心を見つめる2

座禅しながらの瞑想。
これで、何度か助けられた。

ボランティアで頑張っていた頃、
いのちが危うい目に幾度も出会っている。
明日の対応に煩悶するとき、
瞑想しながら、
こころの声に耳を傾けた。

不思議に落ち着き、
何とかなると、
楽観的な気持ちになれた。

私の場合、
瞑想は唯一の相談相手。
悩みを打ち明ける友人は誰もいなかった。

たとえ、友人に説明しても、分かってもらえない、
そういう種類の非常にむずかしい問題だった。

大きな問題がないとき、
座禅の瞑想に入ると、
聞こえてくるのは心臓の音だけ。

そして、
心臓の拍動に合わせて、
全身に鼓動が広がっていく。

まるで、湖面に投げた石で
波紋が広がるように。

ボコボコという
心臓の拍動だけに
包まれた世界。

それが、座禅中の世界。

母体の中で胎児が育つとき、
胎児が受ける最大の刺激は、
母の心臓の鼓動だろう。

座禅しているときは、
胎児と同じような状態。

母の胎内で安心して
まどろむ。

私の座禅は、自己流。
本から得た知識だけ。
指導者はいない。
しかし、座禅歴は約40年。
充分に長い。

古稀を過ぎ、
自分の愚かさに気付くことが増えた。

74にもなれば、もう少し賢くなっているはずなのに。
私の座禅は、悟りを目指すものではない。
悟りなど、私には無縁。

人は愚かなままで年取っていくようだ。

つづく


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