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ある日記「子供のために街」2024年10月29日

 僕の住む街には子供が多い。家から駅までの道で三つも保育園が確認できる。休日になれば電車の各車両にベビーカーが乗っている。近所のアーケード商店街は子供が歩いているのが当たり前になっていて、わりかし細い道なのに子供の横を自転車が走る。そこには混乱という平和が漂っている。まるで子供のために街になったようだ。
 平日の朝は商店街が保育園児のお散歩ロードになる。小さい園児は大きなカートに乗せられて登場する。僕はそれを見ると動物園のふれあいコーナーを思い出してしまう。柵で囲われているのが原因だろう。先生もラクそうだし、園児も楽しそうだし、カートに乗せるという選択が潰されなくてよかったと思う。
 大きな園児は列をなして登場する。学年やクラスによって帽子の色が変わる。園児たちは口々にお店の名前を大声で報告し合う。知っていることがよほど嬉しいのだろう。僕なんかは未だに商店街を歩くと店が気になってしまう。園児のころに楽しく散歩させて貰ったのだろうか。
 二つのグループがすれ違うとき、園児たちは互いに手を振り合う。見慣れない集団に遭遇してテンションが上がっている。大勢の中に知ってる顔があると嬉しそうだ。パレードが別のパレードを鑑賞している。
 商店街を歩く時間をもう少し早めると、近所の高校に通学する生徒たちとすれ違うようになる。高校は我が家の隣にあるので、僕が駅に向かう十五分ほどの間すれ違い続けることになる。おそらく始業の時間付近であろう時刻に家を出発すると焦りのグラデーションが見れて楽しい。
 初めにすれ違う学生は十分前行動ができる優秀な生徒たちだ。友達と優雅におしゃべりをしながらゆったり歩いている。それから五分もすると足速に歩く生徒たちが現れる。ギリギリを狙うのがデフォルトになってる集団だ。きっといつものことなので表情にはまだ余裕がうかがえる。その五分後には走る生徒をお目にかかれる。商店街の中を器用に走り抜けていく。制服の上着を鞄にしまい、シャツはよれよれのを着てることが多い。僕が駅に着くころになると何故かスッキリした顔で歩く生徒に出会う。始業に間に合わせることはもう諦めてしまい、やれやれといった感じである。
 僕が学生のころは朝に学校前の坂道をよくダッシュした。受験期になると運動不足解消だと自分を納得させて走っていた。気持ちを落ち着かせると走っても息が切れにくいからだ。遅れている者にだってそれなりのメソッドがあるものなのだ。

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