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身体的感覚を磨き なりたい自分になる秘訣 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム⑳

電車の中で五感の訓練


毎朝、15分、通勤電車の中でYouTubeを聴きながら聴覚の訓練をすることにした。

最初は難しくてめげそうだったけど、3日目には慣れてきて、5日目には楽しみつつ効果を実感できるようになった。

ただ電車でするのは無理になった。

なぜなら、目を閉じてニヤニヤしてたり、涙が流れたりで、とてもじゃないけど普通の通勤者ではいられなくなってしまったから…

身体感覚の変化を見守るのは簡単だった。

でも、音が消えた後、想像でその音を聞き続け、同じような身体感覚を維持するのは難しかった。

メールで質問すると「音自体を聞こうするのではなく、音に影響を受けている身体感覚から想起された物語の中で行動すると維持しやすい」とアドバイスされてからは訓練を楽しめるようになっていった。※メールの内容は後述

同じ音を聞いているのに目的や行動が違うと経験することも全く違うのが当たり前のようでスゴク面白い。

想像するのが苦手と感じていたのが嘘のよう。
今では想像に身を任せるのが楽しくさえある。

身体的感覚を磨いてなりたい自分になる


別の音が交差する。
ある感情が静まり、別の感情が起きるのを見守る。

この訓練の目的の一つは身体感覚へ繊細な意識を傾けられるようになる事。
先生はそれを身体感覚の高解像度化と呼んでいた。

ちょっとした変化を見逃さない感覚を磨くこと。
すると行動と感情のコントロール能力が向上すると言っていたけど、それがすごく納得できてきた。

というのも、以前なら、ふと気づくと、いつの間にか、くよくよしていたり、怒っていたりしている自分がいたものだった。

感情はいつだって、いつの間にか既に私の中にやって来ていて、居座り、コントロールすることは不可能に思えた。

せいぜい、明るく振舞ったりして誤魔化すだけだったけど…

でも、感情には必ず身体的感覚が伴うというのを学び、この訓練をしていると感情が生じる瞬間に気づけるようになってきた。

もっとも早いタイミングで気づけるときは「おっ、今、怒りの芽が芽生えそうだぞ!」ってな感じでその兆候を感じ取れる…

そして、それが明確な感情に育つその前に「私が今、こんな身体的な感覚を味わっているのは、無意識に何を行動していたからなのだろう?」と、意識せずにしていた内的な行動の目的を問うことができるようになっていた。

例えば「いつのまにか、さっきのあの人のあの発言を繰り返し聞いていた」という事が分かる。

そして、何度も再生しているのは「なぜ、あんなことを言ったのだろう?」と、その真意を探るためだったのだと、その行動の目的にも気づけたりする。

すると、その先も読めるようになってくる。

正解にたどりつけるわけもないし、延々とネガティブな答えが浮かんでわ消えるだけ。

そもそも、嫌な発言を何度も思い出すプロセス自体が私のメンタルを削っていくだろうな…

色々、予測できると「私はこの無駄な行動にこれ以上のエネルギーと時間を注ぎたいの?」と自問することも自分を責めることなくできる。

「バカらしいなぁ、もっと大切な別のことしよう!」と心から思えるので切り替えるのが楽になった。

水槽の水を入れ替えたり、本棚整理したり、いくつかすぐにできる行動リストを作ってあるのでそれを実行する。

かつての私なら、どっぷり嫌な気分に浸かって初めて自分の気持ちに気づいてたので、気持ちを切り替えるのが難しかった。

切り替えられない自分を責めたりもしていた。
感情を直接扱えるはずもないのに…

けど、今は感情の芽が土をモコモコ押し上げる程度のころに扱えるし、そもそも感情ではなく行動に働きかけるので操作が楽になった。

結果として嫌な感情にやられる機会が少なくなってきている。

「いつも喜んでいなさい」が少しはできるようになるかも…

【Q&A】想像の音を聞き続けるのが難しいです

【質問】

音が消えると途端に素にもどってしまい、音を聞き続けるのが難しいです。なんだか、ザザーとか、ザパーンとかカタカナで思いだしているだけだったりします。どうしたらよいでしょうか?

【答え】

「音を聞こうとするよりも、その音に影響を受けている身体感覚から思いつく物語の中に居ることを意識してみてください」

「身体的感覚が起きるのを経験するのは単に状況を経験しているに過ぎません」

「状況に対して働きかけたり、行動したりした時にリアリティを増幅させられることを思い出しましょう」

「例えば、海の前でその音に耳を傾けながらあなたなら何をしているでしょうか?」

「私も、いつまでも飽くことなく海を眺め続けていた経験があります。もし、それを再現するのだとすると…

海を前にして、とてつもない広大な世界に圧倒されるような感覚を覚えたのを思い出します。

その時の私は一見すると立ち尽くしているだけでした。

しかし、その時の私の感覚を再現するために選択するべき行動は「波の音を聞く」ではありません。

「立っている」でも「昔を思い出している」でも適切な行動ではありません。

波の音が聞こえる。。。は状況です。

では、その状況で何をしていたか?

その時の私は、その広大な世界を少しでも「味わいつくそう」としていたのではと仮説を立てました。

今感じているその感覚を味わい尽くしたい、この存在の正体を知りたい、
しかし、とてもじゃないが味わいつくせないという葛藤に、もどかしさや自分のちっぽけさを感じる。

仮説を試すとこの行動の選択があの時の私の感情や感覚を生み出す原因になりえることがわかりました。

葛藤が行動をより能動的にさせ身体にリアリティを増幅させることになり、結果、その状況である海の音を聞き続けている身体的な感覚を継続できます。

【返信】

ご回答ありがとうございます!

音自体を聞こうとしなくてよいとわかってやりやすくなりました。冷たい雨に打たれているのに耐えようとしているとその感覚を維持し続けやすくなりました。

交差点も耳をふさぎたくなったり、排気ガスの匂いなどに耐えようとしているとむしろ音を聞き続けている感覚を得られました。

それから、以前いただいた、日常で、感情の変化をきっかけに自分の行動を振り返るという習慣が身体的感覚を磨いていくと、とてもやりやすくなってきています。

まだまだだとは思いますが、無意識の内にしていることが沢山あるのだ、その行動で今の私の気分は出来上がっているのだと気づけていくのがとても楽しいです。

次回のレッスン、視覚の訓練も楽しみにしております。

※聴覚訓練の動画は32:51からです



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田中徹(てつ)スタニスラフスキーの孫弟子アクティングコーチ
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