映画『レ・ミゼラブル』
2019年/製作国:フランス/上映時間:104分
原題 Les miserables
監督 ラジ・リ
予告編(日本版)
予告編(海外版)
STORY
レビュー
ここ10年程の間に、映画界に新しい波が生まれつつある気がします。本作監督のラジ・リや、イタリアのガブリエーレ・マイネッティ監督等、作品のリアリティや芸術性をある部分で犠牲とする代わりに、エンターテイメント性と政治性を盛り込み、より多くの人々へとメッセージを届けようとする動きです。
私は個人的にそのような作品達や流れを重要視しており、それらの監督たちにとても注目しております。
さて本作ですけれども、導入部から見事です。
まずドキュメンタリーの手法も取り入れながら、2018年、フランスはパリの、一時的に平和な時間(フランスがワールドカップにて20年振りに優勝し国内が祝祭ムードとなった時間)と、ある意味理想でもある人々の笑顔や団結、そして晴天に翻るフランス国旗を多数、意図的にカメラに収めてゆきます。
しかしその時点から、緊張感が張り詰めます。何故ならBGMは祝祭ムードとは正反対のものであり、提示されるタイトルは『悲惨な人々(Les miserables)』、そしてそれ故に、人々の姿が一瞬「デモ」や「暴動」を起こしているように見える瞬間があるからです。
その後一人の男性が映され、日常(現実)の時間へと移行します。その男性は本作の主要な登場人物の一人であるステファンという名の警官であり、(その時点では)私たち観客でもあります。というのもステファンは、北フランスの地方都市からとある事情があり特に望んだわけではなく赴任してきた、まだ状況を何も知らない良識のある人物であるからです。
ですから観客はしばらくの間、ステファンと一緒に犯罪対策班(BAC)となり本作の舞台を巡り、その世界を知ると共に、なんとなく雰囲気を感じとってゆくこととなります。
舞台となる地域は、パリ郊外モンフェルメイユのレ・ボスケ団地ですけれども、この団地は1960年代に中流層向け分譲集合住宅として建設されたものの、パリとを結ぶ高速道路の建設が頓挫したことによりベッドタウン化に失敗し(徒歩→バス→電車を使用してパリへと向かうと1時間半の道のりとなる)、中流層を呼び込めず、低所得層に転売されてゆく過程にて治安がどんどん低下し、1990年代以降は警察と住民の衝突が相次ぐようになり、2005年には警察に追われた移民家庭の2人(17歳と15歳)の少年が変電施設に逃げ込み感電死したことをきっかけに、フランス全土に3週間にわたって拡大した暴動も、この団地付近にて最初に発生したという過去を持ちます。
ステファンと観客がある程度団地の状況を把握するようになると、カメラの視点はステファンから少し離れ、第三者視点が中心となります。というのもそうしなければ、さして広くはない団地における複雑な状況を描くことが出来ないからです。
その複雑な状況(「悲劇」)は主に、
①警察。犯罪対策班(BAC)。本作では新人ステファン(中東系)、班長のクリス(白人)、グワダ(黒人)
②自称「市長」とその配下たち
③サラー(ムスリムの人々に信頼されているリーダー的な存在。レストラン店主)と、ムスリム同胞団(団地では「反コカイン団」と呼ばれている)
④ロマのサーカス団
⑤少年、少女たち
を中心に描かれます。
そしてそこから本作と観客の視野は、大きく、そして深く広がってゆくわけです。
本作の描写は余りにもリアリティーに溢れており圧倒されますけれども、それは監督のラジ・リがモンフェルメイユ出身者であり、現在もずっと、そこに住み続けていることにより描ける「本物の経験とリアル」があるからで、さらにはリアルで面白いだけでなく、強い気持ちの籠った政治的メッセージを、芸術性が犠牲となるのを承知で盛り込んでいることにも大きな特徴と価値があり、観ていて胸が熱くなります。
この悲惨な状況(事態)を齎しているのは一体誰なのか、『悲惨な人々(Les miserables)』を生み出し続けている原因は一体どこにあるのか。
本作を鑑賞したならば、明確に理解することが出来るはずです。
そしてその原因が、世界中で同じ事態を発生させているということも。
21世紀の『レ・ミゼラブル(Les miserables)』。
大傑作です。
補足情報
・レ・ボスケ地区
モンフェルメイユの主要な地区。
巨大団地があり、近隣にはボンディの森やクリシー・ス・ボアがあります。
・ムスリム同胞団
穏健派の「イスラム原理主義組織」。
・犯罪対策班
治安の悪い地区を中心に活動する、非行や軽犯罪の取り締まりを専門とする部署。
・人種差別
主に白人による人種差別が、未だにフランス社会を蝕んでおり、本作でもその一端を知ることが出来ます。
また「フランス 人種差別」等にて検索すると、色々知ることも可能。