「シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット」を読んで。これまで知らなかった、いろいろなこと。
映画やドラマを見たあと、それに出演していた俳優が素顔で、共演者などと肩を組んでいる写真などを目にすると、なんだか、妙な気分になることがある。
夢の世界の楽屋裏を見せられたような、手品の種明かしをされたような、そんな気分である。
俳優が演じている役柄とその俳優本人は別の存在、ということは、頭ではわかっているつもりなのだが、それでも、何度も「騙されて」しまう。
その俳優について、インタビューや伝記を読んだりいろんなエピソードを耳にしたりして、その人も現実の人間であり、演じていた役とは別の存在である、ということをやっと、理解できる。
シャーロック・ホームズという、世界的に有名な人物ー架空の存在なのだが、しかし、現実の存在と同じように思われている人物を演じるということなら、役と同一視されることは覚悟のうえでやらなくてはならない。
「シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット」(モーリーン・ウィテカー著 原書房)には、俳優ジェレミー・ブレットが、さまざまなプレッシャーや病、愛妻との別れなどを乗り越えてどのように生き、仕事に取り組んだかを書いている。
ジェレミー・ブレットが、愛する妻を癌でなくしたこと、うつ病と闘いながらホームズものの撮影に取り組んだことなどは、以前から知っていた。
しかし、この本で、シャーロキアンである著者モーリーン・ウィテカーは、ジェレミー・ブレットが抱えていた苦悩や私生活での出来事を突きまわし、ことさらに悲劇的な側面を強調するような書き方はしていない。
起きた出来事を淡々と記しながらも、彼の仕事に対する誠実さ、人柄のあたたかさなどをよく伝えている。
ジェレミー・ブレットは、ホームズと自分自身を比較して、以下のように語っている。
「彼はものすごいリアリストだけど、僕はロマンチスト。彼は内向的だけど、僕は外交的。彼は陰気だけど、僕は陽気な男だ。」
この本のまえがきで、ワトソン役を演じたデビッド・バークは、ブレットのロマンチストぶりがわかるエピソードが披露されている。
「彼はBBCの殺風景な簡易食堂でガールフレンドをもてなそうと、プラスチックのテーブルを上質なリネンのクロスで覆い、その上に真鍮の枝付き燭台と高価な陶器の花瓶に入った甘い香りのフリージアを置いたこともあった」
もうひとつ、「ロマンチスト」といっていいかどうかわからないが、こんなおかしなエピソードも。
あるときブレットは車に乗っていて信号で停まったときに、横の車に美しい女性がいることに気づいた。そこで彼は、アクセルを踏んでエンジンをふかした。しかし彼女は、彼が自分よりいい車に乗っており信号が変わった自慢気に加速するつもりだろう、と思いスピードをあげて発進した。
実はブレットは彼女をコーヒーを飲みに誘おうと思っていたのだが、ここで速さを競い合うような形になり、女性の車はバランスを崩して側溝へ突っ込んでしまった。
そこでブレットは、「あなたの美しさに見とれてアクセルを踏み込み、コーヒーでも一緒にと思って追いかけた」と説明したという。
女性は笑顔で許したというけれど、危ないというかなんというか・・・。
ブレットは、ただホームズ役に集中するだけでなく、一緒に仕事をするスタッフ全員の名前を覚え、そのスタッフの家族のことまで気遣った。スタッフの息子が犬を亡くしたと聞いて、子犬をプレゼントしたこともあるという。
驚くのは、これほど仕事に全精力を傾け人柄も素晴らしかったジェレミー・ブレットが、生前、「一度もその功績を公に認められなかった」ということ。
BAFTA映画賞(英国アカデミー賞)も受賞しておらず、また、「二つの最高の栄誉を約束」されていたが(英国王室の新年の叙勲リストにノミネート、フランスのレジオン・ドヌール勲章)どちらも、その死によって実現しなかった、という。
あとがきで、ブレットの友人リンダ・プリチャードはインディペンデント紙の記事を引用しているが、そこにはこう書かれている。
「(略)ブレット氏の傑出した才能が見過ごされているのは、誰も彼が素晴らしいと言わないからではなく、誰もがそう言うからである」
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