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シェイクスピアと音楽(8): 「お気に召すまま」の素朴な牧歌たち

今回は、喜劇「十二夜」のすぐ前に書かれたという田園喜劇「As you like it《お気に召すまま》」。

題名は文字通り「愛する人よ、私を好きなようにしていいわよ」という性的な意味合いを含んでいます。

韻文と散文が交互に語られる劇中の言葉には。数々の性的なほのめかしが隠されています。

ほのめかしの意味を読み解きながらニヤニヤしてもいいし(原作を読めば、英語版でも日本語版でも注釈がついています)、本人たちは大真面目でも、はたから見れば滑稽な彼らのやり取りをラブコメとしてお腹を抱えて笑うのもいい。

シェイクスピア劇だから高尚な内容というのは大間違い。

「お気に召すまま」の本質はラブコメ。でも深読みすれば、別の一面が見えてくる。

「お気に召すまま」第二幕には、シェイクスピアの数ある名言の中で、最も有名な言葉の一つ、「世界は舞台、人はみな役者」が含まれています。

世界は舞台

世界は舞台、男も女も誰もがただの役者に過ぎない

でもこの有名な言葉には続きがあります。

They have their exits and their entrances, 人には舞台から降りるときと上るときがあり、
And one man in his time plays many parts, そして、一人の人にはたくさんの役柄がある
His acts being seven ages. At first the infant, 人には7つの時代がある。一つ目は幼少時。
Mewling and puking in the nurse's arms. 乳母に抱かれて、泣いたり吐いたり、
Then, the whining school-boy with his satchel やがてカバンを担いでる洟垂れ小僧になり
And shining morning face, creeping like snail 輝かしい朝のような顔、カタツムリのように、いやいや学校に通う
Unwillingly to school. And then the lover, それから恋人の時代
Sighing like furnace, with a woeful ballad 痛ましいバラードを熱いかまどのようなため息を、恋する人を思いながら歌う。
Made to his mistress' eyebrow. Then, a soldier, 次に兵役に就く
Full of strange oaths, and bearded like the pard, 豹のような髭を生やして、おかしな誓いを口にして、
Jealous in honour, sudden, and quick in quarrel, 名誉を競いあい、すぐにもめ事を起こし、
Seeking the bubble reputation 大砲の砲口をも恐れずに、浮世の名声を追い求める
Even in the cannon's mouth. And then, the justice, そして裁判官になる
In fair round belly, with a good capon lined, 良く肥えためんどりのような太鼓腹で
With eyes severe, and beard of formal cut, 鋭い目にあごひげ
Full of wise saws, and modern instances, 賢い言葉に、新しい判例
And so he plays his part. The sixth age shifts それだけで立派な判事様。六番目はほっそりしたパンタロンを履くようになる年寄りの時代
Into the lean and slippered pantaloon,
With spectacles on nose and pouch on side, 眼鏡を鼻にかけてポーチを脇につけ
His youthful hose, well saved, a world too wide 若いころのまだ履けるズボンは大きすぎてはけない
For his shrunk shank, and his big manly voice, 脛も痩せて男らしかった大きな声も、
Turning again toward childish treble, pipes 笛みたいな子供のころの甲高い声に戻ってしまう
And whistles in his sound. Last scene of all, すべての時代の最後、
That ends this strange eventful history, 奇妙でいろいろあった人生の終わり
Is second childishness and mere oblivion, 二度目の子供時代、そして痴呆
Sans teeth, sans eyes, sans taste, sans everything. 歯もなくして、目もみえなくなって、味も感じなくなって、全てをなくす

という長いセリフの一部。

人生を達観している、ジェイクス(フランス語ではジャック)の言葉。

さしずめ「お気に召すまま」の若い主人公のロザリンドとオーランドーは恋人の時代の人たち。

劇中の登場人物たちもまた、人生のどれかの時代に当てはまる人たちですが、田園喜劇「お気に召すまま」は、Loverの時代と名誉を求めているSoldierの時代の人たちが中心な楽しい劇。

老いたアダム(パンタロンの時代?)や壮年期の侯爵たち(裁判官の時代の人?)もいるけれども、主役は若い人たち。

最終幕、三組のカップルの結婚式では招かれない人はまさに退場してしまい、まるで恋人の時代の讃歌のようにも見える。

シェイクスピアは生粋の天才詩人

日本語に翻訳すると、原文のすごさが失われることがあまりに残念なほどに見事な英語でシェイクスピア喜劇は書かれているので、英語が堪能な方は、英語原作で楽しまれる方が日本語版の百倍は楽しめます。

英語を学べば学ぶほど、シェイクスピアの英語を読むことは楽しくなります。

悲劇ならば筋書だけでも面白いけれども、喜劇の場合、韻を踏んだ詩文と教養の備わっていない庶民のどうしようもない駄洒落や漫才のような掛け合い、道化師のアイロニーなどという言葉そのものが作品の最大の魅力。

日本では悲劇ばかりがもてはやされるけれども、私はシェイクスピアの本領は喜劇にあると思います。

詩文を理解することができないと、「お気に召すまま」を100%楽しめないかもしれないけれども、「お気に召すまま」は筋書だけでも楽しいラブコメ。悲劇並みに筋書きだけでも悲劇並みに楽しめる。そこが次作の「十二夜」と違うのかも。

恋とは病気!

