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尊敬語と謙譲語と丁寧語の3種類の敬語は本当に必要なのか

荊妻豚児(けいさいとんじ)
→ 自分の妻子を謙遜して言う言葉で、荊妻とは、いばらの簪(かんざし)をさした妻、豚児とは、豚の子供という意味。

外国人が日本に旅行に来たときに良かったところの印象として、しばしば挙げられるのが、丁寧というワードだ。

現在では、ホスピタリティという言葉に置き換えた方がピンとくる人が多いかもしれない。

この丁寧さというものが、どこからきているのか。

その要因が敬語にあるという主張を耳にする機会が多いように思うのだが、ここには少々疑問が残る。

相手を思いやる気持ちや、謙遜する心構えを否定するつもりはなく、それはそれで素晴らしい文化なのだが、それをホスピタリティに結びつけるのは強引な気がするんである。

つまり、敬語があるからポスピタリティが成り立つということに関してはエビデンスが全くないように思っている。

敬語の種類と生まれた背景

まず、敬語といっても日本語には、3つの種類がある。

  • 尊敬語:話題に登場する人物のうち、主語で表す人物を上位者とする形式

  • 謙譲語:目的語で表す人物を上位者とする形式

  • 丁寧語:話題の聞き手を上位者とする形式

この3つから成り立っているわけだが、それぞれを詳しく説明できる人は少ないだろう。

それでは、なぜこんなにも複雑に現代社会でも敬語は使われているのか、その歴史を見てみよう。

尊敬語と謙譲語は、8世紀の文献にすでに使われていることがわかっている。

生まれた理由については未だに様々な説があり、通説がない状態ではあるが、古代の身分制社会において上下関係を表す専用の形式が必要とされて生まれたと考えられている。

その後、10世紀になると、謙譲語から派生して丁寧語が生まれた。

そして、それぞれの形式は時代によって移り変わりがあり、時代が経つにつれて聞き手に対する配慮を重視するようになっている。

そのため、 現在の敬語は身分の上下関係を表すためではなく、社会的なマナーとして、ある人物を上位者として扱うことによって人間関係を円滑にするために使われているといえる。

敬語が複雑になった理由

敬語が複雑になった理由は大きく4つあるといわれている。

身分制度の細分化

まずは、上述したが、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3つの敬語があることである。

敬語の歴史は、まず尊敬語の成立から始まっている。

そして、尊敬語が成立した背景には、身分制度確立されたことが要因だといわれている。

身分制度により、相手との間に目上、目下という関係性が生まれたために尊敬語で相手を持ち上げる必要が生まれたのである。

ところが、身分制度が細分化されるにつれて、尊敬語だけではカバーしきれなくなった。

相手との身分の隔たりが大きくなると、相手を持ち上げるだけでは足りず、自分自身をおとしめる必要が生まれてきたというわけだ。

そこで生まれたのが、謙譲語というわけだ。

つまり、敬語が複雑になった理由の1つは身分制度の細分化にあるといえる。

武士社会の成立

そして、敬語は時代と共に変化していく。

敬語の歴史の中で大きな変化が起こったのは、江戸時代の武士社会だといわれている。

武士社会では、身分制度はさることながら、身分が同じ、あるいは自分よりも下である者に対しても、武士であるということだけで、下手な扱いをしてはいけない。

要するに、相手の立場をしっかり立てなければならないという思想が生まれたというわけだ。

こうして、敬語の歴史上、それまでは敬語は身分の上下だけで使いわけられていたのだが、江戸時代に身分制度に関係ない敬語の使い方が生まれたのである。

これが、敬語が複雑になった理由の2つ目だといえる。

丁寧語の発達

さらに江戸時代には、 丁寧語が発達したという背景がある。

その理由は、身分制度だけではない人間関係の発展があったからである。

師匠と弟子、お店と客などといった関係ができたことにより、武家社会だけでなく町人や農民など、その人間が所属する社会に合った敬語が発達したというわけだ。

こういった人間関係の発展が、敬語が複雑になった理由の3つ目だといえる。

現代社会への順応

それから、もちろん敬語は現代においても変わり続けている。

現代では江戸時代よりも圧倒的に複雑に、会社と取引先、上司と部下、顧客というようにビジネスシーンで敬語を使う場面が急増している。

これは身分制度とともに発達してきた敬語の歴史の中で、最も大きな変化だといってもいい。

ビジネスシーンでの敬語の特徴は、同じ相手でも場面で使用する敬語が変わることだ。

わかりやすく説明すると、江戸時代のような身分制度による敬語では、身分は固定しているので、いかなる状況でも使用する敬語は変わることはない。

けれども、現代のビジネスシーンでは、、社内では「◯◯部長は◯◯とおっしゃっていました」というのに、取引先には「◯◯は◯◯と申しておりました」と謙譲語を使うといった具合だ。

これが、敬語が複雑になった理由の4つ目だといえる。

敬語は日本語にしかないという誤解

冒頭の話に戻るが、日本語にしか敬語がないと誤解している人も案外多いことに気づく。

実際は、アジア諸言語の特質に敬語があるとされており、ジャワ語、朝鮮語、韓国語、チベット語、ベトナム語などには敬語があるとされている。

つまり、なにも日本語だけが特別ではない。

このことが、私が日本語には敬語があるから日本はホスピタリティの意識が高いというのは間違いだという理由だ。

だからといって、敬語があることに対して否定的な立場ではない。

敬語は本当に必要なのか?

結論からいうと、私は敬語は必要だという立場の人間だ。

けれども、それは年功序列とか立場をわきまえるとかそういう意味での敬語の使い方とは異なる。

年下に敬語を使うこともあるし、年上から敬語を使われることもある。

場面に合わせて敬語を上手に使いわけることが、コミュニケーションの幅を拡げると思っている。

それから、表現の拡大にも繋がると思っていて、クリエイティブなことをやる上での表現方法に拡がりがあった方が面白い。

相手に敬意を表すときにも便利だし、距離を取るときと縮めるときの道具的な感覚で使えるのもいい。

一方で、敬語を上手に操れなければ距離感がなかなか埋まらないというデメリットもあるだろう。

つまり、ゴリゴリの昔の体育会系のノリのような敬語を使わないといけないという考えの敬語は前時代的だということである。

上手にコミュニケーションを取っていく上でも敬語を活用するという意味で必要だと考えている。

まとめ

敬語の歴史が8世紀に遡るということで、かなり長い歴史があることが理解できたと思う。

そこから様々な変化が起きる度に、最近の若者はという枕詞がある文献が残っているのが常だ。

現代でも、なにかあれば最近の若者はとか、昔はこうだったという主張がされるのは、ずっとくり返されているというわけだ。

そして、敬語を使うことで距離感を保つというイメージがあるが、私はそうは考えていない。

適度に距離を詰めていくにも敬語は使うことができるし、もっというと表現方法を拡げるためにも敬語を上手に使いこなした方がいいと考えている。

そのためには、尊敬語、謙譲語、丁寧語をいちいち細かいところまで理解する必要はなく、混ざっていても全く問題ないと思っている。

何度もくり返しになるが、コミュニケーションツールの1つとして、表現方法のバリエーションを増やすためにも、敬語と上手に向き合うことがいいということだ。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。