『ファラオの密室』著者がエジプトの発掘現場に行ってみた 〜 白川尚史のエジプト旅行記 #04
この記事は、小説家の白川尚史が遺跡発掘の見学でエジプトを訪れた旅行記の記事#04です。
これまでの記事はこちら。
四日目: カイロに帰還。そしてソフトオープンなGEM
四日目の朝も、いつも通り未明に起きて本を読み、朝食会場へ向かった。
ヒルトンの朝食はビュッフェスタイルだったので、エジプトでポピュラーなものを食べたいと思い、豆を煮たものに塩や胡麻ペーストを入れて食べた。これが中々美味しくて、後日家に帰ってから似たようなものを自分で作ってしまった。
そういえば、エジプトでは白胡麻のペーストがどこに行っても出てくる。「タヒーナ」と呼ばれるソースらしい。これを肉や魚にとどまらず、パンやサラダにもかけて食べる。胡麻というものはそもそも美味しいものなので、実際何にかけて食べても美味い。
さて、朝食のあとはカイロへの飛行機に乗るため、ルクソール空港へと向かった。いつも通りセキュリティチェックを通ろうとするも、文庫本を出して見せるように言われてしまった。X線下だと、三冊重なった文庫本は中身の詰まった直方体、もしかしたら爆発物の類に見えてしまうかもしれない。無論、応じて見せれば問題はない。
さて、問題のカイロ行きの便である。前回の#03でも書いたとおり、私の便はなぜか、同じ時間・同じ目的地の違う便に変わってしまっていた。それによって、ガイドの方と同じ便を取っていたはずが違う便になってしまっていたのだ。
このあたりでは同じ時間の便が二本あると、往々にして片方は30分から一時間くらい遅れるらしい。そりゃそうだろうなあと思いつつも、ガイドの方と私と、遅いほうが相手を待たせてしまうのも気まずいなあと考えていた。
幸いにして、便の片方は遅れたのだが、五分から十分程度であった。カイロに無事到着し、ガイドの方と合流する。
無事カイロに戻って来られたが、既に丸二日、一日中炎天下を歩いていたので、疲労もピークに達していた。そのため今日はGEM(Grand Egyptian Musium)、すなわち大エジプト博物館を見られるだけ見て、あとはホテルで休む予定だった。
大エジプト博物館は、一つの文明を取り扱うものとしては世界最大級の博物館で、エジプト観光の目玉になることが期待されている。正式オープンが今か今かと待たれる中、現在はソフトオープン中というステータスだ。
もう建物全体はできているように見えたのだが、中の展示は準備中で、今はエントランスホールと大階段、そして併設するミュージアムショップやレストランなどだけが利用可能な状態だ。
建設には日本も円借款や技術供与という形で協力していて、館内ではしばしば日本語の案内も見られる。
今回はソフトオープンということで、一時間余りで見て回ることができたが、オープンした後ではとても一日では回りきれないくらいのボリュームになるらしい。
いつかオープンしたら、妻子を伴って来たいなあと考えながら、GEMを後にした。
…と思ったら、なんと来月15日からメインギャラリーがオープンするらしい。タイミング!!
