少しずつはじめ、あとで調整する。それでいいんじゃない?
私にはコンプレックスがある。「それ」は残念ながら30年以上ものなが〜い間、改善する兆しがない。
このくらい生きていると、否応なく「それ」を自覚するタイミングがやってくる。何なら友人からサラッと他己分析されてチクッとすることもある。代表的な人格裏付け手段である星占い様においても、悪気なく「それ」が短所欄冒頭に君臨している。
私のコンプレックスである「それ」とは、「継続力のなさ」を指す。
「変化し続けることを好む」などと性格分析に書かれていることが多いのだが、まぁ要は「飽きっぽく継続力がない」の裏返しで、大体同じエリアに位置しているだろう。
その代わりといってもなんだが、私は自分の「瞬発力」には自信がある(世の中比ではなく、私比)。危機的状況下の集中力と言い換えてもよいだろう。
わかりやすい所でいうと、テスト直前の詰め込み勉強が得意分野だ。それなりに勉強していた友達よりも、前夜だけ勉強した私の方が点数が良いという経験もぼちぼちある。
我ながら、前夜の私の集中力は素晴らしい。もうテスト勉強以外何も目にも耳にも入らない。トイレをする時間だって惜しい(だって一夜しかないのだから)
テスト開始直前に「どうしよう〜全然勉強してない〜」と嘘か誠か友達がいう側で、「私も全然勉強してない、でも昨晩はすごい勉強した」と青グマを作りながら胸を張っていた。
うん、わかっている。これは全く胸を張れる類のものではない。
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そして、私が記憶する限りこの性格はずっと変わらない。
私が小学生だった頃、全校集会で前触れなしに校長先生に立たされたことがあった。他全員体育座りしているのによ。足はもうガクブル。私何をやらかしたのかしら?
私の怖れに反し、校長先生はこう続けた。
「福原さんがゴミ拾いをしていたそうです。しかも誰にも言われずに。地域住民の方から素晴らしいとお電話が入りました」と。
私は呆然としながら、謎の大きな拍手に包まれた。なぜ呆然としたか、自分の記憶を辿れば瞬間的にわかりそうな話が、ぜんぜん思い浮かばないのだ。
そして、しばらくの時間をへてある1つの記憶が蘇った。
全校集会から1週間ほど前のある日の学校からの帰り道、私は近所の空き地の前を通った。そこは雑草が小学生の私の腰の高さのものもあるほど、荒れ果てていた。いつもは遊びながらそこを通っているので気づかなかったが、たまたま1人で下校していたその日は、空き地の荒れ果てた様子が気になった。雑草に紛れてたくさんの空き缶やプラごみが捨てられていたからだ。私はそれをみてダッシュで家に帰った。
そして、おばあちゃんにお願いして大きなゴミ袋をもらい、握りしめて空き地に戻った。
そして、何を思ったか、突然空き缶拾いを始めた。最終的には大きな袋2つ分にもなったし、私の手もベトベトで、終わる頃には結局外も暗くなっていた。
そういえば、その時近所のおじいさんがずっと側でみていてくれて、「偉いね!」と褒めてくれたんだっけ‥‥?そのおじいさん‥‥?