ラブコメの基本は「誤解」。

本当にこの人は私を愛しているの?

ということを確かめるために、正気の時には馬鹿らしいと思えることさえ、真顔でやってみたりする。

「愛してる」と「大嫌い」は表裏一体なので、この二つは絶えず入れ替わる。

愛の反意語は「無関心」。相手に関心を持っているからこそ、嫉妬したり怒ったり喧嘩したりする。

シェイクスピアに匹敵する喜劇を書いたモーツァルトの台本作者ロレンツォ・ダ・ポンテも、登場人物たちを誤解による嫉妬を劇中に引き起こすことで物語を飽きさせぬものにしています。

次のような有名な言葉が劇中で語られます。

「恋はただの狂気だ!そんなものは真っ暗な部屋に閉じ込めて狂人みたいにひっぱたけばいい(現代では精神病院でも体罰はいけません)
狂った恋人たちがそんな風に罰せられないで矯正されないのは、狂気があまりにもありふれていて、むち打ち人さえも恋してるからだ」
ロザリンドの言葉、オーランドーに向かって

「お気に召すまま」粗筋

物語は兄の侯爵ファーディナンドを追放して兄の座を乗っ取った弟侯爵フレデリックの統べる宮廷が舞台ですか、昔話のように三人兄弟の弟オーランドーが主人公。兄弟たちは貴族の血統。

不遇の弟オーランドーは不仲の兄オリヴァーから逃れるようにアーデンの森で逃げてゆく。お供には老いた召使アダムがついてゆく。

森には追放された兄侯爵と従者の貴族がいて、ロビンフッド盗賊団のように群れを成している。

兄侯爵の娘のロザリンドは従妹のシーシアと一緒にまだ宮廷で暮らしていたけれども、現領主の弟侯爵の不興を買い、やはり追放される。仲良しのシーシアはロザリンドについてゆく。森の中は女性だけでは危ないので、ロザリンドは男装して、ついでに口達者な道化師タッチストーンもお供に連れてゆく。

こうして一同はアーデンの森に集うのです。

ここからラブコメ本領発揮。男装しているロザリンドは、宮廷にいた頃に一目惚れしたオーランドーに恋の手解きをしてやると、彼にわたしをロザリンドだと思って気持ちを打ち明けて見せろだとか、オーランドーの彼女への恋心を試すのです。

森では土地の者であるコミカルな羊飼いのカップルに出会うも、羊飼いの少女フォービーは男装したロザリンドに惚れてしまう。とまあこんな具合。

でも物語は最後にご都合主義なハッピーエンドを迎えます。

弟侯爵が急に説明もなく改心して、兄侯爵に領地を返上するというのです。なぜ?

私は不満ですが、そんなのは物語の最重要問題ではないと笑い飛ばすのが「お気に召すまま」らしさでしょうか。

弟侯爵に地位を簒奪された兄侯爵の復讐物語は、後年の「テンペスト」のメインテーマとなります。忠実な召使アダムはなんとなく悲劇「リア王」の忠臣ケントのよう。

男装するロザリンドは次の喜劇「十二夜」ヴァイオラの分身。でもロザリンドにはヴァイオラの憂いを持たない。道化師タッチストーンも「十二夜」の道化師フェステに似ていますが、あれほどの人間的深みがない。

決定的な違いは、劇中の空気。

「お気に召すまま」の登場人物たちは追放されても、ハムレットのように一人で暗く落ち込まず、ロビンフットたちのように陽気に森で暮らし、ヴァイオラのように身分と性別を隠す苦悩を持つこともない。

春のアーデンの森で皆、楽しく恋のゲームに浮かれている。憎みあっていた兄弟も理由もないのになぜだか仲直り。なんとも牧歌的な世界。

野外劇場で上演されると本当に楽しいでしょうね。

春の明るい世界には楽しいラブソングがあればなお最高!

