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ピアノのバッハ27: マルチェッロのアダージョ
今回は分かりやすく短いものです。
誰が聞いても心打たれるあろう、「お勧め」の音楽をご紹介いたします。
わたしはヨハン・セバスティアン・バッハという18世紀前半の中部ドイツで宮廷音楽家・教会音楽家として生きた作曲家の生涯に深い興味を抱いていて、いろんな研究者による伝記(日本語・英語)を読み漁っています。
享年65歳のバッハの人生の後半、聖トマス教会のカントル(音楽監督)として過ごしたほぼ人生の半分の年月は、挫折と失望の連続、バッハにとっては忍従の日々だったのではと、伝記を読んでいて辛くなります。
ライプツィヒ市の大教会のカントルとして高い社会的地位を得ていたのですが、バッハは市当局と絶えずぶつかり合い、やがてはあれほどに必死になって作曲していた毎日曜日のためのカンタータや受難曲の作曲の筆も止まり、バッハの関心は次第に内へ内へと向かってゆくのでした。
自分を理解しないブラックな職場の上司たちとの板挟みに雇われ人の悲哀。わたしは心から共感する。この世の不条理を嘆かざるを得ない。
市当局側からすれば、あまりにも非実用的な専門知識に誇りを持ちすぎている、プライドばかり高くて扱いにくい問題人物だったことでしょう。
ヘンデルのようなオペラやオラトリオを通じての世界的名声の獲得、ハイドンが経験したような海外旅行での史上稀なる大成功、世界中を駆け巡った神童モーツァルトの人気絶頂から凋落しての不遇の死、聴力を失ったベートーヴェンが経験したナポレオン戦争による社会変動などのドラマティックな波乱万丈要素が、バッハの生涯には決定的に欠けているのです。
大バッハはいわば昭和時代的なサラリーマン人生を真面目に生きて、真の実力を世間的に理解されることなく正当な評価を受けることもなく、終には忘れ去られていった人でした。
最近の研究では、数多くの弟子を教えることで給与以外の副収入が相当あることが判明していて、経済的には全く貧窮していなかったこと、大家族に囲まれて(二人の妻との間に生まれた成人した子供が十人ほども)暮らして行けたことために、バッハは家庭人としてとても幸福な人だったのだと疑うことはないのですが。
そんなバッハなのですが、彼の伝記を読んでいて誰もが面白いと思うだろうと思える部分は、やはり若いバッハが立身出世してゆく時代の頃の物語。
実話かどうか疑わしい武勇伝にいろいろと微笑ましいエピソードなども多数あり、とても興味深いものです。
バッハはアルンシュタットでオルガニストとして最初の就職をしてから、ミュールハウゼン、ヴァイマルへと職場を変えてゆき、ヴァイマルでは楽師長にまで出世、次のケーテンでは音楽をこよなく愛する領主様に宮廷楽長として迎えられたほどでした。この幸福だったテーテン時代も長続きはしないのですが。
ヴァイマルでは宮廷内の政治闘争が嫌で、最後には逃げだして契約違反を訴えられて投獄までされるのですが、そんなヴァイマルでのバッハの音楽にわたしは大変に興味があります。
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「ピアノのバッハ」という本をキンドルで出版します(刊行間近)。このマガジンは出版される本のオリジナル投稿です。一度の購入ですべて読むことが…
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