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中心はいつだってMansunだったーUSからUK、そしてJ-POPへ広がった音楽遍歴
音楽好き編集部員タンタンが、同じく音楽好き社員の音楽遍歴について、対面で会話しながらその人柄に迫る「Unplugged Talk」。
2回目となる今回は、各種アプリやハイブリッドキャスト、配信サービスや番組情報データなどの開発・運営を推進する部署の部長を務める、Yさんにお話を伺いました。
音楽好きのルーツは? 誕生から、『billboard TOP40』を楽しみにしていた高校生まで
ー音楽好きのイメージのあるYさんですが、小さい時から音楽好きだったのでしょうか?
Yさん「そんなことはなくて、自分の家には音楽が全く流れていなかったんです。レコード盤のコンポだけはあったけど使われていなくて。 強いて言えば母親の弟が音楽好きで、部屋に入るとギターがあってキャンディーズのポスターは貼ってあった記憶はあるけれど、それくらいですね」
ーそうだったのですね!特に音楽的な習い事とかをやっていたというわけでもなく…?
Yさん「習ってないですね。でも、なんだか音楽の成績だけはよかったんだよね(笑) 小学校5年生くらいになると学校で全員マーチングをやらなきゃいけなくて、その時すごくちびっ子だったんだけど大太鼓やらされたりして(笑)」
ー小さい体で大太鼓を抱えているところを想像すると可愛らしいです。
Yさん「(笑) で、中学校に上がってからは吹奏楽部に入って。でもそれは音楽好きだったからというわけではなくて、小さな村の学校だったから、部活の選択肢が野球部か卓球部か吹奏楽部しかなかったんだよね」
ー究極の選択ですね!(笑)
Yさん「でも、新潟のとても小さな村の学校なのに、吹奏楽部だけがなぜか関東大会とかに出ていて。どうせやるんだったらそういう目標あったほうがいいじゃないですか。それに、野球部だと当時は丸刈りだし、卓球も当時はいまみたいにキラキラしてないので、吹奏楽部しかないかと(笑)」
ーそこから音楽好きに?
Yさん「まだ全くで、テレビで流行ってた曲を知ってただけですね」
ーそうなんですね。そうすると、高校に入って音楽を聴くようになったきっかけがあったのですか?
Yさん「高校はいよいよ村から出てそれなりに大きな市の街中にある学校まで通ったので、帰り道にお店に寄れたんですよね。それで、初めて学校帰りにCD屋とかに行けるようになって。それが影響したかもしれないですね」
ーそれは大きいですよね!私も高校生で初めてタワレコ(TOWER RECORDS)に行った日のこと、今でも覚えてます。
Yさん「あと、これが一番大きいと思うんですけど、”2週間遅れの『billboard TOP40』”ですね!」
ー”2週間遅れの”?
Yさん「テレビ神奈川の『billboard TOP40』*っていう番組があって。中村真理さんっていう方がVJ(ナレーター)をやっている今もある番組なんですけど」
(*2012年に同一司会者による同一形態の音楽番組(放送開始から28年8ヶ月9日)として、ギネス世界記録に認定されたほどの長寿番組!)
Yさん「当時、それが新潟では2週遅れで深夜に放送していたんですよ(笑)その2週遅れの情報を毎週楽しみにしてたんです(笑)」
ーだから”2週間遅れの『billboard TOP40』”だったんですね!MTVみたいにMVが流れている番組なんでしょうか?
Yさん「そうそう。それが(音楽を聴くようになる影響に)結構大きかったです。その時は、billboardってアメリカだからマイケル・ジャクソン、プリンス、ボン・ジョヴィ、エアロスミス、パール・ジャムとか、メジャーなアーティストが好きでしたね。あと、DISHWALLAの『Counting Blue Cars』って曲が好きだったなぁ」
Yさん「そこから受験生になって勉強する振り(笑)しなきゃいけないから部屋篭るじゃないですか、そうするとラジオを聴くようになるんですよね。FMを聴いて、何かの番組にマイケル・ジャクソンの『Heal the world』のリクエストを出して読まれたのはちょっと嬉しかったですね」
Yさん「そうやって深夜ラジオ聴いていて、この人たちいいなーって思ったバンドをメモったり。それで、当時まだ有名になってない頃のカーディガンズ(The Cardigans)を知れたりしてたってのは後で理解するんですけどね。田舎の高校生でお金ないので、CDは数枚しか持っていなかったけど」
ーちなみに、初めて買ったCDは覚えていますか?
