日本全国にある神社と神話の関係
広く人を愛するといえば、神様という抽象的な概念が私の頭に浮かんだ。
とはいえ、私は無宗教で特定の信仰があるわけではない。
誰がどんな信仰を持とうが、その人の自由だと思うし、かといって自分の信仰を強要しないで欲しいという立場の人間だ。
まあ、普通にクリスマスを過ごせば、初詣にも行くし、冠婚葬祭にも参列する。
ということで、ごくごく一般的だと勝手に思っている立場から、神様について調べてみることにした。
今さら聞けない神社ってなぁに?
あなたの住んでいる地域にも小さな神社があるはずだ。
地元の人しか名前を知らないような神社が日本全国の至るところにある。
そんな神社に祀られれいる神様は、その地域で生活している人々の守り神として篤く崇敬されてきた。
その土地の名前を取って、○○さまとか、親しみを込めて、○○さんと呼ばれるのもそのためだ。
全国に数多ある神社だが、実は一定の共通点がある神社も多い。
ということで、数の多い神社とその神社に祀られている神様を挙げていこう。
神明さまは、伊勢の神宮でまつられている天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っている神社だ。
神明神社、神明社、神明宮という呼び方をする神社が代表例だ。
天照大御神を祀る神社としては他に、大神宮、伊勢神社、天祖神社などがある。
また、神明という言葉は、広く神様を意味する場合もある。
お稲荷さまは、主に宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っている神社だ。
稲荷神社、稲荷という名称がついている神社が代表例だ。
稲荷の語源は、イネナリ(稲成)という意味で、稲の生成化育する神様を表している。
また、神様が稲を荷なわられたことから、稲荷の字を宛てたともいわれている。
もともとは農業の神様だったが、今は広く商業や産業を守護する神様とされている。
八幡さまは、第十五代天皇の応神天皇、神功皇后をはじめとする神様たちを祀っている神社だ。
その代表例は、八幡神社や八幡宮である。
その歴史を振り返ると、京都府の石清水八幡宮では源義家が元服をし、八幡太郎と称するなど源氏の篤い崇敬を受けた。
さらに、源頼朝により鎌倉幕府が開かれてからは、鶴岡八幡宮への信仰が高まり、武家の守護神として各地に祀られるようになった。
天神さまは、菅原道真公をおまつりする神社だ。
菅原道真公は平安時代の学者で、右大臣まで務めたが遠く大宰府に左遷され、59歳でこの世を去った。
やがて、その墓所が整えられ、現在の太宰府天満宮となったという敬意がある。
そして、菅原道真公が亡くなった後、京の都でも手厚く祀ったのが、北野天満宮の始まりである。
菅原道真公は英知に秀でていたことから、学問の神様として信仰を集めていて、全国に天神社とか天満宮という名称の神社がある。
住吉さまは、伊邪那岐命が禊をおこなった際に生まれた底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、表筒之男命(うわつつのおのみこと)を祀った神社だ。
時には神功皇后も祀られている。
神功皇后が新羅出征した際に、住吉さまの御加護により、無事に戦勝を果たしたという記事が古事記と日本書紀にある。
そのことから、海上安全守護の神様として、海にまつわる漁業や水にまつわる農耕の神様として、また和歌の神様としても広く信仰されている。
住吉神社とか住吉社と呼ばれる神社が住吉さまが祀られているということになる。
お諏訪さまは、建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀る神社で、妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)も祀られている場合もある。
古事記によると、大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子神である建御名方神は、天孫降臨に先立ち国譲りの交渉にやってきた建御雷神(たけみかづちのかみ)との力競べに負けて敗走する。
その後、信濃国の洲羽海(すわのうみ、現在の諏訪湖)に追いつめられ降参した。
その諏訪の地に祀られたのが諏訪大社というわけだ。
中世には武勇の神として武家の崇敬を集めた。
また、風雨の神、鍛冶の神、農耕、狩猟、開拓の守護神といった幅広い御神格を有しており、後世、諏訪神社は信濃国のみならず各地に奉祀され、庶民からも篤く信仰されるようになった。
日本の神話
そもそも、神話とはどのように生まれていったのだろうか。
ここについては、神社本庁のWebサイトが非常にわかりやすかったので、抜粋させてもらうことにする。
遠い昔、日本の国ができる前のこと。
澄み渡った高い空の上に、高天原という神々が住んでいるところがあった。
ある時、神々は下界に新しい国を造ることを相談していた。
そこで、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神が国作りを命じられ、天の沼矛(あめのぬぼこ)という矛を授けられた。
二柱の神が、天の浮橋(あめのうきはし)という大きな橋の上に立ち、下界の様子を眺めると、国はまだ水に浮いた油のように漂っていた。
さっそく二柱の神は、神々より授けられた矛を海水の中にさし降ろすと、海水を力いっぱい掻き回し始めた。
しばらくして矛を引き上げてみると、矛の先より滴り落ちる潮が積もり重なって於能凝呂島(おのごろじま)という島ができあがった。
そして二柱の神はその島に降り立つと、天の御柱(あめのみはしら)という大変大きな柱を立て、柱の回りを伊邪那岐命は左から、伊邪那美命は右から、それぞれ柱を廻り合った。
出会ったところで、ああなんと立派な男性だこと、ああなんと、美しい女性だろうと呼び合い、2人で多くの島々を生みました。
はじめに淡路島、つぎに四国、隠岐島、九州、壱岐島、対島、佐渡島をつぎつぎと生み、最後に本州を生んだ。
8つの島が生まれたところから、これらの島々を大八島国と呼ぶようになった。
これが日本の国土のはじまりだ。
日本の国土ができると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は多くの神を生んだ。
ところが、最後に火の神を生むと、伊邪那美命は大火傷を負って亡くなってしまう。
悲しさのあまり伊邪那岐命は、死者の国である黄泉の国へ伊邪那美命を連れ戻しに出かけた。
しかし、黄泉の国の食事をしてしまった伊邪那美命は、もう元の国には帰れない。
伊邪那岐命が迎えにきたことを知った伊邪那美命は、くれぐれも自分の姿を見ないよう伊邪那岐命に言い残し、黄泉の国の神のもとへ相談に行った。
待ちきれなくなった伊邪那岐命は、髪に挿していた櫛を取って火を灯し、辺りを見回した。
すると、妻の姿が見るも恐ろしい姿となって、横たわっているのを発見する。
あまりの恐ろしさに、伊邪那岐命は逃げ出してしまう。
自分の姿を見られた伊邪那美命は、髪を振り乱してその後を追いかけた。
ところが、黄泉の国の入口まで逃げてきた伊邪那岐命が、大きな岩でその入口を塞いでしまった。
伊邪那美命は自分を見ないで欲しいという約束が破られたことを悔しがり、あなたの国の人を1日1,000人殺すと言った。
これに対し、伊邪那岐命は、それならば私は1日に1,500人の人を生むと告げた。
それ以来、1日に多数の人が死ぬと同時に、より多くの人が生まれるようになったという。
まとめ
日本の神話の冒頭に触れてみたが、いかがだろうか。
興味のある人は神社本庁のWebサイトをさらに読み進めてみるといいが、なかなか面白いスタートだと思った次第だ。
というのも、結局のところ神のいざこざから人が生まれているというスタートだということだ。
人も結局、なにかしらの揉めごとが日々起きている。
逆説的だが、そんな人だからこそ、神話も結局人の性というか、同じような発想に基づいているのではないだろうかということが面白いと感じたというわけだ。
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