#3 SNSとは?本質的価値とFacebookに期待する事
SNSの現状と凄さ
何か新しいことを始めようとした時、ハードルを上げすぎて長く続かないものはやるべきではないし、少しでも継続できるものをやった方がいい。そんな話は自己啓発本を見ればどこかに書いてあるが、自分の限界を突破する為の挑戦は無理して続けるものではないだろうか?その判断の境界線は難しい。
ただ、私は今回の記事が#3だ。少なくとも「Note始めたのですが、3日坊主でした」と言えるラインまできた。
理想論ばかり語る自己啓発本のかわりに私は助言できる、ハードルを上げても3日は続くと。
そんな話はさておき、今回はSNSの価値、本質と睨めっこした。
私はInstagramを毎日開いたりはしないし、スタイル抜群の外国人お姉ちゃんと、ちょっとエッチなコスプレイヤーを見るくらいだ。それだけでも時間を凄く無駄に奪われた気分になる。
しかし、現在の利用状況を見ると私は少数派なのかと考えてしまう。
これはInstagramをよく利用する人に回答を求めた調査内容だ。
引用①
約70%がほぼ毎日見ていると回答している。
2020年の新成人500名に調査したSNS利用状況も見てみよう。
引用②
連絡ツールになっているLINEを除いてみても、高い利用率である。2020年の新成人が122万人だ。例え1日の平均利用時間が10分でも膨大な視聴時間をSNSは獲得している。
時間とは最上の価値あるものだ。価値あるものは何かと聞かれて、お金以外にも色々挙げる事は出来るが、時間がすべてを包括する。
SNSの価値がここにある。圧倒的なユーザー数を抱え、ユーザーが多くの時間を費やす。その為の仕掛けをInstagram、Twitter、Facebookがそれぞれ、体験の共有、リアルタイム性、社交場と独自性を出している。
圧倒的な人数で生まれる優位性を、ネットワーク外部性と呼ぶ。人が使っているから使う。LINEがその最たる結果だ。周りがみんなカカオトークを使っていたらカカオトークを使うだろう。ユーザー数が増えたら増えた分だけ便利になる。
いいねの数を気にし過ぎて疲れる若者の問題や、他者の評価を気にして投稿してしまうというペルソナの話がたまに聞こえてくる。
しかし、SNSは友人などの身近な人から有名人まで、みんなが使っているから使うというのがサービスの根幹だ。みんながいて成り立つSNS。エンゲージメントを気にして当たり前じゃないか?と思ってしまう私がいる。
むしろ、フォロワーが全然増えない裏アカが継続するか聞きたいくらいだ。
それはSNSでなくても出来るただの日記じゃないだろうか。
(頭のおかしな誹謗中傷用裏アカは知らん)
SNSって結局何なの?何が出来るの?と聞かれて分からなくなってしまうのは、ネットワーク外部性により出た"影響"を定量的・定性的な判断で見ようとした結果、異なる視点がどんどん追加されているからだろう。
・多様化した時代にとって最良の広告ツール
・個人の時代、インフルエンサー
・経済的効果は〇〇円
・昔の友人と繋がれる
・オフラインでは出会えなかった人と繋がれる
・コミュニケーション革命
こんな感じに。
私もこの記事を書くにあたり、論文や記事を色々見てみたが、SNSとは何かを直感的に掴めなかった原因がこれだ。何が凄いのか?と問われると答えられないモヤッと感。
しかし、今回言語化してみて分かった事。
SNSとは?と聞かれたら、広告ツールやマーケティングツールでもなく、それは”巨大なネットワーク”と答える。
SNSの今は見えない影響
FacebookのCEO マークザッカーバーグは2006年に
われわれの会社はガスや水道と同様の公益事業です
と答えた。確かにこれ程オープンで巨大なネットワークは最早パブリックだ。そして、強烈なネットワーク外部性が生む力は製作者達の意図を超えた。どれほどの影響を人類に与えているのか、いや、与えてしまっているのかを想像ができない。
匿名による誹謗中傷の声は人を傷つけ、コミュニケーションの軽薄化が訴えられている。そしてバズるという言葉に現れる流行の加速化。商品もエンタメ体験の消費期限も早くなった。
これらは、高度経済成長期に重工業産業が出した4大公害病のように、SNSが広がった弊害として後々語られる日がくるのだろうか。
Facebookのミッションは叶うのか
テクノロジーの進化が意図しない大きな問題を起こす事は今に始まった事ではない。ただ、昔とは異なり、間違いに気づく頃には社会的責任が問われている程の”でかさ”を手にもっている事だけが違う。
マークザッカーバーグもこれまでは人々が多様な意見を交換し合える場を用意するだけで世界がよくなると考えていたが、その考えを変えたようだった。
2017年6月
Facebookは『世界をオープンにし、つなぐ』というミッションを変更し、
『コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する』
という新たなミッションを設けた。マークはオフラインとオンラインのコミュニティの重要性を説き、目的と支援を必要とする人達の為にコミュニティを再建し、最終的な目標としてFacebookユーザーの約半数である10億人が何らかの“有意義な”コミュニティに所属するように活動すると訴えた。
親密なコミュニティは日本でも現に崩壊を続けている。
自治会や町内会の加入率は低くなり、地域活動の意識も低下、近所付き合いは引っ越しした際の挨拶くらいだ。
私が幼稚園児の時は、隣のおばちゃんがウルトラマンの人形を買ってくれたし、隠れて野グソをしていたら近所の人から母親にチクられたが、現在であれば私のクソは放置されていたに違いない。
え?なんの話してたっけ?
そう、ここで感じるのはFacebookのミッションとビジネスモデルに矛盾を感じるという話だ。
Facebookの資金源である広告主や株主はオンライン上での滞在時間を延ばす、もしくはオンラインで興味を引くようなサービスを求めるが、コミュニティへの所属、再建はオフラインを伴うのだ。いや伴うべきというべきか。
人はバブルのように行き過ぎる傾向がある。
これは私の個人的見解だが、今の社会はオンライン至上主義のように行き過ぎていると感じている。少し戻るべきだと思っている。いくらオンラインで有益な情報が入ってこようが、困っているときに助けてくれる隣のおばちゃんの代わりにはなり得ないからだ。
私はもちろんマークザッカーバーグと話した事はなし、彼が何を思い描いているのかは分からないが、彼はこれまでもやりたい事を貫いてきたし、Facebook上に広告を載せる事へも最後まで抵抗していたという話ではないか。
私としては彼がSNS界でのジャンヌダルクとなる事を願っている。
以上です。
是非コメントをお願い致します。
生きてきた背景が違うのであれば、見る視点が違う。あなたの視点を教えて下さい。
引用①:https://www.bcnretail.com/market/detail/20200219_158642.html
引用②:https://honote.macromill.com/report/20200107/
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