Yさん「中学生くらいから、マイケル・ジャクソンが好きだったんです。だから確か『BAD』だったと思う。でも実は聴き始めた時期は『Dengerous』のアルバムの頃なのだけど」
のちにガーディアンズは1995年ごろ日本でブームに。Yさんがラジオで聴いたのはその直前だったかもしれません。
音楽人生の始まりはMansunからー 東京で大学生活をスタート
Yさん「なんとか大学に入れたので上京したのが1996年。当時、安室奈美恵さんとか小室哲哉さんの全盛期ですよね。でも、自分はそっちにはあまり興味のわかない人だったので、CDコンポを買ってきて真っ先に聞いたのはJ-WAVEで(笑) そこで初めて聴いてめっちゃいいじゃん!って思ったバンドが、イギリスのマンサン(Mansun)でした」
Yさん「マンサンのCDをCD屋に探しに行ったらなかなかないんですよね。新星堂で1枚だけあって、それがまだアルバムが出る前のミニEP(『One EP』)みたいなので。ロックバンドにどっぷりハマり始めたのはそれを買ってきたときからかもしれないですね」
Yさん「そこからすごくCD屋に行くようになったんです。新宿と、今はないけど吉祥寺にタワレコがあって。吉祥寺には吉祥寺のカラーが、新宿には新宿のカラーがあるんですよね。あとは吉祥寺駅の1階に新星堂もあって、そこは担当者さんとセンスが合うのかわからないですけど、おすすめしてくれるものが全部よくて試聴コーナーにずっといましたね。レコファンとディスクユニオンにも」
ー吉祥寺の新星堂はいまもアトレの中に入っていますね。
Yさん「そうですね。僕はCD屋さんが書く気持ちのこもったPOPがとても好きで。それを読みながら試聴するのが好きでしたね。それでロックにハマっていきました。一方でマイケル・ジャクソンが好きだった影響から、R&Bも好きで。R&BのCDもかなり買いましたね。ミント・コンディション(Mint Condition)っていうバンドがいて、結構好きでした」
Yさん「1998年ごろになると、ライブハウスとかにも行くようになって。でもそれもマンサンのライブがきっかけだったかな」
ー結構海外のアーティストも来日してライブしていたんですね!
Yさん「していましたね。マンサンを観たのは昔の赤坂BRITZ(*旧施設は1996年にオープンしたが、2003年をもって再開発計画のため閉鎖、その5年後の2008年3月20日に復活)でしたね」
ーちなみに、その当時どうやってライブ開催を知っていたのですか?
Yさん「『クロスビート(CROSSBEAT)』っていう雑誌があって。みんな読んでいたのはROCKIN’ON JAPANだったけど僕はクロスビートが好きで」
ーそこに、ライブや来日情報が載っていたということなんですね。当時は国内音楽フェスも始まってきた頃でしょうか。
Yさん「そうそう。それこそ2000年に富士急でサマソニ(SUMMER SONIC)が初開催された時マンサンが出ていて、その時にCDに直筆サインをもらったんですよ」
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ーそうなんですか!サインはどうやってもらったのですか?そういうコーナーがあったのでしょうか?
