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54kgから変動し続けた私のダイエット史①

こんにちは!千葉県在住のダイエット栄養士&ジムトレーナーのKOHARU(コハル)と申します。

前回、前々回の記事では、私がいかに運動が苦手で、好きではなかったかをお話ししました。
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自己紹介*運動と私【子供の頃】|ダイエット栄養士&ジムトレーナーKOHARU|千葉

自己紹介*運動と私【大人になってから】|ダイエット栄養士&ジムトレーナーKOHARU|千葉

では、そんな私がなぜ、ジムのトレーナーになったのかを、ダイエットの歴史を主軸にしてお話していきたいと思います。

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もともと私は身長が165cmと女性では少し高めで、特に何もしていないときの体重は54kgくらいでした。高校生の頃も、20代に入ってからも、平均すると54kgくらい。中肉中背で、顔や手足はムチムチとして若さがありました。

それが20代後半に差し掛かってくると、だんだん体重が増えていきました。今思えば筋力の低下と、転職による運動量の低下があったと思います。夫と知り合った頃には57kgくらい。一緒にご飯を食べに行ったりしているうちに、人生初の63kgまでいきました。

結局結婚式前に少しダイエット(エステ)をしたものの、あまりうまくいかず60kgくらいのムッチリわがままボディでドレスを着ました。顔も丸いし、二の腕もパンパン!

結婚生活では、毎日せっせとご飯を作り、夫婦二人で激太り。その時の私は67kgほど。この時はきつい糖質制限(モレノ式ダイエット)で二人で合計15kgを落としました。

けれど私は、そこから5年ほどでしょうか。あちこち出かけては美味しいものを食べ、美味しいものを作り。なかなか子供ができなかったのもあり、ずいぶん遊びに行きました。不妊治療の最中も、遠くの病院に行っては美味しいものを食べ、ストレスを全部食欲にぶつけたんですね。

この頃、私はMAX69kgまで行きました。

ベスト体重が54kgで、69kgはすごかった。自己肯定感がダダ下がりで、服もどんどんダボダボしたものになっていきました。夫は私を責めなかったし、ずっと可愛いと言ってくれていたのですが、私が私を可愛いと思えなかったから、夫の気持ちも受け取ることができていなかったように思います。

そんなある日、私はやっとの思いで妊娠。

まもなく始まったのが、つわり地獄でした。何を飲んでも、何を食べてもすべて吐く。私の体重はみるみる落ちていきましたが、お腹の赤ちゃんはすくすくと育ちました。不思議!

結局出産時までに私は10kg落ちました。つわりは本当にきつかったのだけど、痩せて嬉しい気持ちがなかったとは言えません。検診の度に、赤ちゃんが全く問題なくすくすく育ってくれて、本当に助かりました。

さて出産して半年後。

私は子供とベビースイミングに行き始めました。やっぱり水泳が好きだったので、久しぶりのプールは楽しみでした。

しばらく経った頃でしょうか。

自分の体形が気になるようになり始めました。この頃は60kgくらい。出産前よりははるかに小さくなりました。でも恥ずかしくなってしまったんですね。それはなぜか。プールには、バットマンみたいなマッチョなお兄さんが通っていたからです。

私はなぜか。

「私もあの人みたいになりたい!」と思いました。そう、マッチョな男子を見て、マッチョになりたくなったのです。

芸能人やアーティストでもそう。素敵な男子を見ると、付き合いたい!ではなく、なりたいと思ってしまいます。60kgの産後の私は、マッチョになろうと決意しました。

②へ続きます

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