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スピリチュアルは宗教じゃない? ―本質を知れば見えてくる意外な真実

よく、スピリチュアルって宗教じゃないの、 と
批判されることがあります。
(私も当初夫に言われてました笑)

いや違うよ!宗教じゃない! って
最初は反論してましたが、
今となっては、スピリチュアルも宗教も
同じだと考えてます。

理由もはっきりしています。

宗教だ、というのをなぜ批判として使うのかも解明できました。

スピリチュアルは宗教だ!
と批判されてどう返したらいいか分からなかった
という方は読んでみてくださいね。

以下で説明していきますね。


スピリチュアルと宗教の共通点

スピリチュアルと宗教の共通点、
インテグラル理論から学んだことをお話ししたいと思います。

まず、世界的に多くの人が信仰している
宗教について考えてみましょう。
仏教、キリスト教、イスラム教など。

宗教によって神様も違うし、理論も違うし、
規則も違うし、祈り方も違うし、組織も違うし、
様々な違いがあるように見えますが、
実は本質的には共通点が存在します。

以下のポイントが「宗教」に共通する本質です。

1. スピリットは存在する
スピリット(神、仏、アラーなど)は存在し、
それは善、美、真実、愛であると理解されます。
これが宗教の核心です。

2. 外側と内側に存在するスピリット
スピリットは、我々の外側にも
内側にも存在するとされます。
この内なるスピリットを感じるには、
開かれたハートとマインドを持つことが必要、とされます。

3. 多くの人々は内なるスピリットに気づかない
ほとんどの人は内なるスピリットに気付いていないとされ、
理由は分離、罪、二元性の世界に生きているから、と語られます。

4. 解放への道がある
こうした分離状態から脱出する方法、
解放に至る道が存在するとされ、
その方法をとると、
覚醒、再生、救済、悟りに
至ることができると説かれます。
(信じるものは救われる、の世界ですね。)

各宗教で方法は違いますが、
共通するのは
内や外にある(そして内でも外でもない)
スピリットとの融合ということです。

5. 覚醒は苦悩を超越する
この覚醒や解放は、苦悩を超越し、
宇宙のあらゆる命に対する
慈愛、勇気、共感、奉仕として表現されます。

この5つのポイントが
いろいろな宗教に共通する本質です。
いかがでしたか?

実際、このような考えは、
現代日本のスピリチュアル業界で
多く語られていることとほぼ同じ
です。

だから、宗教とスピリチュアルは
本質的には同じ
であると私は思います。

各宗教から入るのか、スピリチュアルな実践から入るのか、
スピリットというものを感じるのに、方法が違うだけ。

例えるなら、富士山に登るのに、登る道が違うだけ、
というイメージを持っています。

大事なのは以下の点です。

各宗教は何千年という時間をかけて、
人間の心や意識を探究してきました。

ここでの人類の結論は、
「スピリットは存在する」ということです。

場所も文化も時代もバラバラなところで、
何千年という時間をかけて、たくさんの人々が
いろんな方法で探究した結果が
「スピリットは存在する」

この結論は、現代社会で
もっと重く受け止められてもいいと思ってます。

私たちは皆、このスピリットを感じる能力を持っているのです。


宗教に対する批判の背景

ではなぜ、「宗教みたい」という言葉が
批判的に使われるのでしょうか。

実は、これは意識の発達段階と関係があります。
以下の記事を参照していただけるとより理解しやすいです。


多くの宗教には、表面的に目立つ部分があります。
それは例えば、神話や儀式といった要素や、
組織や戒律のような集団的な仕組み
です。

そのため、宗教の「核」と呼べる
スピリットに関する本質的な部分は、
実際に深く関わってみないと分かりにくいものになっています。

結果として、宗教は「非科学的で怪しいもの」として
捉えられがちなのです。

科学的で合理的な現代の視点から見ると、
多くの宗教に見られる次の2つの特徴が、
特に「宗教は怪しい」「非科学的」と
感じられる原因になっているようです。

1. 呪術的・神話的な考え方
宗教には、神話や伝説、おまじないやお守り、お祓いなど、
神秘的で呪術的な考え方が含まれています。

実際に、お守りを持っていたり、
お祓いを受けたことがある方も多いでしょう。
私たちは誰しも、こういった呪術的な感覚を、
少なからず心の中に持っています。

ただ問題は、この呪術的な要素が行き過ぎたり、
過度に依存してしまうこと
です。
例えば、
「この神社で祈れば宝くじが当たる」
といった自己中心的で都合の良い解釈になったり、

