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学校や会社で誰も教えない「幸せ」とは何か?

学校ではいかに社会の戦力になるかという教えが下され、
会社ではいかに自社の戦力になるかという教えが下されます。

学校や会社では社会の戦力としての教えはなされるものの
「本当の自分の生き方」までは教えませんし
そこにいる同僚先輩後輩は誰も教えません。

学校や会社にいたときの先生や先輩は
「絶対的な」存在だったかもしれませんが
そういった人たちでも教わってなく知る由もないからです。

自分がどうやって生きてくべきかというのは
それはその人本人に委ねられるものになります。


大人になるにつれて気づいたこと


私は社会人になって様々な人を見てきました。

自分が望んでこの業界に来た、
そしてこの会社に入った、

人によっては、小学校の頃からの
「将来のなりたい自分」として
描いた姿を実現したのかもわかりません。

平日人がごった返す首都圏を覗けば
笑顔がない人が実にたくさんいる。

望んで着任したものであれば希望で満ち溢れるものであろう、
のに平日の満員電車に漂う
この「我慢」「忍耐」の文字の空気感はなんだ??

会社でもすれ違う人のその表情はどこか暗くうつむいたまま。

私は日々の繰り返しで薄々気づいてしまいました。
「笑顔なき道にシャンバラ(理想郷)はない」と。

リア充と呼ばれる人たちがいますが、
そう思ってる人たちが充実してるかどうかなんて、
もっと掘り下げてみないとわからないこと。

それは「隣の芝生は青い」だけなのかもしれない。

そこに理想郷はあるのか?


かりそめの「幸せ」


毎日おしくらまんじゅう状態の満員電車に乗り、
朝から夜遅くまで会社で働く。

疲弊しきった毎日を癒すように、
なんとなくテレビとかネット見たりゲームしたり、
週末にお酒を飲んで過ごす「幸せ」。

別に毎日酒浸りになることで、
たとえ先行き不安だろうが、毎日ストレスを感じようが、
気を紛らわせて幸せを感じながら生活することだってできる。

わざわざ高い金を払って「学び」なんてする意味がわからない。

それよりも、なんとなしに将来生活できる貯金があれば
そこを切り崩さずに飲酒、バカ喰い、旅行でストレス発散すれば
「幸せ」ではないか。

酒浸りになって、イヤなことなんて忘れて
また次の土日祝日のために月曜日からがんばって働けばいいじゃねぇか。

………そんな感じで「幸せ」を得て、再びループします。

喜びによってもたらされるのが「幸せ」


人は生まれる時に希望を持っていました。

それは子供の頃の屈託のない笑顔を見れば、明らかなことです。

人生がしんどいものなんだと知れば、
この地球に魂を下ろそうなんて思いません、

希望に満ちあふれた人生を切望するから、
この地球に魂を下ろすのです。

何に「喜び」を見出せるかで「幸せ」の形は違います。

「喜ぶ」ことで感情と思考が一体化します。

仕事のハードさに打ちのめされるのをはじめとした
ロジックにやられてるとき、もしくはムキになったり
感情的になりすぎてると、「喜び」はありえません。

いわゆるそれが「顔が死んでる」状態のことを言います。

だからまずは「喜び」を見出してください。

終わりに・完成した自分になると恐れがなくなる

たとえば、会社を辞めて、働き詰めループを抜けて一本立ちする………

というのはあくまで「幸せへの過程」に過ぎません。

「自分は何がやりたいのか?」

こうした悩み・迷いを抱えている状態に人にあってばかりだと、
同調勢力ばかりが引き寄せられます。

世の中いいことばかりでなく、
見て見ぬ振りしてる「苦しみ」も存在します。

順調な人生なんてないです、
今ある「苦しみ」を認識してそれを乗り越え、
自分に打ち勝ってください。

完成した自分になってください。

それにより「栄光」がもたらされます。

自分に打ち勝つことができると不可能が可能になります。

そうして本当の「幸せ」を掴み取ってください。

#一人じゃ気づけなかったこと

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