号泣のレッスン 俳優の触覚を磨くpart2 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム㉖
想像力で肌の温度を上げる
触覚、肌感覚、内臓感覚を磨く訓練が始まった。
先ずはココをおふろ場と見立ててみましょうとのこと…
私は先生の低くゆったりとした声に誘導されつつ、想像をめぐらせてゆく
そして、身体に起きることに注意を傾け続ける…
「今、あなたは、おふろ場にいます…何が見えるでしょうか…あなたは何を感じているでしょうか…足の裏に…意識を傾けてみましょう…タイルの冷たい感触を感じているかもしれません…肌で…おふろ場の温度や…おふろ場の湿度…を感じているかもしれません…」
肌に湿度を感じれた気がした…すると鼻腔にお風呂場独特の匂いを、耳にはくぐもった響きを思い出す。
すると、実家の風呂場全体がスーッと見え始め…今そこに居る気分や臨場感が一気にましていく…
「では、シャワーヘッド見てみましょう…その色…形を…あなたの目に思い出させてみましょう…シャワーヘッドを手に取り…その触り心地…重さを…手に思い出させてみましょう…」
あまり確信はなかったがエアーでシャワーヘッドを手に持ったつもりで、ゆすってその重さを手に感じようとした。
「ではカランをひねって…お湯を出してみましょう」
ぼんやりとしか思い出せい…
普段、私はどうやってお湯を出していたのだろう…
パントマイムもどきでカランを回しているポーズは出来ても、どうも実感が伴わない…
「お湯を出したのであれば…シャワーヘッドの重さが変わるのを感じるかもしれません…」
「手のひらにお湯をあててみましょう…手のひらに水圧…お湯の温度を感じているのに気がつくかもしれません…手のひらが…あたたかーくなっているのに…既に気が付いているかもしれません…」
ちょっとびっくりした…
私は無いはずのシャワーヘッドから出ているお湯を左の手のひらで受けながら、その水圧と温度を感じていた…
「シャワーヘッドを手のひらに近づけてみましょう…水圧が強くなることを感じているかもしれません…シャワーヘッドを再び遠ざけてみましょう…お湯が当たる範囲が広がり…手のひらに感じる水圧が下がるのも感じるかもしれません…」
私は架空のシャワーヘッドの動きに合わせて変化する手のひらの感覚に夢中になっていた
「腕にもお湯をかけてみましょう…シャワーヘッドをゆっくり動かすと…腕に感じる温かみも…移動していくのに気が付くかもしれません…肘にも温かいお湯をかけてみましょう…」
まるで魔法みたいだった…
私の肌は先生の誘導通りに温かみが移動するのを感じていた。
「では、お湯を止め…シャワーヘッドを元に戻しましょう…」
私は椅子に戻った。
「いかがでしたか?」
「すごく不思議でした。お湯はとても感じやすく、本当に肌があたたかい気がしました」
「サーモグラフィカメラで撮影したら温度の変化を目で確かめられたかも知れませんね」
「はい、なんだがまだ腕がポカポカしている気がします。ただ、カランを回すのが難しくて、形だけやっていたような気がしました…」
虚構の行動に実感を得るプロセス
「カランはどのような形状ですか?」
「古い一般的なタイプで赤と青の2種類が並んでいて…」
「上から見るといくつかくぼみが刻まれた円形のものですか?」
「そうです、そうです」
「カランを映像だけではなく、肌でも思い出せるとかなり楽にできるようになるはずです」
「頑張ってそうしようとしたのですが…」
「先ほどあなたは手全体でカランを感じようとしたかもしれませんが、実際はカランにそのように触ることはないはずです」
「はい…」
「カランに触れるのは数本の指、しかもそのごく一部だけのはずです」
私は再びエアーでカランを回し、先生の言う事を確かめていた。
「なるほど、そうですね…。多分…親指、人差し指、中指だけです」
「カランを回すのを邪魔する障害は何だと思いますか?」
「障害…えー…カランの固さですか…」
「そうですね。カランを回すにはその固さに抵抗しなければなりませんよね」
「はい…」
「演技で実感を得られない時には、行動を邪魔する障害について点検してみましょうというお話をしたかと思いますが、この場合もそれが当てはまります。葛藤や闘争、抵抗を感じられると行動の実感を感じやすくなります」
なるほど、こういう日常的な行為もその原則が当てはまるんだ…
「ではカランを回すという意識ではなく、親指の腹でカランのくぼみの角を押す、中指ではくぼみの角を引く、中指はそれをサポートしているというイメージでやってみてください」
「あっ!なんだか指先にカランを感じられます…」
「では、それぞれの指先にカランの抵抗を感じながら、親指の腹は角を押す、中指はその腹で引く、人差し指はバランスをとるという行動をやってみましょう」
「急にカランを回している感覚が思い出せました!」
「一般的なイメージだけでは行動はフリやポーズになってしまいます。再現しづらい行動はそのプロセスを細分化してみましょう。するとその小さな行動に抗う何かしらの障害を見つけることが出来ます」
「はい」
「その障害に対して具体的に指のどの部分が何をするべきかが分かれば身体感覚も伴い実感を伴った行動が可能になるはずです」
普段、無意識にこなしている作業がいかに複雑だったのか改めて気づく…
このような日常的な作業はもちろん、受験番号を見つける、目を疑うという行動も、そのプロセスと障害を具体的にできると実感を伴って再現可能だった…
