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映画『さよなら、退屈なレオニー』

2018年/製作国:カナダ/上映時間:96分
原題 La Disparition des Lucioles/The Fireflies Are Gone
監督 セバスチャン・ピロット



予告編(日本版)


予告編(海外版)


STORY

 カナダ。ケベックの海辺の街で暮らす17歳の少女レオニー。
 高校卒業を1ヶ月後に控えながら、どこかイライラした毎日を送っていた。退屈な街を飛び出したくてしかたないけれど、自分が何をしたいかわからない。口うるさい母親も気に入らないが、それ以上に母親の再婚相手のことが大嫌い。レオニーが唯一、頼りにしているのは離れて暮らす実の父親だけだった。
 そんなある日、レオニーは街のダイナーで年上のミュージシャン、スティーヴと出会う。どこか街になじまない雰囲気を纏うスティーヴに興味を持ったレオニーは、なんとなく彼にギターを習うことに……。
 夏が過ぎていくなか、あいかわらず、口論が絶えない家庭、どこか浮いている学校生活、黙々とこなす野球場のアルバイト、それから、暇つぶしで始めたギター…… 毎日はつまらないことだらけだが、レオニーのなかで少しずつ何かが変わり始めていた。

DVDのパッケージより


レビュー

 高校卒業を目前に控えた主人公レオニー(カレル・トレンブレイ)が、その時期特有の不安やもどかしさ、周囲への違和感、家庭の問題等に苦しみ彷徨いながらも、恋を経験しつつ前へと進んでゆく日々を描いた物語。
 と記すと、「あぁ、よくあるタイプの~」って思ってしまうかもですけれども、そんなことは全然なくて、秀逸で、この上なく個性的な作品です。

  ソファーに身を横たえて鑑賞し始めたのですが、ファーストシーンにて反射的に手足をバタつかせて座り直すこととなり、そのまま最後まで食い入るように鑑賞しました。

 結論を先に記してしまうと、高校生活やその卒業前後の時期を描いた映画の中で個人的にダントツに好きな作品。
 要は自分が同じころに経験した感覚と酷似していて、共感したということなのかもしれません。
 ※主に「怒り」「焦燥感」「(独り立ちすることへの)恐怖」「孤独感」「寂しさ」「プライド」等に関して

 レオニーは安易にわかったことにしない性格のため生き難い人生を強いられていますが、何事もきちんと考え、そして観察する性分ゆえ、時間はかかるものの少しずつ確実に成長してゆく信用と好感の持てる人物として描かれております。
 また自分の感覚をとても大切にしており、雰囲気や同調圧力から自らを守ることの出来る「長いものには巻かれないタイプ」の、ディフェンス能力に秀でた子でもあります(なのですけれども、それらも生き難さに繋がってしまっております)。

 そして一見「超攻撃的」に見えるレオニーの物言いや行動はしかし、その殆どが周囲の大人達の「無理解」や「デリカシーの無い侵略」に端を発しており、それに対しレオニーが懸命に自己防衛ラインを築き、自身の感性を死守しようとしているということが見ていてわかるため、マイナスポイントとはならず、逆に心から応援したくなってしまいます。
 ※「あなたはきっと優しい言葉で伝えられる大人になる! 応援してるよ!」と伝えたくなる

  自立は、親という自分を守ってくれていた卵の殻(親からの経済的、精神的な保護や、それまでの比較的狭い範囲の中での安定した生活)を、内側から自力で破り出ることにより、外の世界へ(まだ確立されていない状態にある)一個人として飛び込んでゆかなければならない状況となるため、必然的に破壊を伴い、今までに経験したことのない勇気も必要となります。
 それはそれまでの自分自身という存在を、ある意味根本から解体し作り直すという行為でもあり、本当の意味でそれに挑戦しようとする賢い子ほど悩むし、戸惑うし、そして苦しむ時期なのではないでしょうか。
 ただ、その苦しみが深ければ深いほどに、それを突破した時のカタルシスもまた、大きくて……
 
 というそういったあたりが、とても×2繊細な描写で描かれていることが、本作の見所のひとつです。

 それからレオニーを演じたカレル・トレンブレイの言葉を引用して解説するなら

 田舎で自分を見失っているティーンの女の子が成長していく青春映画ではあるけれど、それと同時に、原題の『蛍はいなくなった』が表すように、社会へのメタファーでもあると思うの。蛍は明るい場所では見えないし、暗くならないとそのかすかな光は見えてこない。集団の中では光度が高くないと見つけてもらえない人や、レオニーのように不器用でまだ小さな光や、ささやかな出来事は、いなくなってはじめてその光に気付いてもらえるということを言い表している。誰かの生活の脇役にスポットライトを当てるような、豊かさへのメッセージが込められているわ

Real Sound 映画部 インタビュー記事より

 ということになります。

 
 本作の色彩、音、音楽に対する感覚は研ぎ澄まされており、無駄の無いセリフや場面展開は素晴らしく(しかもセリフの無いシーンの方が遥かに語るように仕込まれており映画の力を存分に魅せてくれます)、当然のように衣装や演技も見事でしたけれども、特に圧巻だったのは、編集から紡ぎだされるリズムです。そのリズムをしっかりと駆使してレオニーの心情を精緻に織り上げてゆく過程は素晴らしく、開始わずか2分程で(音楽との兼ね合い含む)、深く魅了されました。
 端的に言うと「センスの良い映画」なわけです。

  ちなみにレオニーとスティーヴとの関係と距離感はとても面白く(というかリアルで)、そのあたりについても綴ったのですけれども……、余りにも長くなってしまったためカット。

 最後に「これだけは!」というところを記して終わります。

 ・邦題ではなく、原題の『蛍はいなくなった』が大切なキーワードとなっています(上記カレル・トレンブレイの発言通り)。
 オリジナルのジャケ写の色も要チェック。

 ・色使いではグリーンとイエローに特にご注目。メタファー全開。

 ・主人公の変化は直接的なセリフや分かり易い画では一切描かれませんけれども、とってもオシャレに趣向を凝らし、「視覚的」に描かれますゆえ、細かい仕掛けをお見逃しなく!。
 ※ 監督の鑑賞者への信頼を感じます

 ・Arcade Fireの『Sprawl II』の使いどころにキュン死💕

  ・政治に関するメッセージがそれとなく、しかし多岐にわたり隠されている作品です。
 ※例えば父親×2とスティーブは、たぶんメタファー。レオニーが誰に、そしてどのように癒されたかも、重要です

 
 大人になるって、自分の信念を曲げることにより周囲に合わせて行動出来るようになるということではなくて、自分の信念をしっかり保ちつつも周囲と上手に折り合いをつけてゆくことだったり、自分と他人の違いを受け入れつつお互いにより豊かになるような変化をもたらしてゆくことだったりするのではないかなぁと思うのですけれども……
 
 言うは易し、行うは難し、ですよね。




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