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詩歌ビオトープ017: 生方たつゑ
詩歌ビオトープ17人目は生方たつゑです。
そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。
いやー、やっと女の人が来ましたね。
この人は1905年に三重県で生まれました。日本女子大学を卒業後、結婚して群馬県に移り住みます。その頃「アララギ」で活動していた今井邦子に師事します。そうして30歳のときに処女歌集「山花集」を上梓しました。てことは、最初は「アララギ」の人だったんですかね。どうなんだろう。
戦後は窪田空穂がつくった「国民文学」に入会し、この雑誌を発行していた松村英一に師事します。
52歳のときに出した「白い風の中で」で読売文学賞を受賞、戦後の女流歌人の第一人者と呼ばれているそうです。
さて、今回もいつもの通り、小学館の昭和文学全集35に収められた歌を読んでいきます。
本書には「山花集」から51首、「白い風の中で」から61首が収められていました。「山花集」は写実的な生活詠が多かったですが、「白い風の中で」はあまり生活感を感じない歌が多かったです。
ということで、僕の分類では、xが11、yが15の自然主義的かつ写実的になりました。
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「野花集」だけなら、もっと窪田空穂に近い感じになっただろうなあと思います。
たとえば、この歌が印象に残りました。
梅雨晴(つゆば)れの暑き畔に休らへば陽は麦束(むぎたば)の上にきらめく
桐(きり)の実の雫(しづく)に霑(ぬ)れて落つるありこのひとときのさびしさに堪(た)ふ
すごくきれいな風景を詠む人ですよね。
あと、この頃は子どもや夫のことを詠んだ歌も多かったです。
細りゆく脈数へつつひたすらに汝を歎きまもるこの父と母と
でも、「白い風の中で」では、そのような生活詠と呼べる歌はほとんどなくなっていました。
雪の粒子さへちぢまるうへを滑りきてまづしき春の日のなかの塵
打ちあげて秘密なきまでくだけゆく岬(さき)のうしほのいづくに縋る
海石に貝を磨ぐ夜よかりかりとかなしき無機の摩擦音たてて
浜菊のむらがり白き丘吹きてかがよふ風よ人に逢ひたし
本書の解説には「写実的詠風から心象重視に移行」とありましたが、僕的には写実的詠風は最後まで変わらなかったというか、やっぱりそこがこの人の魅力だったのだと思います。
ただ、何というか、きれいさ、美的感性がどんどん研ぎ澄まされていって、どこかでもう現実を超えてしまったような、そんな気がするのです。
生活というのは、美しいかどうかだけじゃないじゃないですか。もっといろいろなことが混沌としたものです。
でも、そうじゃなくてただ「美」というものに焦点を合わせたら、そりゃまあ、現実というか、生活から離れますよね。なんか、そんな感じがしました。
たとえば「このひとときのさびしさ」「秘密なきまでくだけゆく」「かなしき無機の摩擦音」のように、風景の色彩が描かれているだけでなく、そこにさらなる色彩として心象も描かれているのがこの人の特徴なのかもしれません。
すごく、きれいで深みのある歌を読む人だと思いました。こんな歌を詠んでみたいものだなあ。
ということで、18人目に続く。
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