![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94363123/rectangle_large_type_2_f37734aaa1cc76a81ae48a9a684a3bd8.jpeg?width=1200)
安易に得るものは、安易に失う(お金編)
「安易に得るものは、安易に失う」
これは、僕がベンチャー経営をしていた時の、投資家からもらった言葉です。
起業や経営をしていると、どうしても届きやすいところに手を差し伸べがちになるもの。
そんな時に、この言葉がふっと出てきます。
何度もこの言葉に、助けられ励まされ、そして僕はいつも心を引き締めています。
今回は「お金編」
投資家からの出資
この言葉をもらったのは、ベンチャー創業2社目のとき、投資家から出資という形でお金を預かった時のこと。
出資というのは、株主として起業家/経営者にお金を預けて、そのお金を元に事業を大きくして、儲かった分から配当をもらったり他の株主に買い取ってもらうことで、利益を得る仕組み。
経営者は出資を受ける時に、どんな風に事業を伸ばしていけるかを納得してもらって、そのお金を預かるので、プレゼンや説明資料が重要になってきます。
その提案に、心にも思ってもいないような成長シナリオを描き、出資をしてもらう…ということも、実際には可能なこと。
そりゃそうですよね。心の中までは見通せないはず。
だから理論上は、口八丁手八丁でいろいろな理由をつけて、投資家を言いくるめることができれば、お金を調達できるわけです。
僕はこれまでに数社で数億円の出資を受けてきた経験があって、毎回やっぱり不安はつきもの。
未来のことは、やっぱりだれにもわからないことも多いですしね。
だから、そこには真摯に誠実に向き合う必要があると思っています。
ただ、これまでに出会った起業家の中には、出資を安易に考えている人も多くいるのをみると、ヒヤヒヤします。
銀行融資/借入は返さなくちゃいけないけど、
出資なら返さなくていいし。
こんな風に、安易に「もらえるお金?」と勘違いしている…勘違いをしたいのかもしれません。
借りると失敗しても借金が残るからですね。
僕も、会社設立当初は、本当によくわからなかったんです。
なんでこんなにお金を出したがるのだろう、なんで持っているのだろう、何を期待しているのだろうと、不安になってました。
(「会社創業→すぐ潰れそうになる→新聞一面で電話が鳴り止まなくなる」のあたり)
結局、自分の認識が甘く、合意のプロセスも甘く、他の選択肢がもっとあったのに、それが十分でなかったのです。
株主比率の原則で、経営判断を飲むしかなかった…
(でも、いまとなれば、この経験にものすごい感謝してます。)
もちろん、出資は出す側の責任というのは原則かもしれない。
でも、受け取る側も安易に考えると痛い目に遭うもの。
それ、借入の方が、あとでラクだよ?
