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Jazz Meets Bach:デクスター・ゴードンに寄せて

チャーリー・パーカーやバド・パウエル、レスター・ヤングなどのビバップジャズ・ジャイアンツが大活躍した時代は、もはや歴史時代です。

彼らの遺した偉大なレコーディングは20世紀クラシック音楽の殿堂入り音楽といえるでしょう。

今回はそんなジャズ・ジャイアンツの一人、偉大なテナー奏者のデクスター・ゴードン (Dexter Gordon : 1923 – 1990) のお話。

身長195センチのまさに文字通りにジャイアンツだったデクスター。

https://www.kuvo.org/celebrating-dexter-gordons-centennial/

西洋音楽の黄昏れ

中世より主に西欧において発達した、伝統あるクラシック音楽は、19世紀の終わりには調性音楽の限界に到達します。

その挙句には、第一次世界大戦を境にして、数百年の伝統を誇ったクラシック音楽は大衆を拒否した「藝術のための藝術」として

「ゲンダイオンガク」

となるのでした。

その後のクラシック音楽が、無調や微分音音楽など、一般大衆には理解不可能な音楽となっていったことはご存じの通り。

現在の歌劇場や演奏会場で頻繁に演奏される音楽で、年代的に最も新しいものは全て第一次世界大戦前後に作曲されたもの。

  • 1918年(第一次世界大戦最後の年)にクロード・ドビュッシー

  • 1921年にカミーユ・サン=サーンス

  • 1924年にジャコモ・プッチーニ

彼等の死、そして晩年に書かれた美しい黄昏れの歌はクラシック音楽の終焉を象徴しています。

その後は1943年に他界するラフマニノフ、1948年に他界するリヒャルト・シュトラウスなどが古い語法の音楽をなおも書き続けてましたが、彼らの最期の音楽は美しい四百年の調性音楽の伝統を受け継ぐ「白鳥の歌」となり、栄えある西洋音楽の終焉に有終の美を飾ったのでした。

こうしてクラシック音楽は、博物館や美術館や図書館で鑑賞されるべきような「古典」となったわけです(クラシック音楽は「教養ある音楽」として、特殊な扱いを受けてゆきます)。

政治形態が異なった社会主義国家の中だけは例外でした。

いわゆる東側諸国では「ゲンダイオンガク」は禁じられたために、1975年まで生きたドミートリィ・ショスタコーヴィチは古い語法の音楽を死ぬまで描き続けてクラシック音楽最後の巨匠として崇められたものでした。

ショスタコーヴィチが最後に書いた遺作ヴィオラソナタには、ベートーヴェンの葬送音楽である、いわゆる「月光ソナタ」が引用されていて、ショスタコーヴィチは自分が西洋クラシック音楽最後の巨匠であることを自認していたほどでした。

20世紀に愛された音楽

20世紀はこのように、クラシック音楽が大衆から離れていった時代でした(21世紀の普通の人が難しく見えるクラシックを聴かないことは、ごく当たり前のことなのです)。

それ以前の音楽は、音楽的教養のない人には難しくなっていたにせよ、やはり大衆的に楽しめる音楽だったというのに。

一方、20世紀初頭にアメリカで生まれた新しい音楽ジャズは、最初はダンスホールの低俗な音楽として卑しめられました。

20世紀ドイツのナチス政権はジャズを有色人種の作り出した低俗な音楽とみなしました。そして「同じくらいに低俗なはずの」シュトラウスのワルツを踊っていたのです。

ジャズの出自は低いものでした。下層階級の人たちが発達させた音楽だったからです。

音楽の三要素

でも、そのようなジャズは、西洋クラシック音楽が音楽の三要素(メロディ・ハーモニー・リズム)の中では最も低い存在とみなして知的に発展させなかった

リズム

を徹底的に極めつくします。

西洋クラシック音楽は伝統的に

ハーモニー

メロディはハーモニーに基いているので
ハーモニーがメロディを決定づけます
でもリズムは別物

を極め上げた音楽でした。

あまりに規則だらけで頭でっかちな音楽だったからです(西洋音楽の対位法は禁忌だらけ。この禁じられた規則を次第に開放してゆくことが西洋音楽の歴史でした。そして最後に無調音楽になるわけです)。