それはそれとして、時間の余裕もあるので、再び土産物を探しに向かった。妻からのリクエストがあり、香水瓶を買って帰りたかったのである。ガイドの方の案内で、KYPHI PERFUMES という店に向かった。
このお店のアスワン支店は日本人ツアー客向けの定番コースになっているようだ。香水瓶や香油はお土産として人気なので、むべなるかなという感じである。
買い物の後は、ピラミッドビューのレストランへと案内して頂いた。遠くにそびえるギザの大ピラミッド、やはり何度見ても素晴らしいものである。食事の内容はエイシと呼ばれる平焼きパン、サラダ、てんこ盛りのフルーツ、焼いた鶏肉まるごと一枚というところで、それらにタヒーナ、すなわち胡麻ペーストを付けて食べる。美味い。が少し量が多かった。
また、このタイミングで、今回お世話になった旅行会社である、トライウェイズさまのスタッフの方々に直接お会いしてご挨拶させていただく機会を得た。
私からは、親切かつ博識なガイドの方をアサイン頂き、とてもいい旅をできていることの御礼を伝えた。また、再びエジプトを訪れることがあれば、(『ファラオの密室』の舞台にもなっている)アマルナに行きたいと口にした。
すると、スタッフの方々が「アマルナはいいですよぉ〜」と口々に仰っていて、それが明らかにセールストークではなく、エジプトの史跡を心から好きな人の雰囲気に溢れていたので、本当に好きでこの仕事をされているんだなあ、と私も嬉しくなったものである。
そして、私がツタンカーメンの信仰復興碑を見にエジプトまでやってきたことを伝えると、「カイロ博物館にあります!」「でも、すごくもったいない位置にあって!!」と詳細な場所を伝えていただいた。さすがお詳しい。
皆さんによれば信仰復興碑は、考古博物館の出口前のセキュリティゲート直前の壁で、陰に隠れるようにひっそりと置かれているようで、説明文もないので皆気づかず前を通っていってしまうらしい。
とにかく私は明日、ようやく目当てのものが見られると知って、ほっと胸を撫で下ろした。
そして、その日は早めに観光を切り上げて、最後の宿であるマリオット・メナハウスに辿り着いた。
メナハウスは1869年に時の総督イスマールによって建てられた建物で、その後第二次大戦中にはチャーチル、ルーズベルト、蒋介石によるカイロ会談に使われたり、第4次中東戦争の停戦が合意されたりした場所である(らしい)。
歴史ある由緒正しい宿として、多くの著名人に愛されたホテルであり、アーサー・コナン・ドイル卿やアガサ・クリスティーがかつて宿泊していたとなれば、小説家の端くれとしては大変興味深い。
ここはホテルとしてもやはり最高級で、サービスが行き届いていた。マリオットグループ入りしたのは2018年のことだそうだが、最高級に丁重な接客で、旅の疲れを癒やした。
特に今回は、プレミアム・ピラミッド・ビューというピラミッドに面した部屋を抑えたので、カーテンを開けるとピラミッドが見える。
まだ早い時間だったが、特にやることもなかったし、昼食も多かったので、夕飯は取らずに18時頃寝てしまった。
と、ここまで書いて気がついたのだが、日本との時差は6時間なので、18時に寝て3時に起きるのは、日本時間の24時に寝て9時に起きるのと同じである。今回は時差ボケがないなーと思っていたのだが、単に日本と同じような時間に寝起きしていただけらしい。しかし、日中はとんでもなく熱くなるエジプトでは、早朝に起きて夕方に床につくのは理にかなっている。
また、これを書いていて思い出したのだが、この日の夜は0時ごろに爆発音がして、飛び起きたらピラミッドの横で花火が上がっていた。こんなこともあるんだなあと思ってまた寝たが、翌日誰に聞いてもそんなものは知らないといった返答だったので、夢だったのかもしれない…。
五日目: エジプト考古学博物館、文明博物館
五日目の朝が来た。バルコニーに出て、朝日に照らされたピラミッドを眺める。
こんなに長く休んで大丈夫かな…と不安になるほどの旅程も、残すところあと二日。しかし、ここに至るまでの一日一日は充実していた。
朝食会場は、139 Pavilion。テラス席からピラミッドが目の前に見える、最高のロケーションである。
食事の内容は、マリオットの朝食としてはややきらびやかさに欠けるものの、不足のないものだった。ここではサラダのほかにパンとオムレツを食べた。宗教上の理由か豚は見かけない。ソーセージは全て鶏か牛だ。
それなりの量を食べた後、シナモンロール(シナボンみたいなやつ)を見つけたのだが、さすがに入らないということで明日の楽しみに取っておいた。そして、代わりに食べたマンゴーのヨーグルトがめちゃくちゃ美味しかった。…ということをこの旅行記を書くまですっかり忘れていたのだが、先ほど冷蔵庫を覗いたら日本でも普段買わないマンゴーのヨーグルトを買っていて、無意識の行動って怖いな、と思った。
さて、朝食が済んだあとは、河合望先生によるエジプト考古博物館の解説ツアーである。
率直に言って最高だ。
エジプトではイスラム教の習慣として、金曜日が休日となることが多いらしい。この日は金曜日で、そのため河合先生の発掘現場でも、合わせてお休みを取っていたそうだ。週に一度しかない貴重な休日を私のために割いて頂き、本当にありがたく、恐れ多い気持ちである。
この旅行記もお読みくださっているとのこと。
改めて、ありがとうございました!
