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書けない虚しさを麦茶で流す夜

お晩です。
つい数分前に机に向かい、駄目だこりゃと筆を置いた夜ですね。

数週間前にさかのぼり、インスピレーションがびびびと刺激される場面に遭遇しました。
憂鬱な仕事場へ向かう道中、三角交差点のちょうど三角の先端部分に、数本の木が植えてあります。年に一回ほどは、カラスにしつこく襲われて「なに!?」ってなっている人を見かけますが、普段は平和でさらさらと手入れされた葉っぱが揺れている、何人かは「都会のオアシス」とか言いそうな場所です。
そこに一本の電柱が立っています。何だかその日はカラスの鳴き声がうるさかったんです。電柱の上にいるカラスが、ずっとカアカア鳴いていました。

うるさいカラスの真下の道に、美しい置物のような死がありました。人が行き交う道の隅に一羽のカラスが座っていたんです。両脇の羽をしずしずと正し、ピクリとも動かずコンクリートと同化するみたいに「座っていた」。人はみな、ちらりと横目でカラスを見て、そのまま通りすぎていきます。職場にぎりぎりで到着する私も同じように、通り過ぎました。額の羽に隠れた瞳は開いていたのか閉じていたのか分かりません。そこまで観察できませんでしたが、うるさいと思ったはずの鳴き声を聞くうちに、これは死んでいるのだと理解しました。電柱から動かないカラスのカアカアは、叫び声のようにも思えます。死んだカラスに対してなのか、これから死んだカラスを回収する人間に対してなのか。

それから仕事をした後の帰り道。死んだカラスは綺麗に無くなり、電柱に留まっていたカラスの姿もありませんでした。誰も見向きもしない道の隅に立つと、あの叫び声が耳の中で木霊しておりました。

と、なんだかおもしろい場面に遭遇したな~~~!と温めていたら、温めすぎて腐り、うまく物語に落とし込むことができなくなってしまいましたとさ。あーあ、しょうがないので、こんなこともあったなという思い出に丸め込んで、麦茶と一緒に流し込んでしまおうと思った、七月二十六日と二十七日の狭間の夜なのでした。


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