ない日記「元後輩っぽい犬」
台風の夜、外の様子が気になって家から出ると、玄関の前にびちょびちょの犬が横たわっていた。暑くなったタオルケットを腹から蹴飛ばした後のような寝姿だった。我が家はペット禁止のアパートなのでどこからか迷い込んできたのだろう。そっとドアを閉めた。
うまかっちゃん博多からし高菜風味を油そば風にして食べた。湯切った麺に胡麻油をかけてスープの粉末を半分かけた料理だ。粉末が半分でも塩っぱかったので次は三分の一にしようと誓った。袋麺で油そばを作ると麺のちぢれが互いに絡み合い、乾きかけの茹で汁を糊として接着し、あっという間に丼の奥底でゴム毬になってしまう。麺で出来た毱を箸で持ち上げて落とすと、強い反発係数で飛び上がり、ねちゃっと天井にくっついてしまう。食べるときは物置のどこに高枝切り鋏があるか思い出しておくのがおすすめだ。
腹も満たされ、玄関の覗き穴から外の廊下を見るとまだ犬が寝ていた。毛が短いのに一向に乾く気配がない。体でも拭いてやるかとバスタオルをドラム式洗濯機から引き抜いて、玄関のドアを開けた。犬が勝手にのそのそと入ってきた。廊下が濡れないように慌てて捕まえて、バスタオルで包んでザザザッと拭いた。犬は僕の肩に前足を置いて積極的に楽な姿勢を取っていた。
犬を拭いたタオルをそのまま洗濯機に入れるか思案していると、目を離した隙に犬が先程までうまかっちゃんが入っていた丼を一心不乱に舐めていた。人間の食べ物は犬の体に障るかもしれない。「おいやめとけ」と言うと、犬は恥ずかしそうにこちらに背中を向けて座った。
腹が減っている犬のために、すぐそこのファミマにドッグフードを買いに行った。台風が過ぎ去るまで買い物に行かなくていいように食料品を買い溜めしておいたのに、まさか犬のご飯を買いに行くことになるとは思わなかった。小川が氾濫して、定礎の岩板が流されていた。
犬用の缶詰を買って帰ると、犬はシャワーを浴びていた。ついさっきまで濡れていたくせに。どうしても体の汚れが気になったのだろう。犬があがってくるまで手持ち無沙汰になったので、迷子犬相談ホットラインに電話をかけた。
フリーダイヤルとはいえ応対は酷いものだった。スタッフは確実に家で電話を受けていた。「もしもし」の代わりに竜田揚げっぽいザクザクとした咀嚼音が鳴り響いた。おそらくPCかタブレットで映画を流していて、映画『ホーム・アローン』でケビンがフランクおじさんのギャング映画とバズの爆竹を駆使してピザの配達員をビビらせていた。
こちらが話し出そうとすると、「雨で鼻が鈍ってるだけです」と吐き捨てられた。どういうことかと聞こうとすると、もう何度も繰り返したせいで言い慣れてしまい子音が弱まった言い方で「あなたのことを飼い主だと勘違いしてるんです」と言われた。そして「信じられないなら左あばら骨の下あたりを親指でぐっと押してみてください」とまくし立てられた。こちらはホットラインに文句を言いたいわけではないことを伝えると、「キャッチが入ったんで」と電話を切られてしまった。電話相談はメインの仕事ではないのだろうか。
犬が風呂場から出てきたのでバスタオルで体をくるんでやった。にも関わらず犬は先に頭から拭き始めた。体からぽたぽたと水滴が落ち、床に小さな水溜まりができた。「ほら、言わんこっちゃない」となじってやろうと思ったら、犬はバスタオルを足で床に押しつけて水分を吸わせた。
電話で言われた通りに犬の左あばら骨の下を押してみた。ぷすーとおならが出た。やられた。悪戯だった。非営利団体に電話なんかかけるんじゃなかった。と、がっかりしてお尻から顔に視線を移すと、犬歯が通常の七倍くらいの長さで飛び出ていた。歯は長くなるほど根元が太くなるので、犬歯に唇が引っ張られる形で犬は強制的に笑顔になっていた。同時に鼻孔も広げられ、空気を大きく吸い込んだ犬は、僕が飼い主とは違う人間であることに気付いた。逃げ出す素振りが見えたが、バスタオルと僕の手元の缶詰を凝視して、しばらくこのまま居ることにしたようだった。