「お祓いだけ受ければ、
何の努力をしなくても運が開ける」
といった依存的な考え方に囚われると、
心の柔軟性が失われて
意識が呪術的な要素に凝り固まってしまいます。

こういった呪術的な考え方に囚われた状態を、
外側から見た人たちは
「宗教みたいで怪しい」と
批判しているのではないでしょうか。

2. 集団主義と規則
宗教にはまた、儀式や規則、そして組織化された
団体がしばしば存在します。
多くの宗教では、トップダウンの意思決定や、
「真実は一つ」「これだけが正しい」といった
絶対的な価値観が重要視されます。

そのため、教義やルールに基づいて
「何が正しいか」「何が間違っているか」を
厳しく判断する風潮が生まれます。

このような集団主義的な構造や、
一つの見方に従うことを強いる仕組み
は、
自由で主体的な意思決定を重んじる
合理的な意識の視点から見ると、
抵抗感を覚えるものです。

実は集団主義的構造は
日本の学校文化や企業文化にもみられるものですが、
宗教ではより強固ですよね。

「洗脳されるのではないか」といった
不安を抱く原因にもなり得ます。

つまり、宗教に反対的な人たちは、
個人の自由が失われ、
一つの考え方に閉じ込められてしまうことを恐れ

この点を「宗教的で危険だ」と
批判しているのではないでしょうか。

スピリチュアル好きな人も同じ落とし穴に?

ここで思い出してほしいのは、
これら2つの特徴(呪術的な考え方と集団主義)は、
宗教だけでなく、スピリチュアルを好む人々にも
見られる傾向だということです。

実際、先ほどのように呪術的な考え方に囚われたり、
「これが絶対に正しい」といった狭い価値観に
固執してしまうことが、
スピリチュアルの世界でも起こります。

スピリチュアルは本来もっと自由で柔軟なものですが、
そこに依存性排他性が入り込むことで、
似たような状態になってしまうのです。
ここに意識的に注意を払うことが大切です。


スピリチュアルと宗教の本質を理解する

宗教の神話や儀式といった要素や、集団的な仕組み、
つまり「見た目の部分」は、
宗教の「本当の中身」(スピリットへの理解)を
包んでいる外側の層のようなものです。
お菓子の箱や包装紙のようなものですね。

いわゆる”スピリチュアル”でも、
願いが叶うといったような呪術的要素や、
唯一の真実を謳う集団主義的なものは
「包装紙」です。

宗教やスピリチュアルの核心部分(本当の中身)は、
もっと深いところにあります。

それは「人生の意味」や
「存在の本質」についての深い智慧なのですが、
残念ながら、外側から見ただけではなかなか分かりません。

だから多くの人は、
外側の「不思議な力」や「集団のルール」の部分だけを見て、
「宗教は非科学的で怪しい」という印象を持ってしまうのです。

これは、お菓子の中身を見ずに、
箱だけを見て判断するようなものかもしれません。

スピリチュアルと宗教、本質的にはどちらも、
もっと包括的で統合的な段階を
目指しているはずです。

つまり、統合的な視点を持てて、
個人と全体のバランスが取れ、
柔軟で動的な解決策を見出すことができる段階。

さらには
個人の枠を超えて、
宇宙的な視点や全体的なつながりを重視する意識。
非二元性やワンネス(すべてが一つであるという感覚)が
自然なものとして現れる段階。

このような状態は、
人々がみんな本質的には欲している意識段階であり、
魂が目指そうとしている段階だと
私は感じています。


本当の自己探求を豊かにするために

スピリチュアルも宗教も、多層的で深いものです。
その多層性、さまざまな意識段階があることを
理解することがとても重要です。

どこかの意識段階に囚われすぎていないか、確認し、
本質的な目的を見失わないことが、
より深い自己探求へと繋がります。

スピリチュアルや宗教の本質を理解し、
自分自身の可能性を最大限に開花させていくためには、
自分自身の心の内面と照らし合わせて、
意識の段階を理解することが重要です。

自分のこの考え方は、どの意識段階からくるものなのか?
講座ではそのようなワークも行ってもらってます。

より深い、核心部分を掴んで、
統合的な視点、ワンネスの視点を目指していきたい。
わくわくしますよね!

そんな探究をこれからも続けて、
一緒に探求する仲間を増やしていきたいです。


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