ある方が生きた昭和の検証
2018年、私のつぶやきから
友人のお祖父様が他界し
たくさんのネガだけが残った
そのネガの処分の仕方に困り
すべてのネガを私に託してくれた
ダンポールに詰まったネガフイルムが
我が家に届いた
好きなようにしていいですと
託していただいた
少しずつ現像を始めてみる
友人にお祖父様のお名前を尋ねた
残された方のお名前も知らずに作
業が進められないと思ったから
時々話しかけるように現像してゆく
ふとおしゃれな少女の写真で手が止まる
ネガを譲った友人に尋ねてみると
彼女のお母さんとわかる
たしかに友人と似ている
昭和20年から30年ころのネガを一枚一枚
ポジに変えてゆく
なんてすばらしい作業なのだろう
そしてワクワクしてくるのだ
きっと一枚一枚愛おしく
シャッターを切ったのだろう
友人のおじいさんの目線と私の心の目線が
時々結ばれてゆく
この写真 ここを少し傾きかえていいですか?
トリミングしてもよいですか?
空を少しばかり明るくしても?
おじいさんに問いかけながら
私の心を重ねながら
傷ついた部分を修正したり
方向を修正したり気持ちをネガに
重ねてゆく
写真は真実だけを写すものではなくて
心を写すもの 「写心」
記録ではなく記憶として携わりたいと強く思う
一枚一枚に敬意を払いながら
やはり僕は人が写っている写真が好きだ
今の写真にはない飾らないが温かいものを
たくさん感じさせてくれる
この作業に何かの意味をもたせたくなる
天にいる作者と
現世にいる私が表現者となり
語り合い探り合い
ある方が生きた昭和の検証の旅をはじめる
ここにはいきいきとした
昭和の人々が生きている
昨今
ノーベル平和賞に
原子爆弾を落とされた長崎広島の人々が
選ばれた
そう この写真の人々は
原子爆弾投下からわずか10年ほどの
長崎の人々だ
人は哀しくも 強いものだと思う
笑顔が何より先へ進む道標だと
写真たちが語ってくれる