投資家に説明できるだけの自信があるなら、
借入でいけるわけだから銀行のほうがいいと思うけどなー…
出資の相談に、いつも僕はこんな壁打ちのボールを打ち返すのです。
起業家に、確認をしてほしいから。
本当に出資でなければならない理由を、磨くために。
もちろん、考え過ぎてもチャンスを逃してしまうから、選択をしないといけない。
けれども、他の選択肢をちゃんと考えたのか、その投資家ではなくてはいけないのか、ということもちゃんと向き合わないといけない。
今回を見送っても、いい出会いはきっとあるはず。
これしかないと、安易に選んで失敗することも多いから。
少なくとも自分の経験では、そう思えるんです。
そのためには、自分の感覚と信念に従って焦らないことが大切。
だから、これだけは、やっぱり伝えておきたい。
助成金・補助金
起業のタイミングでは、多くの助成金や補助金の支援があります。
成長時期においても、国の制度や支援組織からの制度もたくさん。
でも僕は、そのほとんどを使いません。
申請書って面倒だし、それを書いている時間あったら、もっと企画書とか書きたいし、営業したいし〜
いつも僕が思って言っていること。
これは本音。
書類を通すためだけの資料を書くのなら、時間さえあればいくらでもかける。きっと、それを仕事にもできるくらい、それっぽく書くのは得意。
でも、制度もいろいろ変わるし条件も変わるし、安易に「もらえるお金」のために、たくさんの情報収集に時間をかけなければならない。
気にかけている時間も、情報収集している時間もたくさん必要。
それも、仕事に追われながら。
そして時にはちょっと無理な計画を書いて、提出することにもなるのが世の常。
だって、通すためなのだから。
ほとんどが通ってからの経費計上だから、タイミングによっては事業開始を待たなくてはならないことも、ある。
そして最後には、報告書などの提出が待っている。
場合によっては、経過年で報告も必要になるし、補助の入っている事業は簡単に止められないことも多い。
もちろん自分で出したこともあるからの経験値。
このモヤモヤが、何だかとてもイヤで…
もちろん、純利で入ってくるお金は大きい。
たとえば50万円のお金だとしても、たとえば売上なら2倍以上は必要なのだから、月10万円の売上を取るよりも効率的なのかもしれない。
でも、申請書にかける労力やタイミングを考えた時に、本当にその選択は見合っているのか?というのは、やっぱり疑問に残ってしまう。
だって、一時金なのだから。継続じゃない。
もちろん、災害やパンデミックなどの政府が出した緊急対策のものは例外だし、それで何とか持続できることもあるから、それは話が別。かけるだけの価値はあるし、僕も申請していただいた。
「もらえるものは、もらう」というのもわからないでもないんですけどね。
でも、結局は、もとが税金。
誰かの新しいのチャンスを奪っているかもしれない。
ほどほどにしないと、結局、どこかにツケが回ってきてしまう。
委託事業
委託事業は、自前でできないところを外部の組織に委託するしくみ。
例えば行政の業務委託であれば、社会の担い手ともいえるものだし、審査を通じて選ぶプロセスは公平さを担保しています。
私も3年ほど、県や市の委託事業を受けてきました。
もう申請のコツは掴めているし、事業を取れる自信もあるのだが…
でも、4年目以降が同じ内容なら、辞退することにしています。
まずこれは税金だし、同じ団体が受け続けることって、いろいろな意味で良くないという気持ちが一番。
誰かの機会を奪っているし、新しいことも次々とは生み出せない。
そして、だんだん慣れが生じてくるということは、避けられない。
加えて、委託なので主張が通らないことへの葛藤も大きい。
自分の想いを通しきれないが、委託であって下請けではないので、そこはできるだけ伝えるようにしてきたんですが。
やっぱり責任も感じるから、あまり中途半端には受けられないのです。
そしてなにより、委託事業をアテにしてしまうことへの戒めとして、ケジメを付けることにしています。
自ら事業を切るって、結構勇気のいることなんだけれど、断腸の思いというか・・・プロジェクトとして割り切るしかないのです。
委託事業に依存することって、とても危険な状態…
とても多くの組織が、委託事業漬けになって抜け出せないのを見ています。
行政もわざわざ変えることへの大変さを考えると、そのまま継続してしまうことも多い。
安易さを選ぶことへの怖さを、いつも感じるのが行政の委託事業なのです。
会費や寄付金
