週報 2024-04-29
週報という試みを始める。
インターネットでウケるための文章を書くための取り組みだ。
消費コンテンツとその週に考えたことを書く。
消費コンテンツ
フーコー入門/中山元
外資系コンサルのスライド作成術/山口周
これが生活なのかしらん/小原晩
会話を哲学する/三木那由他
転生したらスライムだった件 三期1~4話
ダンジョン飯 11話~13話
今週は『これが生活なのかしらん』が食らった。この週報もそれに影響されて始めたことだ。25歳で自費出版して文章がウケる、というイベントが非常にうらやましい。そして、かの人にできて自分にできないという道理もない、と考え、とりあえず発表の場を用意した。
生活のささくれ、機微を選び取ってつかみとるのがうまいのと、それをかわいらしい文章表現にすることがうまい。
特に後者は強く嫉妬する。
「プハ。夏は、つめたい麦茶に限ります。」
なんて俺には絶対にかけない。思いつかないという面でもそうだし、思いついたとしても書けない。自分の表現とするにはあまりにふあふあすぎる。あんまり言いたくないけど、女性にしか書けないと思う。
週報
東京へ行かなければならない用事があったために、非常に読書がはかどった。移動中に読書がはかどるのは「読書しているだけで移動という別のタスクが進行する」というマルチタスク性と、「スマホ見れない(特に飛行機)」という強制デジタルデトックスが原因だろう。注意散漫を仕組みで何とか解決している。
やらなければいけない仕事をまったくできなかったしゅうであった。週半ばに進捗報告会を入れてしまったせいで、それ以降は終わったモードになっている。まあさふいふ日があってもいい。さふいふ日ばかりだけど。
『ゆる言語学ラジオ』で取り上げられた「ビジュアルシンカー」について考えることが多かった。おれは完全に言語思考。図像を図像のまま考えて、言語化せずに(「なぜBでないのか」といった差異について語らずに!)受け取ったり出力したりがかなり難しい。だからファッションも苦手だ。なんでAが良しとされBが良しとされないのかが分からない。
一方で、デザイン、デッサン、コピーライティング、チャートづくりあたりは、イメージの部分が大きいように見えてかなりの部分が言語化可能だと思う。これらは差異がそのまま価値につながるから?
あと、これはちょっと突飛かもしれないけど、言語化って「そういう物語を作ること」なんじゃないのか?という疑念がある。
悪意のあるフェミニストがコンテンツに悪意を読みだすのも、言説まき散らしツイッタラーが優劣を暗に規定した説話を展開するのも、言語思考と視覚思考も、結局は「そういう物語も作れますね。」でしかない。
もっというと「科学」や「宗教」もそうかもしれない。何を主体的に真理として選び取っていくか。それは個人の人生や価値観によって変わりますよ。フーコーの言う真理のゲームに近いと思う。正しさを相対化したのその先の地平では、何を正しさとして選び取るかの政治的なゲームになる。
政治的なゲームは苦手だ。嘘をつくのもパワーバランスも利害の調停も交渉も苦手だ。