詩人や歌人の分類は可能か その1
昨日とは打って変わって雲一つない青空になりました。そして気温もとても暖かかったですね。
さて、昨日新しい遊びを始めるぞ、とぶち上げたわけですが、大きな問題があります。それは、詩人や歌人をどのように分類するべきか、ということです。というか、そもそもそんなことは可能なのか。
一つの方法として、歴史的文脈で分類する、という方法があるなと思いました。いわゆる系譜図です。近代歌人については、その系譜図を表にしたものがネット上にありました。これを参考にするのもいいかもしれない。
これに生物学の分類を当てはめてみる。たとえば、ヒトという生き物は真核生物の動物界の脊索動物門の哺乳綱のサル目のヒト属のヒト科のヒト種、なんだそうです。
ここから目と属と科を転用して、たとえば北原白秋は浅香社目の明星属のスバル科の歌人、としてみるとか。
ちなみに、このような系統図は一体歌人にとって何を意味しているのか、という疑問を呈した記事を見かけて、とても興味深かったのでここにシェアしておきます。
ここに書かれていることは本当にその通りなのだと思う。実作者としてはそうなのでしょうね。
まあでも、どうなんだろう。側から見てると、こういう系譜図ってすごく面白いんですけどね。落語とかと同じで。別に三遊亭だからとか立川だからとか桂だからとかないんだけれども、ああ、この人は談志の孫弟子さんにあたるのか、とかね。そういうの、面白いんですけど。別にそのことと、その噺家さんが面白いかどうかはまた別として。
あと、分類ということで言うと、短歌の主題もいくつか分類できるようです。たとえば、自然詠、季節詠、動物詠、相聞歌、思想詠など、さまざまあるようです。もちろん、どの歌人もさまざまなものを詠むのでしょうが、人によってこの人はこれが得意、みたいなのがあるでしょうね。
むしろこっちで分類できたらいいけれど、できるだろうか、そんなこと。
まあ、昔の人なら調べると大抵どのジャンルでいい歌や詩を残した、というのが分かるでしょうけれど。
なんてことを考えながら、さてどんな風に分類してみようかなあ、と考えています。
分類が可能か、それに意味があるかは、実は傍観者に過ぎない僕にはどうでもいいことなのだと思います。出来ないなら出来ないなりに無理矢理分類すること自体が目的の遊びなので。
ということで、この話はもう少し続きます。というか、こうやって構想を考えているときが、実は一番楽しいときだったりするので。
また明日。
おやすみなさい。