でもリズムは西洋音楽では、音楽の基礎中の基礎として、手つかずのまま何百年も据え置かれていた要素でした。

拍節感という規則正しいリズムの要素に関しては、西洋音楽では数百年間、ほとんど変わらなかったのです。

でも19世紀のロマン派音楽は歌うメロディ(によってつくられるフレーズ)が曲の主体となって、拍節的要素をむしろ後退させてしまったために、ロマンティック音楽ではリズム要素はむしろ退化していたといえるでしょう。

文化的要素って退化するのです。

進化こそが素晴らしいと信じられていた19世紀なのに。

そのような伝統の中の西洋音楽の巨匠の中で、リズム要素を誰よりも重んじて、どのような音楽にもリズムの躍動を感じさせる音楽を書いていたのが、ヨハン・セバスチャン・バッハでした。

バッハを聴いていて心地よいのは、拍節感というダウン・アップがいつまでも繰り返されてゆくビート感

舞曲を好んだモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトの音楽には、これほどのビート感を絶えず体感させてくれる音楽はほとんどありません。

バッハが特別なことには意味があるのです。

楽譜も読めないのに、耳コピだけで音符を揺らしてスウィングするジャズメンたちは、西洋クラシック音楽が忘れていたリズム感覚を開拓してゆくのですが、彼らは異口同音にクラシック音楽の中で、

バッハは素晴らしい

と語るのです。

教会音楽などに全く無縁そうな、ビパップジャズを切り開いた超絶技巧のチャーリー・パーカーは、バッハを尊敬する音楽家の筆頭に挙げています。

どうしてバッハなのか?

それはバッハの音楽に絶えず流れるビート感覚のため。

というわけで

JAZZ MEETS BACH

ジャズは必然的にバッハと出会うという意味

なのです。

JAZZ MEETS BACH

ビバップ期のベストピアニストの一人である、バド・パウエル (Bud Powell 1924-1966) には、バッハ録音さえもあります。

後年の名ジャズピアニストのキース・ジャレットが弾いたような「教科書的で生真面目な」平均律曲集とは違って、まさにジャズとしてのバッハ

どこにも曲名は書いていませんが、実はこの曲、ヨハン・セバスチャン・バッハではなく、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの「ソルフェジエット Solfeggietto」です。

大バッハの息子の音楽ですが、カール・フィリップは父親の衣鉢を継いだ鍵盤音楽のエキスパート。

彼の音楽は父バッハの音楽に劇的要素ドラマを持ち込んだような音楽。

先鋭的なリズム要素を突き詰めて、多感様式と呼ばれるスタイルで過激な鍵盤音楽をたくさん作曲しました。

でもカール・フィリップ・エマニュエルも「バッハ」です。

そのバッハをジャズピアニストがこうして弾いても、全くジャズに聞こえますよね。ジャズのリズム(アップビート)で演奏するから、こんな快演が生まれるのです。

「ピアノのバッハ」を弾くピアニストではなく、チェンバロ奏者の演奏がバドに近いです。

バドはバロック音楽なんて知らなくても、楽譜が読めなくても、バッハの時代(18世紀)の音楽に通じていたわけです。

わたしが西洋音楽の作曲家の中で誰よりもバッハが好きなのは、バッハのリズムの独特のビート感のため。

次の大バッハの音楽、ビートのための音楽そのものですね。有名なブランデンブルク協奏曲第三番。

弦楽合奏なのだけれども、メロディをうたい上げるのは、最初の楽章と最後の楽章のつなぎの部分のほんの少しばかり。

声楽曲でもいつだって通奏低音というベースが効いていて、どんなに美しいメロディの歌の下にはビートが聞こえてくるのがバッハの音楽の特徴。

ビートが脈打つバッハの音楽と、スウィングしてドラムがビートを刻み続けるジャズとの距離は、バロックのバッハ(ビートと対位法主体)と古典派のモーツァルト(メロディと伴奏主体)の距離よりもずっと近いと思います。

