詩歌ビオトープ015: 前川佐美雄
詩歌ビオトープ15人目は前川佐美雄です。
この人は1903年に奈良県で生まれました。高校卒業と同時に「心の花」に入会、佐佐木信綱に師事します。高校卒業後は東洋大学に入学、卒業後は奈良に戻りましたが、文学を志して再び上京、「心の花」の編集・選歌に関わりました。
「アララギ」の写生歌を批判し、土屋文明と論争をしたこともあったのだとか。その一方でマルクス主義に共鳴し、活動もしていたそうです。
処女歌集は1930年、27歳の時の「植物祭」で、これはシュールレアリスム的な世界観が大きな反響を呼ぶこととなりました。また、1934年には「日本歌人」を創刊。この雑誌は塚本邦雄や前登志夫、山中智恵子、大西巨人などを輩出しました。センスのいい人たちの憧れの存在だったのでしょうね。
戦時中、積極的に戦争を賛美する歌を詠んでいたことから戦後は糾弾されましたが、塚本邦雄や岡井隆らの前衛短歌運動の中で再評価されることになります。
亡くなったのは1990年。1992年に刊行された第14歌集「松杉」が遺歌集となりました。
さて、いつも通り今回も、小学館の昭和文学全集35に収められた歌を読んでいきます。
本書には「植物祭」から49首、「大和」から61首、「紅梅」から16首、「捜神」から44首の合計169首が収められていました。
で、僕の分類ではこの人はxが6でyが9、黄色の「音楽的かつロマン的」な人になりました。
この人は、ちょっとすごいですね。萩原朔太郎はこの人について何か言ってるのでしょうか。もしかしたら朔太郎の考える「詩」は、この前川佐美雄の歌なんじゃないかって、そんな気がします。
まるで現代詩を読んでいるような感覚になりました。何ていうか、言葉が完全にイメージなんですよね。多分、言葉というものを、それが指し示す具体的な対象から完全に切り離して扱うことができる人で、それって今の時代の、たとえば最果タヒとかにも通ずるところのような気がします。
今の時代における詩的なセンスって、そういうもののような気がします。言葉が言葉としてちゃんとつながっているのだけれど、何を言ってるのかよく分からなくて、でもなんか、すごくいい、という感じ。
たとえば、次の歌が印象に残りました。
なんだろう、いわゆるイメージの跳躍がありますよね。本来ならば来るはずがないのだけれど、なのに不思議にすっと収まる言葉が来ているような。
正直なところ、僕個人はこういうの好きかと言われると、あんまり好きじゃないんですけど。でも、好きな人は多いですよね、この人の歌のような詩。僕は別に好きじゃないけれど、こういうジャンル、こういうスタイルのすごさというのは分かります。
もっと一般的にも知られるべき歌人だと僕は思います。こういう歌が読みたかったよ! って人、すごく多いと思う。
というわけで、16人目に続く。