梅雨休み中に気がついた「人間の価値」の真実
「何もしていない私は価値がない」
この気持ちによって発生した精神的不調により、自主的な休養期間にはいって2週間以上たつ。梅雨シーズンなので「梅雨休み」と名づけることにした。
意識的に休養をとるなんて、以前の私からすれば考えられないことだった。
何かをしていないと、自分の価値が下がったような気がして不安になる。だから、いつも頑張り、忙しなくしていないとならない。
「休む」に対して、罪悪感や自責感まであった、という話は以前の記事でもした。
明確な休みといえば、限界が訪れたとき。
そして次第に疲れがたまっていき、無気力になったのが事のはじまり。
日課のツイッターも、1日分のツイートを朝にまとめて予約投稿したら、あとはスマホ自体放置。なにもせず、なにも感じず、無でありたい。生産性のある行動はせず、動きたくなったら動いて、書きたくなったら書いて、という生活をしていた。
はぁ、なんてムダな時間をすごしてしまったのか……と、自責したくなる。
が、肝心な結論からいって、意外とムダではなかった。むしろ、自主的に休養をとってよかったと思っている。
足かせになっていた「人間の価値」に対する価値観が、大きく変わる機会になったからだ。
どこかで何かを頑張っていないと、成し遂げていないと、すごい人にならないといけない感覚があり、そうでないと「自信や価値は高められない」と思っていたけれど、これは大きな間違いだったのだ、と。
休養をとっていたある日、
「あ、私は何者でもなくても、何もしなくてもここに居ていいんだ」
と、急に思えるようになった。
私が何をしても、しなくても、周囲は変わらない。価値があるなしに関係なく、日常は当たり前にすぎていく。非生産性の行動ばかりしているのに、それに対して他人からとやかく言われることもなかった。
当然。
私がどんな気持ちで頑張っているかなんて、自分にしかわからないことで、世間や他人は知るよしもない。だったら、好きに生きてもいいのではないか。価値がどうこう考えること自体、無意味ではないか。
「私は何もしなくてもここに居ていい」は、自分の周囲にとりまく事実を、客観的な視点で感じとれた結果だった。
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「何もしていない私は価値がない」の根底にあるのは自信のなさ。でも、そのほかにもっと深い問題がある気がするので分解してみる。
いちばん気になるのは、何かをする、しないの「形」に注目していること。そして、心の柔らかいところを覗くと、その「形」を他人にみられて、悪い評価をくだされる「恐怖」も見え隠れしている。
何もしていないと責められるかもしれない。
「甘えている」と、後ろ指を刺されるかもしれない。「かもしれない」への恐怖。
かりにそう言ってくる人がいたとしたら「自分も、他人も認められない寂しい人」と、考えればすむ話。
なのに、自信がなく、自分を認められない心の隙間は理解はしてくれない。他人からの悪い評価は、「自分の価値をおびかすもの」として認識しているようだ。
すでに価値のない自分。他人から悪く評価されて、その価値が今以上にさがってしまうのは、余計生きづらくなるから困る。だから、なんとしてでも避けなくてはならない。
頑張りや忙しさを強要し、「休む」を許さないのは、価値を感じたいのと同時に、価値をおびやかす「他人から悪い評価」から自分を守りたいから、ではないか。
自信や価値を感じられず、他人からの評価に敏感になり、自分に対して「弱々しい人間」というセルフイメージを持っている人は、きっと同じ感情があると期待したい。
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ときに他人からひどい評価をくだされ、自分自身を否定されているような、まるで「価値がない」と言われているような絶望感に襲われる時もあるけれど、理性的な部分でよく考えてみてほしい。
絶望感は価値をおびやかされているのではなく、悪い評価をくだされた出来事に対して、単純にショックをうけているだけ。
あなたの「人間としての価値」は、他人の評価でゆらいでしまうようなモロいものなのだろうか。私はそうは思わない。
誰にでも平等にあり、肩書きやスペックなどでは変動せず、外部からの攻撃にも動じない、自分自身の芯深くに存在するのが「人間の価値」だと、考えが変わった今の私からは言える。
愛読している精神科医 水島広子先生の著書にこんな言葉があったのも、考え方を変えたきっかけになった。
私たちは酸素を吸わなければすぐに死んでしまう存在ですが、例えば常に空気が素晴らしい、空気が吸えるなんて、私はなんと恵まれているのだろうなどと思っている人はほとんどいないでしょう。
でもみんなが空気の価値を知っていますし、なくなると困るということは無条件にわかっています。「空気なんていらない」、「空気なんて嫌だ」と思っている人はいないはずですし、常に「そもそも空気には価値があるのだろうか?」などと、問い直している人もいないはずです。
そのくらい当たり前の価値が、空気にはあるのです。私たちも同じです。その価値すら考える必要がないほど、価値があって当たり前の存在なのです。
引用元:小さなことに左右されない 本当の自信を手に入れる9つのステップ p.146
空気がないと死んでしまう。
人間にとって空気は価値のあるものだけれど、そこら中に存在しているから、普段はありがたさに気がつかないし、「空気は価値があるのか?」と、考える必要もない。
ある日突然なくなりもしないだろうから、価値がへった増えたと一喜一憂しなくてもいい。
そして、自分自身に対して価値を感じられるか、いなか。他人からの良い悪いの評価。素晴らしい肩書きがあるか、ないか。何をしているか、していないか。そんなものに動じやしない。
空気のように当たり前に、大きな価値があるのが「人間の価値」なのだ。
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