Yさん「そうなんだよね。その時間帯にはweezerが出ていてみんなそっちを見ていたんだけど、僕には(weezerは)刺さらなくて。サインをもらうコーナーの方に行っていましたね(笑)
ちなみに、マンサンの他の目当ては見れる機会は無いかもと思ったジェームス・ブラウンと個人的に超期待のat the drive-inで、このバンドを観ることにとてもワクワクして行きましたね。at the drive-inからの繋がりで…And You Will Know Us by the Trail of Dead を知って、このバンドもとても好き」
当時の出演アーティストはこちら▼
ー初年度のサマソニにいかれていたのは羨ましいです…!でも大学生にとって、CD買ってライブ行ってフェス行って…は出費かさみますね(笑) アルバイトは何かされていましたか?
Yさん「靴屋の店員さんをしていました。靴屋の店長がビートルズ(The Beatles)のファンで、その話を延々と聞いていましたね(笑) ビートルズも聴くんですけど、僕の中ではローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の方が好きでした」
ーそうなんですね!
Yさん「ストーンズの、なんて言うんだろうな…綺麗すぎないというか、感情が出ているような世界観とか曲調が好きなんですよね。
マンサンみたいな90年代後半からのUKロックもそうだし、基本的に明るい曲が好きじゃないんで、多分根暗なんですよ(笑)
オアシス(Oasis)も、レディオヘッド(Radiohead)も、ザ・ヴァーヴ (The Verve) も好きでしたね。レディオヘッドはCDだと暗いけど、ライブだとすごく踊れるバンドなのでよく部屋で1人で踊ってましたね。隣の部屋の人に迷惑だったと思うけど(笑) 」
ー踊っているYさんが想像できません!(笑)
マンサンをきっかけに、OASIS, radiohead, MANIC STREET PREACHERS, Blur, Travis…とUKロックの聴く幅を広げていったYさん。
2003年サマソニで見たradiohead の『Creep』も印象深かったそう。
ライブハウス通いの社会人初期
ー同じくロック好きの友達はいらっしゃいましたか?
Yさん「社会人になったのが2002年なんですけど、新卒で入ったのがオーディオイメージが強めの家電メーカーだったので音楽好きが多かったんですよ。
大学での周りは、GLAYとかイエモン(THE YELLOW MONKEYS)が好きな感じだったから洋楽の話ができる人が全くいなくて、一人で聴いていて。サマソニは地元の友達が行くっていうから一緒にいったけど、普段はおひとり様で単独行動というか(笑) 」
ーそうだったんですね。好きな音楽の話をする人がいないの、しんどくなかったですか?
Yさん「いやいや全然。俺はこれが好きだしって。邦楽も嫌いじゃないしその話になったらするけど、ひとりの時はタワレコとかレコファンとかディスクユニオンに行って洋楽コーナーにずっといましたね」
ーかっこいいです。
Yさん「それに会社に入って音楽好きが周りに増えたと言っても、自分が聴く領域の音楽を聴く人っていなくて」
ー意外と”音楽好き”でも、聴いている曲が被らなかったりしますよね。
Yさん「そうそう。でも1つ良かったのは、会社の借り上げの寮に住んでいて隣に住んでいたのは同期だったので、大きい音で音楽聴いてもクレームが来ないっていう環境だったのはありがったですね。
あと、社会人になってからライブハウスに行く幅も広がりましたね。仕事終わりにライブハウス行くために、カバンに着替えとスニーカーを入れてトイレで着替えていってたりしました、若いですね(笑)」
ー(笑) どのライブハウスに行かれていたんですか?
Yさん「当時は新宿にあったLIQUIDROOM(現・恵比寿)とか、渋谷のクワトロ(SHIBUYA CLUB QUATTRO)が多かったかな。SHIBUYA-AXも結構大きかったけど今ないんですよね(2014年営業終了)。
自慢じゃないんだけど…いや、自慢だけど(笑)、フェニックス (Phoenix)っていうフランスのバンドを原宿アストロホールっていうキャパ400人くらいのライブハウスで見たんですよ。当時はフランスのバンドといえば TAHITI 80だったんだけど、フェニックスいいなと思ってライブに行って。のちに(フェニックスは)グラミー賞とかとっちゃうくらい大きいバンドになって、今思えばそのキャパで見れたのがすごく貴重だなと思ったんですよ」
ーそれは自慢できますね!
