見出し画像

なんだかよくわからないけど猫の言う通りにしてみよう!

主人公が、何も努力していないのになぜかしら幸せになってしまう話、というのがある。

そういった話でとくに有名なのは、「長靴をはいた猫」だろう。

粉ひきの末息子が、父の遺産として猫をもらう。
この息子が、猫のさまざまな計略によって、お姫さまと結婚することになる。そして猫も貴族になって、みんな幸せになりましたとさ、めでたし、めでたし。・・・というお話。

こういった、主人公が楽して幸せになる、という話は、世界中にある。
ラングの世界童話全集にも、そういった話がいくつも収録されている。

たとえば、「べにいろの童話集」(東京創元社)に収録されている、「びんぼうむすこがピロ伯爵になった話」。
このシチリアの昔話では、猫ではなくキツネが、幸せを運んできてくれる。話の内容は、ほぼ、「長靴をはいた猫」と同じ。
猫も、それからこのキツネも、同じようなことを言う。
それは、「私の言うことを信じてその通りにすれば幸せになれますよ」、という意味の台詞。

それから、「くさいろの童話集」(偕成社文庫)に収録されているトルコの話、「マドシャン」には、動物は出てこないが、不思議なお坊さんが登場して、主人公にアドバイスをする。
この「マドシャン」の主人公、二十歳なのだが頭ははげていて怠け者で、世間から見ればどうしようもない人間。
しかし彼はあるとき、馬に乗ったサルタンの娘を見て、お嫁さんに欲しい!と思う。そして母親に向かって、サルタンのところへ行って頼んでくれ、などと言い出すのである。
結局彼は、サルタンの娘と結婚するのだが、しかしこの息子、最後までかなりあつかましい。
自分がサルタンの娘と結婚できて当たり前、幸せになって当たり前、と思っているのだ。

中世の時代、民衆が、何もしなくていい楽園コカーニュを夢見たように、これらの物語も、厳しい現実からの逃避、として生まれてきたのだろうか?

でも私は、教訓を含んだ話なんかより、こういった話のほうが好きだ。
・・・それから、私は、「現実」でも、「楽していい目にあっている人」「へらへらしているだけなのになぜかうまくいっている人」を見たとき、「なんであの人が?許せない!」と、思って腹を立てることがない。腹を立てるどころか、「楽しそう!いいものを見せてもらった!ありがとう!」とうれしくなってしまう。

「私の言うことを信じてその通りにすれば幸せになれますよ」、もし、この台詞を何かかわいい動物に言われるなら、絶対に、猫がいい。
それも、澁澤龍彦訳の「長靴をはいた猫」(河出文庫)の、片山健による挿絵の黒い眼帯の猫。
こんな素敵な猫がいたら、素直に言うことを聞くにきまってる。
そして、「こんな簡単にうまくいっていいのかな」などと一ミリも考えることなく、へらへら笑って暮らすのだ。

なんだかよくわからないけど猫の言う通りにしてみよう!








いいなと思ったら応援しよう!

イブスキ・キョウコ
いつもチップでの応援ありがとうございます。

この記事が参加している募集