250年続く酒蔵で働いて感じた、死生観
今まで自分の人生観を言語化できていなかったので、NOTEで考えを落とし込んでいきたいと思います。
人生とは自分自身の細胞に感謝すること。
これを酒蔵で学んだ。
2013年に能登のとある日本酒の酒蔵へ就職。
今回話すことは酒蔵で働くことになった経緯ではなく、9年働いたことで人生観がガラッと変わってしまった話。
30代前半で趣味は何と聞かれると、日本酒を嗜むことが好きだが、それよりも妻と温泉に行ったり美味しい蕎麦を食べること。
こんな話をすると、老後の夫婦みたいだと友人からもよく指摘されたけど、これが普通だと思っていた。
酒蔵で働く前後で比較すると後は表現できないが、少なくとも前はメンタル豆腐で自己中で曲げられず、ウニ並みに尖ってて誰も寄せ付けない。友人がいると目立とうとするのに、一人だと何もアクションを起こせない。やる気はあるけど心はブレブレ。我ながらこんな奴と友達にはなりたくないと思う。
入社当初、酒蔵では同僚に若手はおらず250年始まって以来の新卒入社だった。上司は40代後半が殆どで、方言が不協和音となりながら考え方や伝え方も全く違った。今ではそれが心底良かったと思っていて、1から心身ともに鍛え直されたのを覚えている。
1年目は相談相手もいなく、ましてやIターン就職だったので身寄りも家族も友達もいなかったので、ひたすら自分を見つめ直す期間になった。
能登が良かったのは、大都会と違い土地もコミュニティも狭いので、車を使って道という道を全て走ることができた。観光地だけでなく目に見える飲食店やスナック、お寺や神社に入り、能登の人々全てと関わることができた。大げさかもしれないが、本当に全てに触れることができる。すると自分の立ち位置をまるっと理解することができた。
日本酒を通じて何をするべきなのか。
地域の課題や点と点を繋ぐイメージ。
これはもしかしたら大都会にいた場合、人並みに溺れ何も感じなかったかもしれない。そうでないかもしれないし、そうであったかもしれない。良いこともあれば悪いこともある。
どちらにしろ、やりたいことに更に磨きがかかったのはこのときだと思う。
死生観もそうだった。
田舎だけあって住民も取引先もほぼ高齢者。働いていた9年の間に友人含め良くしてくれた方が15人ほど亡くなり、ちっぽけな時の流れに立たされているのを感じた。おそらく同年代では葬式参加率は最多だったんじゃないかな。
ついでに、富豪や名声、ステータスが生きていく上で全く何も役に立たないことがよくわかった。幸い、能登の人たちはこのタイプではなく、少なくとも客観的に見て幸せに満ち溢れた方ばかりだった。憧れた。
死に向かって生きるではなく、感謝と向き合って生きる。
両親共に仏教徒だと思うが、私自身は信仰するというより客観的に宗教というものを観測してきた。
ただ、酒蔵で働く中でこのブッディズムというものが酒造りの中にあちこち織り込まれていて、生活の中で徐々に気づくのだ。
そもそも、酒とは、神様への捧げものであり、
人間はそのおこぼれを飲んでいる。
神様とは一体誰なのか。
ずっと考えていた。
田んぼの神様、海の神様、山の神様…
誰しもがそれぞれの神様を持っていて良いと思う。
行き着いたのは、人間の細胞の中にある遺伝子そのものが神様なのだ。実際に、仏教の唱えでも米と人間は内なるものは同様で、飯を食うときも米一粒一粒に感謝しなさい。
なぜなら、人間、米、共に遺伝子があるからだ。
食べ物への感謝は自分自身への感謝。まだ、遺伝子が解明されていない何千年も前から仏教はそれを唱えており
仏様=遺伝子
遺伝学者が次々と出家してしまうのも納得だった。
面白いことに自分自身への感謝を始めると周りからの支えが増える。
生きてて気持ちよくなるのだ。
毎朝出勤すると、神棚に向かい二礼二拍手一礼。
お願いではなく、神様に敬意を表すことが目的である。
最初はバカバカしかった。
が、後で知ったのは
実は仏教にはイエスキリストのように何かを神様として崇める対象がない。
神棚に居るのは自分自身なのだ。
自分自身に感謝する時間を与えてくれる。
目に見えない酵母菌により添えないやつは美味しい日本酒を作れない。
田んぼに感謝できない人は、美味しいお米を作れない。
自分自身に感謝できない人は、人にも感謝できない。
同じ地球上で共同体でありながら、他を尊重し自分自身に感謝をすることができる。それが、酒造りで酒蔵なのだ。
誰かのために造るではなく、感謝から生まれた産物を飲む
そんな日本を支えた文化を「日本酒造り」を通して伝えたいと
強く思った。