というわけで、シェイクスピアも、とっておきの歌(詩)を「お気に召すまま」のために用意しています。

「十二夜」の劇中歌

全部で6曲あるとされる「お気に召すまま」の歌。作曲家がメロディをつけたがる、特に有名なのは以下の三曲。

Under the Greenwood Tree

第一曲目は「ルール、ブリタニア」で有名なバロック時代後期の作曲家トーマス・アーン (1710-1778) による「緑の森の木の下で」。鳥の声を模したリコーダーの響きが素敵です。

第二幕第五場より、兄侯爵に付き添って森で暮らしているエイミアンズとジェイクィズが森の中で歌います。寂しい男二人が恋人が欲しいと自虐的に歌っているんだとも読めますが、牧歌的な愛の歌であると普通は理解されています。

Come Hither(ここにおいで)と呼びかける言葉が印象的。

UNDER the greenwood tree,
Who loves to lie with me,
And turn his merry note
Unto the sweet bird's throat,
Come hither, come hither, come hither:
Here shall he see
No enemy
But winter and rough weather.

Who doth ambition shun,
And loves to live i' the sun,
Seeking the food he eats,
And pleased with what he gets,
Come hither, come hither, come hither:
Here shall he see
No enemy
But winter and rough weather.

緑の森の木の下で
ぼくと一緒に寝そべりたい人
そして陽気な調べを
可愛い小鳥の喉と合わせて歌いたい人は
ここへおいで ここへおいで ここへおいで
ここでは誰も出あうことはない
どんな敵にも
冬のひどい天気は別として

野心なんかは捨ててしまって
お日さまの下で暮らしたい人
食べるものは自分で探して
見つかったもので満足できる人
ここへおいで ここへおいで ここへおいで
ここでは誰も出あうことはない
どんな敵にも
冬のひどい天気は別として

http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S7093.htm

12歳のSheyda Shamsさんの歌唱がなかなか素敵でした。こんな風にいまでも歌い継がれている歌です。

19世紀イギリスの小説家トーマス・ハーディは、この歌の題名を自身の小説に使用しました。英国の知識人には教養としてよく知られた詩なのですね。

Blow, Blow Thou Winter Wind

Blow,blow thou winter wind,
Thou art not so unkind
As man's ingratitude;
Thy tooth is not so keen
Because thou art not seen,
Although thy breath be rude.
Heigh ho! sing heigh ho! unto the green holly:
Most friendship is feigning,most loving mere folly:
Then,heigh ho! the holly!
This life is most jolly.

Freeze,freeze thou bitter sky,
Thou dost not bite so nigh
As benefits forgot:
Though thou the waters warp,
Thy sting is not so sharp
As friend remember'd not.
Heigh ho! sing heigh ho! unto the green holly:
Most friendship is feigning,most loving mere folly:
Then,heigh ho! the holly!
This life is most jolly.

吹けよ 吹け 冬の風よ
お前はそんなに不親切ではないぞ
人が恩知らずでいるほどには
お前の歯はそんなに尖ってはないぞ
お前は目には見えないのだから
確かにお前の息は荒っぽいが
ヘイ ホー!歌えや ヘイ ホー!緑のヒイラギに
友情はあらかた見せかけ 恋愛はただの愚行
だから ヘイ ホー!ヒイラギよ!
この人生は馬鹿騒ぎ

凍りつけ 凍りつけ 冷たい空よ
お前が噛み付いたって何てことはない
恩を忘れてしまうよりは全く
お前は水を凍らすけれど
お前の一刺しはそんなに痛くない
友達を思い出さなくなるよりは全く
ヘイ ホー!歌えや ヘイ ホー!緑のヒイラギに
友情はあらかた見せかけ 恋愛はただの愚行
だから ヘイ ホー!ヒイラギよ!
この人生は馬鹿騒ぎ

Heigh Ho! ディズニー映画の「白雪姫」の七人の小人の掛け声を思い出しますね。ハイホーと呼んでもヘイホーと呼んでも同じ意味です。

シェイクスピアの陽気な歌にはたいてい掛け声が含まれています。

この歌もまた、エイミアンズによって歌われます。先ほどの歌と同じく、アーンの作曲が大変に愛らしい。

It was a Lover and His Lass

最後の歌は第五幕で最後の三組合同の結婚式が行われる直前に歌われます。

「お気に召すまま」という喜劇を象徴する、数百年のちの現代にも通じる、恋する二人のための歌。結婚式に実際に使用されることもあるようです。春に結婚式を挙げるカップルにはぴったりな歌。

シェイクスピアの同時代人である作曲家トーマス・モーレイ Thomas Morley (1557-1602) によって書かれた歌が、今も忘れ去られずに英語の国では歌い継がれています。とても良い歌です。 

春の訪れとともに、愛する二人の幸せを祝福する歌。ヘイノニノなどという掛け声がやはり楽しい。

It was a lover and his lass, 
With a hey, and a ho, and a hey nonino 
That o'er the green cornfields did pass. 
In spring time, the only pretty ring time, 

When birds do sing, hey ding a ding a ding; 
Sweet lovers love the spring. 
This carol they began that hour, 
With a hey, and a ho, and a hey nonino, 
How that a life was but a flower 

In spring time, the only pretty ring time, 
When birds do sing, hey ding a ding a ding; 
Sweet lovers love the spring. 

