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「やっぱり、雲の彼方に、青空があったのだ。」源氏鶏太の「青空娘」

源氏鶏太の「青空娘」がちくま文庫から出る、と知ったとき、「あ!あの映画の原作が読める!」とうれしくなった。

昔、テレビで増村保造に関する番組を見ていたときに、この小説の映画化作品も紹介されたのを、覚えていたからだ。
そして、何よりも主演の若尾文子が(美しい)、窓を開けて空に向かって挨拶をするシーンが印象に残っていた。

「青空娘」は、1956(昭和31)年から1957(昭和32)年まで雑誌に連載された小説である。

主人公の小野有子は、田舎で祖父母と暮らしている。
有子は、体が弱いので田舎で生活したほうがよい、という理由で、東京に住む両親やきょうだいとは離れて暮らしていた。
有子はずっとそのこと違和感を覚えていたが、あるとき、自分の出生の秘密を知る。
それは、自分が、父親と妻以外の女性とのあいだに生まれた子供である、ということであった。
したがって、東京に住む「母親」というのは実の母ではないこと、そして、実の母は行方知れずであるということも知る。
そのうち、祖母が亡くなり、有子と祖父は二人そろって東京の父の家に住むことになる。

しかし、このような状況で、有子が父の正妻や義理のきょうだいにあたたかく迎えられるわけがなかった。
彼女は家族としてではなく、「女中」として扱われることになるのだが、この娘は、持ち前の健気さと明るさで、それを乗り越えてゆくのだった。

有子の前には次から次へと困難が立ちはだかるが、同時に、多くの人々との出会いがあり、そして、味方も増えてゆく。
父の家の女中の八重は、有子にやさしくしてくれるし、また、はじめは意地悪だった義理の弟の弘志も、最終的には有子の側につく。
それだけでなく、有子に何かあるたびに、街で偶然にも知人や、上京する際、同じ列車に乗っていた人などと出会い、「あ、あなたは・・・」という感じで声をかけられ、助けられるのだ。

ここで、「ご都合主義」などと言うほうが、野暮である。
「青空娘」は、そういった小説なのだ。

とくに、広岡という青年。
彼は、義理の姉の照子が家に呼んだ何人かの青年の中の一人なのだが、そのときに有子に出会って彼女にずっと好意を持ち続けている。
この青年が、何かあるたびに王子様のように現れ、有子を助けるのだ。
彼と有子の「靴のエピソード」などは、「ああ、シンデレラだな」、とわかりやすすぎるくらいだが、それがまた、いいのである。

多種多様で複雑な価値観が尊重されるのはいいが、それによって、「みんなが、ひとつのものに夢中になる」ということ、そして、「みんなが目を向けているひとつの理想」は、なくなった。
それがいいか悪いかは置くとして、このような、清く正しい者が最後にしあわせを勝ち取る、という小説を読むのは、新鮮な喜びをもたらしてくれる。
「青空娘」は、まだ、ひとつの理想が人々を結びつけていた時代の、明るい小説である。

私はまだ、若尾文子主演の「青空娘」を見ていない。
見なければ!
それから、源氏鶏太の小説は、「青空娘」以外のものを読んでいない。
図書館で全集を借りて、読まなければ!

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イブスキ・キョウコ
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