危険な背中
女はBARの中央にある木製のテーブルの前にひとりで座り、こちらに背を向けていた。
周囲には客はおらず、女だけがポツンと太平洋にうかぶ小島のように、いた。その様子を店の1番奥の席から眺めていた。
肩まである黒い艶のある髪。細身の身体に、分厚く品質のよい生地で作られた黒いワンピース。黒いパンティストッキングから肌が透けている。女が座るには苦労しそうな、背の高いイスに腰掛け、組んでいる足先が浮いている。足首の細さを際立てる、ハイヒールの赤い裏地がみえた。
女はテーブルに広げている白いノートらしき物にむかって、手元をしきりに動かしている。手には黒く光沢のある、筒状のペンが握られている。ボールペンにしては太すぎる。万年筆だろうか。
ひとりの女が携帯電話に夢中になり、時間を潰しているのはよく見る光景だ。読書をしてるだけでも珍しい。にもかかわらず、女が万年筆で物書きをしているこの光景は、珍しいどころの話ではない。
耳障りにならない程度の音量で、歌詞のないクラシックジャズが流れる。店のいたるところに高そうな酒のボトルが飾られている。客のために用意されたワイングラスが逆さまに飾られ、それさえも店の雰囲気を高めているようだった。
薄暗い店内は、橙(だいだい)色の柔らかい光だけで照らされていた。その光は、女に薄いベールをかけるように柔らかく包んでいた。
橙色の光が万年筆に反射して、女が手を動かすたびに、きらきらと揺れる。暗闇にまう、輝く蝶のように。店の中央をゆらゆらと、彷徨っているようだった。
背を向けるひとりの女。細身の身体を引き立てている、女の装飾品たち。店の雰囲気。すべてが、ひとつに交わっている。
女は、こちらが上から下まで舐めまわすような視線を送っていることに気がついていない。変わらずノートらしき物に休むことなく、周囲をぼうっとふけることもなく、手を動かしている。
一体、何をしているのか。
女とのこの後の展開を妄想しながら、席を立つ。
先週おろしたばかりのクロケット&ジョーンズの靴底をわざと鳴らしながら、いっぽいっぽ近づいた。ちょうど仕事帰りに立ち寄ったので、スーツを着ていた。今の姿なら異性との出会いに、いつどこで遭遇しても恥ずかしくない。むしろ好印象を与えられるはずだ、という自負があった。
戦闘態勢は整っている。それもあいまって、フロアをける勢いも増した。女のテーブルまで歩いた。
うなだれた女の横顔は、肩まである髪で隠れている。女の手元が目に入る。ノートには連続して描かれた「○」でグルグルと埋め尽くされ、一面が真っ黒になっていた。
万年筆をにぎる手は赤くただれ、深爪になった指先からは血がにじんでいる。爪の周りにはささくれを剥いて、しばらく時間が経過した痕跡があった。
女は顔にかかった髪の隙間から、黒目だけをこちらに向けた。ただ目玉がふたつあるだけの、それ以上の意味を持たない視線だった。
じわり。冷たい汗が背中をつたった。
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