今思えばなんという衝動性の高さだろう。そして、残念なことに、衝動性の印象が残像になるだけで、話の続きはない(笑)
私のこの衝動性が、公共性の高いものであれば、そして継続して行っているものであれば、もう少し美談になったのだろう。しかし、私にとっては「いてもたってもいられない」が思考回路内でスパークしただけ。残念ながら美談にはならなかった。
電話までしてくれたおじいさん、ごめん‥‥。
このように、物心ついた時の記憶を辿っていっても、私は「瞬発力」はあるが「継続性」はないというタイプで長らく変わっていない、そうつくづく思う。
そうだ、結局ウサギじゃなくてカメが勝つ**
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みなさんご存知だろう。「ウサギとカメ」というお話を。
ウサギは足が速いのだけどその能力にあぐらをかいているうち、ゆっくりだけど努力家でコツコツ進むカメに追い抜かれてしまう、というストーリーだ。
このお話のカメのように、やっぱり努力に勝るものはないのだ、と悔しい思いをする瞬間がたくさんある。
中学生くらいまでは、瞬発的な勉強法でまずまず成績は良かったが、高校生くらいになると瞬発性だけの私は、努力家のタイプの人々には圧倒的に勝てない場面が出てきてしまっていた。
それは、受験勉強など長期戦を強いられるものでは顕著だった。国語はこれまでの人生で圧倒的に文章に触れたことのある人(読書をしてきた人)は、勉強しなくても成績が取れる教科になっていたし、英語は単語の暗記をコツコツやった人や文章に毎日触れ合い速読力がついた人が強かった。
「継続は力なり」だし「ローマは1日にしてならず」なのだ。私はある程度の所まではいけても、十分な力には及ばず、コツコツとローマを作ることもできなかった。
コツコツ継続が苦手な私がとった国家試験対策
私は言語聴覚士という仕事をしているが、これは国家試験のpassが働く上で必須条件だ。私の受験時は国家試験合格率が60%と、他の医療系専門職に比べ圧倒的に低い割合で、楽々合格できるような状況ではなかった。
私は、高校受験、大学受験と正直不満足な結果に終わっていた。もはや発揮する力がなかった残念さはあったのかもしれないが、それでも敗因は明らかだった。
「長期間勉強できない」、これに尽きると思っている。
最初は計画性を持って勉強を始めるのだが、途中でどうしても飽きてしまうのだ。だから、私は一か八か、ある仮説を立てた。
人より遅く勉強をはじめよう。そして人一倍焦って勉強しよう
これが大正解だった。
時期的にいうと本格的に勉強をスタートできたのは、(就職活動の兼ね合いもあって)周りの戦友よりも2ヶ月ほど遅れていた。
でも結果的に、ギリギリの方が燃える女である私は、満足のいくまで勉強することができた。やり切ることができ結果、クラス内では恐らくほぼトップの成績で国家試験を合格することができた。
短所に対しても対策を練れば大丈夫、そう思えたひとつの事例だった。
美容、ダイエット、文章力。世の中にあふれる「努力」が勝るもの
勉強はひとつの方略を見いだせた私だったが、世の中には圧倒的にコツコツ継続している人が優位になるものばかりだった(そりゃそうなのだが)。
20代後半から特にその事実は顕著にみえてくるようになった。
例えば、美容。
よほどの天然すっぴん美人を除けば、世の中の美しい方々は大抵毎日小さな努力を重ねている。私は美容家の石井美保さんが大好き。もうメイク、肌艶、そしてボディーまで完璧な美のカリスマ。40歳をこえてもこの美しさで、もう脱帽。
石井さんは、毎日行ったスキンケアをメモして調子の良し悪しのデータを取ったり、この記事でもあるように日々擦らない美容を心がけておられたり、とにかく毎日毎日積み重ねてこられている。納得の美しさ。やっぱり継続なんだ、と人生の先輩が示してくれている。
ダイエットもそう。即時的には痩せても、急激にダイエットをし反動でガッツリ食べると、痩せた分以上にリバウンド!はよく言う話。私の周りのうっとりボディーの女性陣は、急激なダイエットよりも毎日のストレッチを大切にしている。
こと文章を書く力においては、文章をコツコツ読んできた量と比例する場合が多い。なんて心を動かす文章を書く人なんだ!と思う方で読書習慣のない人をみたことがない。
