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SNS向いてない、と薄々感じてはいる。

時々、とても醜い自分に遭遇することがある。

無理やり自分をポジティブに見せようとしたり。
他者に対して批判的な自分だったり。
マウントを取りたがったり。

投稿したあとで後悔したり。
「自分、SNS向いてない」と薄々感づいてはいるのだけれど。

何とも言えない気まずさのようなものを感じながら、
それでも何となく続けているのは、ほかに醜い自分の置き場所がないから。
せめてここで供養しよう、そんな感じ。

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先日、「老害化する自分」についての投稿の中で、
「価値観を変える余地を持ちたい」ということを書いた。

その後、noteを巡回していて、
なんかちょっと、うーん、と思ってしまう投稿が目に留まった。

その内容は明るくポジティブで、
何かを楽しんでいるその人の自由な世界で、
別に批判されるような内容ではない。
刺々しさや皮肉めいたところも、
マウントも説教くさいところもない。

私はその投稿を開いたまま、冷静に自分と向き合う。
なぜ私は、これが苦手なのだろう。

無理やり「価値観の柔軟性が大事だ!」と奮い立たせてスキを押すことはできる。
でも、それは違うと思う。

多様性を認めるのであれば、
何よりもまず、自分の好き嫌いを受け容れてもいいのではないか。
ないかな、どうかな。

人には嗜好がある。
何もかもを肯定する必要はない。
批判的な気持ちがあっても、きっといい。

ただ感情的に否定するのではなく、
「なぜ自分はそれが苦手なのか」を知ろうとすること。
私は価値観を遡り、分解し、紐解いて、納得したい。

これは何学だ。心理学か、哲学か、宗教か。

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私だって最低限の道徳やマナーは持ち合わせている。

「なんかちょっと、うーん」をマナーを無視して言い直せば、
「こいつ気持ち悪いな」である。

それは、発信されない方がいい言葉だと思う。
世の中を汚す。自分にも誰のプラスにもならない。
何より自分がそう言われたくない。

マジでみんなそんなに心がきれいなのかな、と常々思う。

色々調べてみると、
心がきれいなのではなくて、
他者のことをそこまで真剣に考える暇がないそうだ。
なるほど。

「お前ヒマなの?」と言われている気がした。
たぶんそれ。答え出た。暇なんだ。

私たちは自分の人生で忙しい。
他人のこと考える暇なんてない。
考えすぎだな。忙しくしないと。

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転職活動を再開した、って話を書くつもりだった。
どうしてこうなった。


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