バッハばかり聴いていると、モーツァルトが物足りなくなってくることには辟易するのですが。

この動画はジャズのリズムで弾いたバッハのフランス組曲で始まる演奏。

どんどん変奏(インプロヴァイズ)されてゆくけれども、わたしにはどこにも違和感を感じません。ピアノでなくて、チェンバロ演奏ならば、こんな弾き方、ごく自然なものでした。

この動画は

歴史の中のバッハ:最初のジャズマン

バッハは世界最初のジャズ音楽家というわけです
テレマンやヘンデルやスカルラッティ
といったバロック音楽の同時代人たちは
バッハのようなビート感あふれる音楽を
書きませんでした

と題されています。

次の動画、誰もが知る「G線上のアリア」から始まりますが、バッハオリジナル同様に刻まれるリズム(ビート)こそがこの曲の魅力であると思い知らしてくれます。

有名なメロディではなく、メロディを乗せるビートにこそ、この曲の本当の魅力があるわけです(古楽器演奏を聴くと体感できます)。

ベートーヴェン以降の音楽は高度に発達させたハーモニーで音のドラマを築き上げてゆき、最後にはクラシック音楽は世界大戦の悲惨を表現するに最も相応しい音楽であるといえる「不協和音だらけの無調音楽」となるのです。

だから第一次世界大戦でクラシック音楽が解体してしまったのも、当然の帰結であるといえることでしょう。

デクスター・ゴードン

さて、バッハを愛したビバップ・ジャズメンたちのなかでも、わたしがとても好きだったのはデクスター・ゴードン。

テナーサックスの巨匠といえば、一般的にはジャズの求道者ジョン・コルトレーン John Coltrane 91926-1967) が挙げられますが、ユーモア感覚に乏しく、あまりに真面目過ぎるジョンの音楽を自分は好みません。

もう一人の偉大なテナー奏者のソニー・ロリンズ (Sonny Rollins 1930-)
は大好きだけれども。

コルトレーンとロリンズが共演した「テナー・マッドネス」というアルバムなんて、ノンシャランなロリンズに、シリアスなコルトレーンの音色とメロディラインの違いが際立って面白い。

ジャズは、昭和時代の薄暗いジャズ喫茶で年配のおじさんたちがお酒を飲みながら聴く、踊れないアヴァンギャルドな音楽であるよりも、ジャズが生まれた頃のダンスホールのスウィングする愉快なエンタメ音楽であるほうが自分には望ましい。

だから1920年代から1960年代までの楽しいジャズが好き。

マイルス・ディヴィスやコルトレーンは、ハードバップジャズを解体させて、クラシックみたいに音楽和声を極めつくして、調性音楽を崩壊させて、仕方がないので新しい音色の電子音を取り入れる方向へと進みます。

そうして古き良き時代のジャズもまた、死んでしまったわけです。

1970年代以降の新しいジャズに基いている21世紀のジャズは何でもありのごったまぜフュージョン音楽なので、自分はあまり好きじゃない。

クラシックな楽しくて軽くて陽気なジャズが好き。

そんなジャズの最高に担い手がデクスター・ゴードンでした。

彼の代表作のアルバム「GO」はビートが効いてて、テナーもよく歌って、知らずに体が左右に動き出してしまうような愉しい音楽。

Goはもちろんゴードン(Gordon)という名前に懸けたシャレ。

冒頭の「チーズケーキ」からほんとに踊りたくなるジャズ。コルトレーンの深刻度とは別世界のジャズ。

特にアルバム最後の曲、「Three O'clock in the Morning:午前三時」は学校の授業開始を告げる鐘の音で始まります。

このメロディ、もともとバロック時代の作曲家のメロディなので、こんな風にいろんな風に引用されますよね。

ジャズメンが出演した映画

不健康な生活のために(タバコ・酒・薬物)数多くのジャズメンは早死にするわけですが、1950年代から1960年代に全盛期を築いたデクスターは1990年まで生きたので、ビバップのジャズマンとしては例外的に長いキャリアを誇りました。