料理はセンスもあるが、ある一定の所までは習慣による技術だと思う。クリスマスだけ頑張る!よりも毎日少しでも作っている方が、旬の野菜の扱い方、味付の技術なんかが少しずつ身についてくる。
勉強だけでなく実生活においても私の苦手な「継続」が必要なものはたくさんあるし、それらを見て見ぬふりができる程勇敢ではいられなくなっていた。
人生に必要な継続を、飽き性の私がどうやって身につけよう
前述したように、これは目下の課題である。
飽きっぽいし、続かない。このどうしようもない性質を対峙できる方法を身につける、それが2019年のひとつの目標だった。
そして、いろいろと考え抜いた結果やってみたことがある。
小さくはじめ、あとで調整する
これが案外功を奏した2019年だった、と振り返る。私なりの正攻法で、みんなが既に頑張っている道を、ようやく私も通過できた感じがしている。
例えば読書。私は小さい頃はそれなりに本を読んでいたのだが、中学生の頃からパタリと読まなくなり、私の読書人生は10代で早くも終焉を迎えていた。一方で、多読の方は文章も知識量も素晴らしいく、思考も奥ゆかしい。私に不足しているのは読書量だと常々自覚はしていた。
そこで、2019年は決めたことは2つ。「好きな時に好きな本を読む」と「読んだら自分なりの書評を書く」ということだった。
毎月1冊!とか決めると、私の性格じゃあまず続かない。だから毎月1冊も読めなくてもOKにした。そのかわり好きな時によみ、必ずログを残すこと。最初は積読もNGというルールも決めておいた。
最初はそのスタイルではじめ、徐々にペースが掴めてきたので、配分を考えて次に読みたい本を事前に用意しておいたり、1週間に1冊は読もうとか、自分なりの小さな調整ができるようになっていた。
結果的には、今年は50冊近い本を読んでいた。読書量としては不足していると思うが、昨年10冊も読んでいない私にとっては小さな進歩だった。
また、料理はもともと苦手意識があって、これまでは作ったり作らなかったりまちまちだった。それこそクリスマスなどイベントの時だけ気合いれたりして、上達しないな〜なんて思っていた。
だからまずは「朝ごはんはバランスよく作ること」から始めた。ありがたいことに、パートナーは仕事の関係で夜ご飯が不要なことが多かったので、夜1人の時は手を抜いてもOKとした。そしてバランス良ければOKにした。味は問わない(笑)朝ごはんって簡単、ありがたい。そんなに朝からメインディッシュバーン!みたいなの食べれないしね。
でも毎日台所に立つ時間が少しできる、これが大切だったのだと思う。今でも少し面倒臭いことはあるけど、毎日キッチンに立てるようになって、少しずつ料理が楽しめるようになってきた。
毎日の習慣ができると、夜ご飯をちゃんと作ることも苦じゃなくなった。元々飽き性なので、レパートリーがかぶらないようにいろんなジャンルに挑戦したり、マクロビの料理教室に通ったりして、栄養のことも学ぶようになった。
文章を書くことも苦手意識があった。前々から公の場で文章を書くことを勧めて頂いていたのだけど、どうしても勇気がなかった。継続できないかもしれないから。
だから、まずは「自分しかみれないWEBサイト」に記事(日記にちかい)をあげることから始めた。
自分しかみれないので何を書いてもOKだ(笑)少しずつ書けるようになってきたな、とおもった段階でnoteに移行した。
noteもまずは、週に1〜2回更新できるという低めの目標をもって取り組んでいる。毎日更新とか私には無理めだと踏んだのだ(笑)
習慣化をはじめて味わった
31歳にしてはじめて。私のコツコツなんて大したことなさすぎる前提はあるのだけど、それでも、自分なりに前に進めたという満足感のもと2019年をしめることができた。
みんなこれを小さい頃からやっていたのね!!(笑)
もう自分の「継続力のなさ」に関しては大分諦めていたのだけど、ここにきて、方法を検討すれば、継続力のなさも少しマシになる体験をした。
大きな目標をもたないこと、小さく始めること、やりながら調整すればいいこと
コツコツ続けられる人の世界に追いつけることはないかもしれないけど、
それでも去年の私よりも今の私の方がちょっとだけ自分が好きになった、それが2019年一番良かったことかもしれないな。