Yさん「でしょ!あと、アークティック・モンキーズも代官山UNITで見たんですよ。
ーすごい、先見の明がありますね。
Yさん「あるよね!(笑) このバンド絶対いい!と思って。フェニックスは今でも好きで、何回もライブに行っていますね」
邦楽や、最近聴いている音楽は?
ーでは、あまり邦楽は聴かれてこなかったですか?
Yさん「そんなことないですよ。サカナクションとかは好きで、でも有名になってから知ったんですよね。バッハ(『『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』』)がコンビニに流れててめっちゃいいな、と思って」
ーライブやフェスで見たりもしましたか?
Yさん「サカナクションは奥さんの方がハマっちゃって一緒にライブに行ったりしましたけど、一番良かったのは奥さんとは行かないFUJI ROCK(笑)で、WHITE STAGEに出ていた時のサカナクション。『アルクアラウンド』最高でしたね」
Yさん「大学時代はANATAKIKOUというバンドが好きだったんですよね。たしか吉祥寺のタワレコで出会ったんだと思う。フォーキーな感じが吉祥寺のタワレコっぽいかな。メジャーだけど、THE BACK HORN、BLANKEY JET CITY、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTも大好きでした」
Yさん「確か、日本のロックで最初にCD買ったのはくるり。売れてからちょっと後くらいかな。僕の中では『ばらの花』が一番好き!」
ー『ばらの花』いいですよね。前回shuさんと音楽談義をした時にもくるりの話がたくさん出てきました。最近は音楽聴かれていますか?
Yさん「しばらくあまり音楽を聴かない時期が続いたんですけど、最近気持ちが疲れているのか聴くようになって。
それで、Spotifyにある”あなた専用”みたいなプレイリストを流して、『これいいな』と思ってアーティストを確認してみると、世界で2,000人とかしか聴いてない(フォローしていない)の!
どこまで行っても俺は王道とは違うところにいっちゃうんだな!と思って、最近それでいろんな意味でアングラ人生を悟ったというか(笑)」
ー好きなジャンルがたまたま今流行っている・流行っていないということではなく、いつの時代も常にアングラの道を行っているということですね!(笑) 最後に、自分の人生や価値観に影響を一番与えた音楽を教えてください。
Yさん「そうですね。やっぱりマンサンなんじゃないかな。あの時J-WAVEでマンサンを聴かなかったらここまで音楽を好きじゃなかったかもしれないという感じはします。
ライブに行ったのも、CDを探して買いに行ったのも、フェスに行ったきっかけもマンサンだったから、全部のターニングポイントになっていました」
ー確かに、ラジオでの運命の出会いから始まり、振り返ると全てのきっかけになっていましたね! Yさんにとって、音楽はどんな存在ですか?
Yさん「疲れている時、発散したい時に、音楽が気分を晴らしてくれます。最近近所のスーパーのBGMで古い洋楽がかかっているんですよ。この前デュラン・デュランとかかかってて、深夜だったんですけどついノっちゃいました(笑)」
ー店長さんの趣味ですかね!ぜひ仲良くなっていただきたいです(笑) 「自分の好きなものは好き」という信念を持つYさんの音楽遍歴かっこよかったです!
Yさん「でも!King Gnuも好きだし、髭男(Official 髭男dism)も好きだし、サカナクションも好きですよ!!!」
Yさんが最初は小さなキャパで見たようなロックバンドも、最後に挙げられたような多くの支持を集めているバンドや音楽も、最初は全く見向きもされなくても「自分はこれが好きだ」を貫いて道を拓いていったとも言えるかもしれません。
自分の好きな音楽は誰がなんと言おうと好き、そういう強さをもって生きていこうと感じた音楽談義でした。
(周りに好きな人がいないけど、好き!を発散したい時はいつでもコメントやリプライで好きな音楽を教えてくださいね。)
前回の #UnpluggedTalk はこちら。
スカパー!では音楽ライブも多数放送中です。ぜひ!