これは恐らく演技のどのような側面にも当てはまるのだろうなと予感した。
全身のセンサーを敏感にする訓練
「指先に意識を傾けることで虚構における行動に真実感を得られたかと思います。これを全身で可能にするために、今度は身体全体の各部位に繊細な意識を傾ける訓練をしてみたいと思います」
「はい」
「その椅子に座ってください。そして、イメージしてみましょう…この部屋に、徐々にお湯が侵入してきます。その水位が、すこしづつ、すこしづつ、上昇していくのを身体で感じていきましょう」
私は目を閉じた。
そして、四方から侵入し、迫ってくるお湯をイメージした…
足の裏に温かいお湯が触れた…
足の指の間にお湯が侵入し…
徐々にお湯が足の甲を覆っていく…
かかと…くるぶし…までお湯が昇ってくる
足首の周りに温かみを感じる
私の身体が足から順にあたたかい輪で輪切りにされていく…
その断面が脳裏に思い浮かんだりしていた…
先生は静かに誘導を続けていく…
「お湯がどんどん水位を増していきます…ふくらはぎ…脛に…お湯が到達してきます…お湯の感覚が徐々に…徐々に…上がっていくのをあなたの皮膚で感じてみましょう…そろそろ、ふくらはぎ全部を覆いつくしてきているかもしれません…」
「もしかすると、既に全身がポカポカしていることに気がついているかもしれません…足に感じている温かみが全身の血流を温かくしているようです」
私は顔までポカポカしているのを感じていた…
「膝…膝の裏…おさら…さらに水位が上がり…太もも…椅子とおしりの間にお湯が浸透し…やがて、腰にたどり着きます…」
まるで双子の孤島が海水に徐々に侵食されていくかのように…
私の太ももが完全にお湯に覆いつくされていく…
そのプロセスを肌で感じられていた…
ももの上に置いていた指の間にもお湯が侵入していく…
手の先まで暖かくなっていく…
さらにお湯の水位は上昇し、腰を超え、おへそを超え、腕も肘も濡らし、今やみぞおちまで到達していた…
「胴体全体に水圧を感じているかもしれません…さらにお湯は水位を増していき、わきの間に入り込み…鎖骨まで到達し…肩まで達していきます…」
お湯は今や首のあたりまで到達してきていた…
「さて、このお湯に埋め尽くされても、なぜか呼吸は普通にできると思っておいてください…徐々にお湯があがってきます…さらに繊細にその水位の上昇を身体全体で、そしてその部位で追っていきましょう…顎に到達し…耳たぶに到達し…鼻の下までお湯がやってきているかもしれません…鼻を覆いつくし、まぶたの下まで到達し、こめかみに到達し…後は頭を残すのみになりました」
私は完全にお湯に包まれた。
ポカポカと暖まる全身を感じながら、なんとも言えない安堵感の中でリラックスしきっていた。
と同時に意識が研ぎ澄まされてもいた…
「今、あなたは全身が圧迫されているような、あたたかいような感覚を味わっているかもしれません…今度は逆に徐々に抜けていくお湯を身体で感じてみましょう…」
部屋から抜けていくお湯を全身で追いかけてこの訓練は終了した。
虚構の人物に共感する能力=痛みを再現する力
「俳優は想像力が重要だと聞いたことがあるかと思います」
「はい、耳にタコたできるほどです」
「そして、実演においては身体がいかにその想像に影響を受けているかが重要でした」
「はい、身体に変化を感じられると、とても安心して演技できました」
「この訓練は身体全体に張りめぐされているセンサーを鋭敏にし、想像したイメージに繊細に響く身体感覚を養っていくことが可能です。どこでも思いついた時に実践できますのでぜひ日常生活にも取り入れて下さい」
虚構を信じる力や行動を真実にする力を養っていくのにとても良いと思ったけど私はそれよりも気分がスゴク落ちつくのでこの訓練が気に入った。
「では、せっかくリラックスできているのに申し訳ないのですが、今度は痛みを思い出す訓練をしてみましょう」
「痛みですか…」
「はい、役を生きる3ステップを思い出せますか?」
「…役の目的を見つけてあげる。その動機に共感する。目的を達成するために行動する。だと思います」
「その通りです!あなたは役を生きるために登場人物に共感する必要があります」
「はい」
「ところが、演じる人物に共感できないという場合も少なくありません」
「わかります」
「そんな時、私は必ずその人物の痛みにアプローチするよう指導してきました」
「…」
「物語の登場人物は必ず行動します、ということはつまり、登場人物は必ず痛みを抱えているということです。なぜなら、すべての行動はその痛みを克服せんがために行われるからです」
「はい…」
「痛みはその人物の行動の動機に直結しています。そして、同時にその痛みは彼らの認知の歪みを生み、その役柄に独特の行動や反応を生み出す原因になっています」
「なるほど…役の人物の目的や行動の選択に共感できないとき、私たちはその人物の隠れた痛みや傷に気づけていないということですね!」
「素晴らしい!全くその通りです!それまで役を理解できずに距離を感じていた俳優がその人物を急に身近に感じられる瞬間はいつも同じでした。それは登場人物の痛みを共有できたときです」
「すごくわかる気がします!」
「ですので想像の痛みを実際に身体に感じる力は俳優にとって非常に重要な能力になるです」
言われてみれば、私が今、ココにいるのも、レッスンを続けているのも確かにいくつかの痛みが原因だった気がする…