特にNPOなどの運営で、会費や寄付金をもとに運営しているところはとても多くあります。
その会費や寄付金が毎年更新してもらえるものだと、勘違いをしてしまうのはとても危険なこと。
僕も約20年近くたくさんのNPOの経営にも関わってきているけれど、事業計画を作る時に、やっぱり悩むポイントのひとつ。
毎年、自分たちは評価されているわけで、今では、たくさんのNPOや社会課題解決組織が登場し、一人が出せる寄付や会費の限界もあるわけで、自分もやっぱり選んでいるから。
ただ、いつスイッチされてもおかしくない状況というのをちゃんと認識をしておく必要があるし、会員を抜ける時は応援しないという宣言をしてしまうようなものになるので、それも厄介なことになってしまう。
いろいろ難しい。
でもやっぱり運営側は、どこか甘くなるのが会費や寄付。
いろいろな事情で、徐々に減っていき、気がついた時には運営基盤を揺るがすような状況になってしまうことも、ある。
当たり前のようにもらえるお金はない、と、いつも心に留めておきたい。
クラファン
クラウドファウンディングは、お金を通じた気持ちの応援。
共感の気持ちが、お金という形を通じて、応援される仕組み。
僕も、何回も参加側も実行する側として関わっていることが多い中で、この仕組みは、いろいろと怖いなぁと思うことが多くあります。
運営側として、どうしても総額を追いかけてしまう。
ただ、小さな金額がたくさん集まってくるという性質であり、小さな一票の積み重ね。
小さな善意が、大きな応援となってプロジェクトを成功させていることを、見失いそうになるときが、募集期間中に、必ずあるのです。
お金が集まるまでは頑張れるのに、集まると気持ちが途切れてしまうのかもしれない。
頑張りすぎて燃え尽きるような危険さも持っていると感じるし、実際の発送までのタイムラグも気持ちを高め続けるには難しい時間になってくる。
本当に主宰すると、お金と思いを集めるのって、なかなか難しいことを実感する。
そして、参加側としては、クラファンでお金が集まりやすくなった一方で、すべての人のうちのひとりという感じで、雑に扱われることも多くなった感があります。
どうしてもシステムを使うので仕方ないけれど、仕組みの一部になってしまう感じに距離感を感じざるをえません。
これまでにも、いろいろな事情はあれど、ものすごい遅延をして忘れたころにやってきたり、中止になってよくわからなくなったものも多くあります。
純粋な応援だからこそ、そのギャップは大きい。
やっぱり、二度と応援したいと思わないしね。
期待のぶんだけ、外れた時のギャップは大きく跳ね返ってくるから、細心の注意が必要ですね。
お金の色
お金には、色があります。
そのお金は、誰から預かったものなのか。
お金に想いが乗っていると、好きに使って良いわけではない。
そして、1つの財布に入れてしまえばわからなくなってしまうのがお金。
森を見て、木や葉が見えなくなる。
「お金をもらった」ような勘違いを起こすことさえ、ある。
だから、ちゃんとひとつひとつ、お金のことに向き合わないといけない。
想いと一緒に受け取らないのであれば、お金で価値を交換する資本主義のビジネスで解決していくしか選択肢はない。
私が以前、行政の起業家支援の事業を受けたときのこと。
最終的に20人の伴走支援の事業が、約800万円の委託事業。
県民は800万人いるから、一人1円の税金が託され、20人に40万円の支援を受けているということ。
だから起業家は、県民の想いを受けているわけだから、ちゃんとその想いを無駄にしないようにしてほしい。
そして、20人以外に選考から落ちた人のぶんまで、がんばってほしい。
もちろん僕ら運営も税金で運営しているからこそ、この地域のために最善を尽くしたい。
行政担当の代わりに、こんな言わなくてもいいことを、私は起業家支援のキックオフで、起業家に伝えてきた。
何かを背負えとか、押しつけるという意図は、全くない。
これから社会を歩む起業家が、いろいろな形でお金を預かっていくことになる中で、お金の色についてのことをちゃんと理解して欲しいから。
安易に得るものは、安易に失う
結果として、思うような成果がでなくても、それは仕方が無い。
だからこそ、起業家は、誠実にお金に向き合っていくことが、とっても大切。
お金を扱い託される起業家だからこそ、どう使うかで誰かを幸せにも不幸にもしてしまうものだから。
こうやって、文字にできることが、僕にとっても再確認できる機会。
いまいちど、自分にも言い聞かせておきたいと思います。