さて、エジプト考古学博物館は、その名のとおりエジプトで出土した貴重な考古学的史料を収蔵した博物館で、カイロでは有名な博物館なので、カイロ博物館だとか、考古博物館とか、それっぽい名前をいえばだいたい通じる。その収蔵点数は20万点にものぼり、一点一点詳細に見ていれば、それだけで一日を優に過ごせる量である。
それを、河合先生に解説頂きながら回れるということで、興味深いだけでなく、大変勉強になる体験だった。
本当に本当に素晴らしい体験だったのだが、詳細は泣く泣く割愛する。
というわけで、あまりに多いので興味のある品だけを厳選しながら、それでも三時間近くをかけて考古博物館を回りきり、出口付近で、とうとう信仰復興碑が見られる…!という場所に来た。
あれ?
ない……。
事前に教えて頂いた場所には、ぽっかり穴が空いている。
私はしばし呆然としたあと、「あの、信仰復興碑はどこへ…?」と河合先生に尋ねたところ、「ああ、GEMに移されちゃったんですよ」とのこと。
🙀🙀🙀
話を聞くと、考古学博物館に今展示されているものの多くは順次、GEMに移されていく予定のようだ。まだ移されていないものも数多くあったのだが、信仰復興碑は既に移設対象になってしまっていたらしい。
そして、GEMのソフトオープンで見られる範囲に展示されているわけでもない、ということ。
というわけで、私は今回の旅でとうとう信仰復興碑の実物をみることができなかったのであった…。残念。
GEMがオープンしたら、またエジプトに来なければ、と強く思ったのであった。
(と思ったら15日からメインギャラリーがオープンするという…タイミング!!)
気を取り直して、息子にお土産を買うことにした。息子は動物のぬいぐるみが大好きなので、ラクダのそれを探した。
路面店でもたくさん売っているが、それぞれ微妙に色合いなどが違う。考古博物館のお土産コーナーにいた一匹が可愛かったので、それを買って帰った。
そして、昼食。観光客向けのレストランに入る。レストランの名前をすっかり失念してしまったのだが、どうやらその日がレストランのアニバーサリーだったようで、客も皆ケーキを食べながら歌って踊っていた。
河合先生と、エジプトや日本での話をしながら食事をしたが、よりによって我々のテーブルがホールの真ん中にあり、その周りで他の客が歌いながら輪になって踊るので、全く落ち着かない…。
早々に食べ終え、そそくさと退店し、次なる場所へと向かった。
午後は文明博物館へと向かった。ここは私には比較的新しい建物のように見え、もちろん歴史的な遺物などもあるのだが、ものを数多く見せるよりも、解説に重きが置かれた展示がなされていた。例えば古代のパン作りというテーマがあり、そこにはパン工房の小型模型や器具などがまとまって展示され、説明文も横に書いてある、といった具合である。
ここで勉強すれば小説を書く時もっとわかりやすかったな…と思いつつも、改めて一から勉強するつもりで望んだ。特に興味深かったのは水時計で、エジプトが時間を発明したということは知っていても、当時の水時計や日時計の模型や動作原理を解説付きで見られるのは、理解を深めることの大きな助けになる。
そして、文明博物館の目玉といえば、Royal Mummies、すなわち王家のミイラである。これは圧巻であった。王家のミイラたちが、最新の研究結果とともに安置されていた。本当に行ってよかった場所の一つである。
というわけで、ここも河合先生に解説頂きながら巡り、五日目の観光を終えた。
いよいよ明日は最終日である。
長いようであっという間だった旅も、終わりが近づいていた。旅行記も、多分次回で終わりである。
が、エジプトという国はやはり奥深く、簡単には帰してくれない。
今振り返ってみれば、最終的に、その日が一番濃い一日となった…。
つづく