ファミマで買った犬用の缶詰は粗悪品だったらしく、蓋を開けようとするとプルタブだけ取れてしまった。家に缶切りがなく思案に暮れていると、ぐずずと戻っていく犬歯が目に入った。試しに犬に缶詰を咥えさせ、左あばら骨の下を押してみると、伸びた犬歯で缶詰に大きめの穴が開いた。犬は歯を引き抜き、ちゅうちゅうと牛肉と野菜のミンチをすすった。同じ手順で四缶ほど空になった。犬は食べ過ぎたことに落ち込んでいた。
疲れたので横になってkindleをめくっていると、僕は犬がある後輩に似ていることに気づいた。笑顔の形、マイペースな感じ、毛の逆立ち具合、瞳の輝き、目線の振り方、歩き方。どれも後輩にそっくりだった。仲良くしていたつもりだったが、僕がその後輩をご飯に連れて行ったのは一度だけで、そのときはオムライスをご馳走した。お世辞にもそいつにとって良い先輩だったとは言えなかっただろう。たぶん後輩も僕のことを可愛がってくれる先輩とは認識してなかったと思う。付き合いの中での愛情表現が僕は下手だった。
翌朝、犬を後輩の兄貴のところに連れて行った。犬を連れたまま電車に乗る方法が分からなかったのでタクシーで行った。九千三百円かかった。玄関から兄貴が出てくると犬はもじもじしていた。兄貴は笑いながら「ああ、すいません」と言った。そういえばこの兄弟は目元の印象が真逆なのに笑い方がそっくりだった。犬の面倒を頼めないかと聞くと、兄貴は「もちろんもちろん」と軽く言った。犬がふらっとどこかへ行こうとしたので兄貴はしっかり抱きかかえた。左あばら骨の下の話をすると、兄貴は「そんなこともあるんですね」と信じたか信じてないか推し量れない返事をした。
一人と一匹は家の中に入ると、さっそく喧嘩を始めたようだった。僕は安心して帰路に就いた。
日本では平安時代には犬をペットとして飼っていた。しかし、犬という動物の科学的研究が本格化したのは2000年以降のことだ。それゆえ犬の飼い方に対する間違った常識が流布している。
例えば、犬がよくない行動をしたとき、しつけのために「ダメ」と叱るのは間違った接し方だ。犬は人間のモラルや道徳感と無縁なので、自分の行為の善悪の判断をしない。だから、叱られても何がダメだったのか理解できないのだ。
仮に何をすれば怒られるか分かっても、自分の取った行動の結果を予測できないので、過ちを繰り返す。子ども用のぬいぐるみの腕を咬んで振り回したら、腕が取れてボロボロになる、という予測ができないのだ。
また、犬の短期記憶は三十秒から百二十秒程度とされる。さらには十秒で消えてしまうこともある。このためさっき怒られたばかりのことを忘れて、また同じことをやるということが起きるのだ。
自分の犬は叱るとシュンとなって反省のポーズをするけどな、という飼い主さんがいる。残念ながら犬は反省をしない。善悪の判断がつかず、怒られたことも忘れてしまうのだから、反省できないのだ。シュンとなっているのは飼い主の怒気に萎縮しているからに過ぎない。
ではどうしたら犬をしつけられるのか。必要なのは正の強化だ。飼い主がしてほしい行動を犬がしたときに褒める。犬を混乱させないように褒め言葉を一つに統一しておく。そして、褒めるだけでは犬は理解できないから報酬としておやつを与える。こうやって飼い主にとって良い行動を犬に覚えさせるのだ。
犬はとても賢い動物だ。それゆえに人は犬に多くを求め過ぎてしまう。人と同じように振る舞うことを強要してしまうのだ。しかし、犬はあくまで動物である。動物としての犬に人が寄り添う必要がある。犬が本当に求めている飼い主としての在り方を知りたい人に『犬にウケる飼い方』(鹿野正顕、ワニブックスPLUS新書)をおすすめしたい。犬を飼う気がない人にも薦められる面白い本だ。僕も犬の苦手だったところが少なからず解消された。人は理解できないものを拒絶してしまうものだ。
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コンビと作家でやってるラジオでも取り上げさせていただきました。
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