2019.12.16 私の人生を変えた彼女の話
12月に書いた下書きを完成させました。2020.4.21
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4月末、私はどうやら死にかけた。
その日の事は前回の記事に書いた通り。
あれから8ヶ月、死ぬ事しか頭の中になかった自分からすれば、だいぶ予想外とも言える状況で生きている。
私はあれから仕事を辞め、通院をしたが医者にサジを投げられ、助けてくれた友人には見放され、なんだか本当にどうでもよくなったが死ぬ事が出来ず、メンヘラ人生18年にして初めて、新型ではないほうの鬱病を患っていた。
では実際、今までとどう違うのだろうか。書き出してみる。
まず一つ、死にたいけど悲しいという気持ちがない。何もない。感情が死んでしまったかのように、悲しいという気持ちもなければ嬉しさや楽しさもない。死にたいというかこれ以上生きてる理由がよくわからないが、助けてくれた友人達のために死ぬ事が許されないというような感じ。かと言って死ぬ気力もないというか、本当に布団から出られない日々が続いた。時々出たと思ったらストロングと睡眠薬を飲んでまた寝た。
二つ目。時間が読めない、会話が成り立たない、物事が考えられない等人間としてのスペックの低下が著しい。酷い時はお昼に待ち合わせの予定だったのに18時ごろに到着するぐらいには時間が解らなくなっていた。自分の動作に何分かかるのかという予測が一切出来なくなっていたし、例えば身支度に30分あれば生きていけていたはずなのに3時間以上かかってしまうだとか、本当に脳が欠損したようにうまく頭が回らない。
また、私は説明は上手い方だと上司からお墨付きをもらっていたはずなのだが、状況や気持ちを説明すると意味がわからない、日本語で大丈夫って言われるほどには支離滅裂な話し方しか出来なくなっていた。
主に困ったのはこの二点、加えてオタクでありバンギャである私自身が、PTSDの影響でV系が聴けなくなり、鬱病の影響でアニメや漫画を見ても共感したり感動したりという事がわからなく、全く面白くないと言った現象が起きた事。娯楽の為に生きてきた人間が娯楽の存在意義を見出せなくなった事である。非オタが二次元に興味持てない感覚ってこんな感じなのかな、そりゃ楽しくないね。なんて微妙に感心した事を覚えている。
私はかつて元恋人と色々な初めて、を経験した。
だからそれを超える何かを見つけられれば寛解するのではないかと考えた。
手始めに北海道へ渡った。
ダイナミックネイチャーだったけど虚無感は治らなかった。
次に海外へ渡った。
言語が通じない異世界スーパーダイナミックネイチャーだったけど虚無感は消えなかった。
何をしても、何の感銘も受けられない自分に絶望した。
かと言ってこの家は彼との思い出が多すぎて、そして引っ越す気力もなくて、引っ越せないから、でも家には帰りたくないし帰ってる間は起きていたくないという状況になってしまい、家に帰る日が減っていった。
私にはこの頃から行動を共にする人間がいた。
仮にAちゃんと呼ぶ。同性の人間である。
この子は私が死ぬ前に知り合ったが、全然交流がなかった1フォロワーに過ぎない人間であった。
私が入院生活を送っていたある日、DMが来て遊ぶ事になった。
もとより、その子の作品のファンであった私は快諾し、遊ぶ事となった。
勿論体調がぐちゃぐちゃで退院出来るかどうかもわからなかったため、最初は断るつもりでいた。だけど、自分の中で今断れば私は他人と接する機会を失うのではないかという懸念がポンコツ脳なりに発生していた。なので、事情を話した上で行ければ遊ぼう、という話になった。
画して当日、私はなんとか、目的地に辿り着く事が出来た。
その時私はその子に、どうしたらそのような素敵な作品が作れるのかというものを聞いた。
そして、この日の出逢いが、この質問が私の人生を変えていく事となる。
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私もその子の真似をしようと思った。具体的に言えば写真を撮るという事。
何もわからないけれど、綺麗なものを綺麗だと思えるココロを失ってはいるけれど、まだ失う前に綺麗だと思えた人の作品は、きっと綺麗なはずなんだ。そう思った。
