母と女は共存できるのか
出産して3年ちょっと、わたしはだいぶ強くなった。
夫は仕事が忙しいため、子どもを含む家庭のことはすべてわたしが担っている。なんども話し合って決まった我が家の役割分担。周りからどう思われようと納得しているので問題はない。
母に傾きすぎている自分
父親の出番が少ない我が家は、その分を母親が埋める。
わたしの中でメーターは常に母親に振り切っているわけだ。
家族の世話に忙しく、子を守る母性本能全開の母親像はわたしにとって、か弱い女とは対極になる存在。もちろん、どちらにも含まれる要素もあるのだろうけど、性的な、あるいは美しく、みたいな要素はどうしても母業に邁進していると薄れていく気がしている。
フラットな自分の左右にある母と女。
わたしは、常に母に傾いたまま毎日を過ごしている。
女を求めてくる夫
「自分をあてにしないでほしい」と夫はよく言っている。なんて無責任なんだろう、と以前は揉めることもあったが、そのおかげでわたしはひとりで何でもできるようになった。
しかしその一方で、夫からは ”かつてのかわいい妻” も求められる。
そう、ここで言う「女」に振り切ったわたしである。
自由気ままなDINKS時代、もしかしたら結婚する前のわたしを思い出しているのかもしれない。
たまにはふたりでデートしたい
かわいい服を着てほしい
もっと甘えていいよ
いやいや、待てよ・・・
わたしからしたら、自分を必死で母親に振り切って生活しているのだ。振り切りすぎて、もうフラットな自分に戻る方法すら忘れてしまった。そんな中で、対極にある女を求められても困ってしまう。
人によって、この感覚は違うのかもしれない。
母業に邁進しながら、自分も女も見失わずにいられる人もいるのかもしれない。でも四六時中子どもと一緒にいるわたしには無理だ。
まずは自分を取り戻そう
もちろんいつまでも綺麗でいたいし、夫とふたりの時間も大切にしたいとは思う。子どもが巣立ったあとも、夫婦なかよく暮らしていきたい。頭ではわかっているが、気持ちがどうも追いつかない。どうしても、振り切ったメーターを上手く戻せない。
だからまずは、ひとつずつ思い出す。何がすきか、どう過ごすと心地よいか、何が苦手で、どう感じるか。思い出したり、また新たに感じたり。
か弱くて守られる存在でありたいとは思わない。ただ、かつてのように女性で生まれたことを楽しみたいとは思う。
いよいよ幼稚園入園が間近に迫る。
すこしできるひとりの時間は、そんなリハビリにあててみよう。
母ではない自分をたぐりよせながら、女であるわたしをまた楽しめるように。