Then, pretty lovers, take the time 
With a hey, and a ho, and a hey nonino, 
For love is crownéd with the prime 

In spring time, the only pretty ring time, 
When birds do sing, hey ding a ding a ding; 
Sweet lovers love the spring.

恋に落ちた若者が彼女と二人
ヘイ ホ ア ヘイ ノニノ
向こうのとうもろこし畑を歩いていく
春の盛りは指輪を交わす季節
鳥がさえずり、ヘイ、デイン、ディン、ディン
恋するふたりは春が好き

ライ麦畑の真ん中で
ヘイ ホ ア ヘイ ノニノ
仲良したちは寝そべっている
春の盛りは指輪を交わす季節
鳥がさえずり、ヘイ、デイン、ディン、ディン
恋するふたりは春が好き

やがてふたりは歌い出す
ヘイ ホ ア ヘイ ノニノ
人生なんてはかない花よ
春の盛りは指輪を交わす季節
鳥がさえずり、ヘイ、デイン、ディン、ディン
恋するふたりは春が好き

それなら今を楽しもう
ヘイ ホ ア ヘイ ノニノ
今を盛りの恋する時を
春の盛りは指輪を交わす季節
鳥がさえずり、ヘイ、デイン、ディン、ディン
恋するふたりは春が好き

http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S10561.htm

劇中俳優が歌う歌は単純なものですが、人気喜劇ですので、いろんな作曲家がシェイクスピアの言葉にメロディをつけています。

20世紀イギリスのクィルターのシェイクスピア歌曲はシェイクスピアの時代の作風で書かれていて好感の持てるものです。

「お気に召すまま」と「十二夜」比較

前回紹介した「十二夜」の方が「お気に召すまま」よりも作品として深みがあると言われるのは、その世界観の違いからです。

船が遭難して双子の兄妹は離れ離れになり、オリヴィア姫は最近他界した兄伯爵を弔っている。

そういう悲劇的な世界から悲しみを打ち消すように新しい人生に踏み出すという物語がある。

でも厳しい冬が終わり、春が訪れたアーデンの森で繰り広げられる「お気に召すまま」は、追放されても森の冬の暮らしが辛いだとかボヤいても、基本的に楽天的な世界。

人生のLoverの時代に焦点を当てて取り上げたような楽しい喜劇が「お気に召すまま」。

人生の憂いは次の「十二夜」に持ち越されたわけです。

明るい春の光に包まれた、性的ほのめかしがたっぷりの「お気に召すまま」は、気分の晴れないときに見ると痛快な喜劇の中の喜劇。

シェイクスピア劇映画を演じさせて撮らせてはこの人の右に出るものはいないという、名シェイクスピア俳優ケネス・ブラナーは、2007年になんと「日本」を舞台にした「お気に召すまま」を監督として制作しています。

時代考証が日本人の我々の目には滅茶苦茶でも、喜劇だから許されます。

恋のゲームを始める前の二人の会話。オーランドーが黒人俳優なのがユニーク。

わたしは白黒映画Film Noirの1935年の「お気に召すまま」が好きです。シェイクスピアの書いた台本通りの設定な映画。英語字幕付きですので、韻文のリズムの楽しさもわかりやすい。

著作権切れですので、無料で見れるのが素晴らしい。

伝説のシェイクスピア俳優ローレンス・オリヴィエは、もちろんロザリンドに恋をする主人公オーランドー役です。ロザリンドもとても可愛い。

劇中で歌われる歌は全て本投稿で紹介した、アーンとモーレイ作曲の歌。時代考証抜群で「お気に召すまま」そのもの。九十年前の映画なのに、現代でもこれほどの映画は二度と再現出来ないのでは。

英語ではin loveで恋してる、だから恋は深さで測られる。
ポルトガルの海ほどに深い恋の中にいるとロザリンド。
シーシアは「違うわ、底なしよね」と呆れる。こんな言葉のやりとりが楽しい。

ロザリンドによるエピローグ

最後はロザリンドによるエピローグ。許しを請うパック(夏の夜の夢)とも、別れを告げるプロスペロー(テンペスト)とも全然違う劇の終わらせ方。

明るい三和音の澄み渡ったハーモニーによるエンディングといった感じですね。

conjureはおまじないする、魔法で霊を呼び出すという意味以外に、
思い出す、呼び起こすという意味も。
ロザリンドはあなたに異性の愛し方を想像させて分からせてあげる、
という自信に満ちた言葉で劇を閉じます。
「お気に召すまま」とはそんな喜劇なのでした。

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Logophile
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