つい先日(9月21日)亡くなったベニー・ゴルソン (1929-2024) は95歳という長寿を保ったので、デクスターの67歳なんて全然若いのですが、ビバップ時代の生き残りとしては長生きでした

でもソニー・ロリンズはいまだに94歳で存命中!(2024年現在)。

ゴルソンはスティーヴン・スピルバーグの2004年の映画「ターミナルTerminal」にカメオ出演しています。

主演は全盛期のトム・ハンクス。

この映画、大好きです。

海外旅行をされたことがある方には、巨大空港でハンクスが巻き起こす喜悲劇にきっと共感されますよ。日本のパスポート所持者はこんなふうにはならない日本のパスポートに感謝しましょう。

おすすめ映画です。お勧め度は★★★★☆。

テナーのゴルソンがどこで登場するかは見てのお楽しみ。

ネタバレしません(笑)。

さて、カメオ出演ですが、デクスターはわたしが大好きな映画、いまは亡きロビン・ウィリアムズ (Robin Williams 1951-2014) ロバート・デ・ニーロ (Robert De Niro 1943-) が共演した名作「レナードの朝 Awakenings (1990)」で重要な役回りを演じています。

この映画については以前こちらで詳細に語りました。

デクスターはいつもピアノの前に座っているロナルド役なのですが、カメオ出演の最晩年のデクスターはピアノを奏でます。

映画「トイ・ストーリー」シリーズの作曲家ランディ・ニューマン(Randy Newman 1943-) の作曲。

映画の中で最も大切な場面で流れる、感動的なピアノ曲は偉大なジャズマンである最晩年のデクスターを讃える意味で

「Dexter's Tune = デクスターの唄」

と呼ばれています。

このメロディ、音楽知識が乏しかった若かったころに、耳コピしたけれども左手の和音がうまく採れなくて、仕方がないので、図書館からニューマンの音楽を集めたピアノ譜を探してもらって、映画のロナルドのように朴訥に弾けるようになりました。

それ以来、私の愛奏曲です。

不協和音(短二度というピアノで白鍵と隣り合う黒鍵がぶつかる音)が不安をあおりつつ、美しいハーモニーがどこまでも流れてゆくというピアノ曲。

レナード(デ・ニーロ)とポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)との別れの場面、レナートと同じく薬物のために蘇った言葉を喋らないロナルド(デクスター・ゴードン)は二人が最後のチークを踊る傍らで、静かにピアノを奏でるのです。

私にとってはこの場面、自分が見たすべての映画の中でも最も好きな場面。

映画のロナルドに扮する車椅子のデクスター、
映画が公開されたのは1990年12月
でもデクスターは半年前の1990年4月に他界していたのでした
映画撮影を終えて間もなく亡くなられたので、
映画はデクスターの遺作です

20世紀のクラシック音楽になったジャズ

クラシック音楽が20世紀の初めに捨ててしまった、耳に心地よいメロディとハーモニーとリズム。

だからこそ、原点に立ち返って、アメリカのジャズにバッハのビートの精神が受け継がれていったのだと思わずにはいられない。

デクスター・ゴードンは20世紀最高の偉大なジャズ音楽家の一人です。

ジャズ入門として、バラード二曲へのリンクを張っておきます。

バッハやモーツァルトを聴くように聴けるジャズ!

クラシックが好きな人が「古き良きジャズ」を聴かないのはもったいないことですよ。バッハはジャズに通じるし、ジャズはバッハに通じるのです。


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