晴らしい調度品に囲まれた暮らしを幼少期からされてきた人は、当然ホンモノの良さの分かる人物に成長するでしょう。
かたや(と言っては失礼ですが)、ニトリとIKEAの家具に囲まれて育った人に、違いが分かるかと聞いても難しい側面は確かにあるでしょう。
あと、明治以降の成金組や現代の官僚なんかも、ひょいっとにわか成金になった程度、師はこういう人達は認めないですね。金だけ持った連中が何も分からずブランド品漁って、と捉える。
差別思想と捉える人も多いと思いますが、でも実際の日本社会の平等社会というのはタテマエであって、この世の実態は全く違うよ、ということなんでしょうね。旧家って知らないだけで、実際は今も多く存在していますから。
しかし、ですよ。
隣で聞いていて、強烈な違和感を感じたんです。
ホンモノが知りたくて旧家に習いに行く(習う場は一般に広く公開されていないかもしれないが)人がいればそれも良し、あるいはホンモノなんか興味なくても、IKEAの家具を工夫してアンティーク調に塗り替えるのが上手であれば、それは大変素晴らしい、その方独自の才能だと、私は思うのです。
ホンモノの違いが分からない奴が旅行で何見ても楽しめない、というのは確かにそういう側面もあるのかもしれないけれど、でも仲間と旅先で酒でも飲んでワーワーやっているのが楽しいならば、それはそれでいいじゃないですか。誰にも迷惑かけるわけでもないし。
ん?何でそんな自分(達)は特別だ、みたいな思想に陥るの?
と思ったのですが、何せ研究者でいらっしゃいますからね、反対意見なんか述べたら100倍位になって返ってきそうですし面倒なので頷いていました。
それで、さっき約1カ月ぶりに師匠のホームページを覗いたら、やっぱり書いてあった。とにかく俺は色々な場所に行っても違いの分かる人物ということのようです(爆)
やはりグレコンの影響は凄まじいですね。
IQが高い人がより素晴らしい、とか、伝統と格式ある家柄に育った人はさすが、という価値観は、やはり限界があり何かが違うと思います。何故なら、一方的な価値観の押しつけになりがちで、色んな考えも所詮下々庶民の思考回路、大したことない、という封鎖する方向に行きがちだからです。
もちろん、そういった方々のご活躍を今後も願いますし、日本文化の伝統を守っていかれる命運をお持ちの方々でもあるので変わらず支援していきたいですが、でも変に持ち上げすぎるのもどうかと思います。
世の中は色んな人がいて成り立っているのだし、それはおひとりおひとりのホロスコープチャートに出ていますよね。
風の時代は「己」をより開花させていく時代だ、と強く思います。
そういった面も含めて色々と示唆して下さった師匠には、心から感謝したいと思います。