私は感性そのものを失ってしまったために、ゼロから作り出すと言う事が出来なくなってしまっていた。
まず、同じ機材を買い揃えた。本当に奇跡的なのだが、たまたま元から持っている本体機材が一緒であった為、オプションパーツを揃える事はそれほど難しいものではなかった。そしてAちゃんは快く技術を教えてくれた。驚くほど綺麗な作品が出来上がり、自分で自分に感動した。
「ね、簡単でしょ!」
そう言って彼女は笑ってくれた。
そうして、私達は共に活動する事となった。
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オーストラリアから帰って来て2週間後。私達はレンタカーを借りて5日間四国を旅する事にした。実は、2人きりでこれだけ長い時間旅をする事はお互いそれほど得意では無いはずなのに、不思議と苦痛は全くなかった。
Aちゃんは何でもできた。写真は勿論、料理は上手いし、釣りやキャンプのスキル、旅先の選定、果てにはイラストも描くしなんなら本業はデザイナーなのだ。過去にはインディーズバンドをしていた時期もあったらしく、音楽関係の繋がりも強い。
そして何より本人が太陽の様に明るくて優しい人間だった。なんでも出来るのにそれを一切鼻にかける事なく、技術は何でも教えてくれる、神様のような人だった。あの頃虚無しかなかった私の手を引いて導いてくれたのだ。今でも感謝はしきれない。
私は元々モデルをしていたから、それもあり彼女の被写体として、また、自分自身でもカメラマンとして、活動をしていた。
様々な場所へ行き、いろんな写真を撮った。その間落ち込むことも泣いてしまうことも、身体が動かなくなる事もたくさんあった。けれど、彼女は黙って話を聞いてくれるし、何も出来なくなった私に、何か出来る事を思い出させてくれた、それこそ本当に神様のような人だった。
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私のペンネームは、星 屑子という。
これは実はもう7年ほど同じ名前を使っているのだが、勿論ながら星空というものが好きだからこの名前にした。
あまり詳細に書くと身バレしそうだが、私自身は全くの無名なので大丈夫だと踏んで撮った写真を掲載する。
行く先々で様々な星を観た。実のところ、私は彼女と出逢うまで天の川を見た事がなかった。恥ずかしながら空想上のものだと思っていた。けれど、それは確かにこの空の上に存在しているのだ。
かつて、元彼と星を見に行ったことがあった。それは夜中の3時、近所の川縁で流星群を待っていた。その時は、流れ星ひとつ見つけるだけで奇跡が起きた気持ちになっていたが、こうして星空を探しに行くようになってから沢山の流れ星を見た気がする。今までみようとしていなかっただけで、そこには存在していたのだ。
星空は美しい。何千年も同じ宇宙なのだと思うと自分の悩みも人生も一生もちっぽけだと思えてくる。
虚無感しかない日常でも、星が美しいと思える心だけは取り戻せた気がした。
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そうして過ごすうちに、かつてのように漫画やゲーム、アニメで感動する事や、ライブで心の芯から熱くなるような気持ちをいつの間にか取り戻す事が出来た。薬はもとより頓服扱いな為、服用頻度が減り、それに伴って病院へ行く回数も減っていった。
自分のやり方が全く正しいわけではないと思うし、私は単に「運が良かった」のだと思う。
だけど、色んな要素が噛み合って今が存在している、その事に感謝したいと思うから、もう死のうだなんて思わなくなったかな。
それも運が良かっただけの話だけれど、もしあの日彼女の誘いを断っていたら、どうなっていたのだろうと思うと恐ろしくもある。
どれほどゆっくりでも前に進む事を諦めなかった私の勝ちだと、勝手に思う事にしている。
いつか彼女のように自分のスキルで食っていきたいという目標も出来た。
過去は消える事はないけれど、折角出逢えた縁を大切にしながら、これからも頑張って行こうと思います。
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