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ウィーン駅舎のヴァイオリニスト

Note公式企画にインスパイアされた投稿第三弾です。

#好きなnoteクリエイター

3000字なのですぐに読めます。

最近フォローさせてもらった方なので、まだよく知らないのですが、亡くなられたお父様の遺品を整理していて、自分が知らなかった父の旅の記録をデジタル化して遺しておいてあげたい、と手記をこうして公開されていることに感銘を受けました。

「ゆう☆シニアライフハッカー」さんのお父様への思いが込められた、三十年前の1990年代に実際に行かれた旅の記録ですが、旅の内容は、ヨハン・セバスティアン・バッハ、そしてヴォルフガング・モーツァルトへの旅。

その旅は、まさにわたしがこれから行きたいなと思っている旅行そのものなのでした


旅の内容は『父の旅行記録』を直接読んでいただきたいのですが、なかでもウィーン駅でヴァイオリンを弾いていた青年のヴィターリの「シャコンヌ」のエピソードが印象的でした。

往年のジャック・ティボー (Jacques Thibaud 1880-1953) のSPレコードを親しまれていたというお父上。

なんとも懐かしい節回し。

ティボーは現在においても、マルグリット・ロンとともに、ロン=ティボー国際音楽コンクールに名前を残していて、今でも伝説として知られる名演奏家。

20世紀前半にはジョルジュ・エネスコやフリッツ・クライスラーと共に、世界三大ヴァイオリニストと呼ばれていた偉大な音楽家です。

パブロ・カザルス主催の「カザルス三重奏団」のヴァイオリニストとして、ピアニストのアルフレット・コルトーと共に、室内楽演奏の歴史に偉大な軌跡を刻みました。

技術的にティボーを凌駕するヴァイオリニストは現代ではたくさんいると思いますが、ティボーだけが奏でることのできる独特なポルタメントを絶妙に使った節回しは唯一無二。

これからもこのような音を鳴らすことができる演奏家は出現しそうにはありません。

「か細い」と表現したくなる繊細な音。後期ロマン派風のようでいて、ロマンティックなクライスラーとは全く別の音。

より一般的な名演はソ連邦のダヴィッド・オイストラフのような演奏。

オイストラフは非常に模範的な演奏で、楽譜に忠実な生真面目な演奏。

演奏家の個性よりも、音楽そのものの素晴らしさが伝わってくる。

ジョコンダ・デ・ヴィートは遅いテンポで、祈るように奏でるエモーショナルな演奏。バロックではなく、後期ロマン派音楽としての演奏。思いの丈を全て弓の上に乗せて絞り出しているような演奏。

フランスのティボーは徹頭徹尾、国ごとの文化の違いも時代のスタイルも超えた、誰にも真似できない個性を持つ「ジャック・ティボー」。

1942年、つまり太平洋戦争中にティボーのレコードを購入されたというお父上は大変に教養がおありになった方なのでしょうね。

とりわけ重奏音の変化が美しい

とサラリと書かれている部分に見識の深さを感じます。

よく曲のツボを理解しておられます。

戦前の日本ではレコードは貴重なものでした。

戦後の昭和日本のようにいくらでもLPやCDが買える時代ではなかったし、YouTubeでこうして無償で素晴らしい音楽にすぐにアクセスできる平成・令和日本とは全く別の時代でした。

優れた音楽は、わざわざお金を出さないと聞けない時代だったのです。

ウィーン駅舎のヴァイオリニスト

ウィーンの街角でお小遣い稼ぎをする若いヴァイオリニストのヴァイオリンの調べ。

絵になる情景ですね。

フォトジェニック。

こんな風に:

立ち止まって聴いてくれる人がいると嬉しい

英語ではこういう街頭演奏、ストリートパフォーマンス、一人ライヴを

Busking

/bˈʌskɪŋ/

と呼ぶのですが、わたしは学生時代、週末になると、ニュージーランドの小さな首都ウェリントンの街の片隅でフルートを吹いていました。

バッハの「G線上のアリア」などを無伴奏で吹いてみたりしていました。

いまでは「G線上のアリア」の魅力は、甘美なメロディではなく、複旋律が絶妙に絡み合う部分にあるのだと note で何度も書いている自分なのですが、あの頃はそんなことは分かりませんでした。

だから一人で、一番上の甘いメロディだけを吹いていました。

あの頃の自分はバッハを全然わかっていなかった

綺麗な音をただ鳴らしていただけ。

でも、たくさんのコインやお札を入れてもらえました。

クリスマスの時期にはキャロルを演奏して、ご祝儀として、一時間で200NZドルほども頂いたことがありました。

当時の日本円にして1万5000円くらい。

貧乏学生だったので、良いお小遣い(生活費)になりました。

曲について:

トマソ・ヴィターリ (Tomaso Antonio Vitali 1663-1743) はイタリア・ボローニャ生まれの世襲音楽家でした。

やはり世襲音楽家である音楽家一族のヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750) と全く同じ時代を生きた人。

当然ながらバッハとの同年生まれのドメニコ・スカルラッティやゲオルグ・ヘンデルとも同時代人。

ヴィターリは、ルネサンス時代のイザベラ・デステ (Isabella d'Este、1474-1539)で有名な大貴族エステ家の宮廷楽団六十年以上(つまり生涯の全て)勤めたという音楽家でした。

イザベラは、ルネサンス史を読めば必ず出てくる、ルネサンス史に重要な役割を演じた女性。

レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとしても高名です。

また教皇の娘ルクレツィア・ボルジアとの確執も忘れがたいものです。

塩野七生さんの著作で、わたしはイザベラのことを学びました。

ルネサンス芸術に興味がおありの方には必読です。

ヴィターリは宮廷音楽家でしたが、バッハやハイドンのような宮廷楽長ではなかったために、後世に伝えられた作品は数少なく、「シャコンヌ」が唯一の代表作。

トマソの父親ジョヴァンニ・ヴィターリ (Giovanni Battista Vitali 1632-1692) が音楽史では、より重要な音楽家なので影が薄いですが、「シャコンヌ」は世紀の名作です。

メンデルスゾーンが超有名な『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』を当て書きして献呈した相手として有名なフェルディナンド・ダヴィード ( Ferdinand David 1810-1873) が出版しました。

どうやらダヴィード が編曲してロマンティックに書き変えたために、バロック時代にはありえなかったロマンティックな転調などが施されて(ト短調から変ロ短調に変化して変ホ長調にまで変化)今日に伝わる名作となったのです。

重音奏法(Double Stop 旋律楽器のヴァイオリンで和音を奏でること)はバロック時代にはあまり用いられなかった演奏方法でした。

バロック時代の名ヴァイオリニストだったヴィヴァルディやコレッリの作品には出てきますが、低く構えるバロックヴァイオリンでは一般的ではなくて、ロマン派時代に一般化した演奏方法でした。

つまり、パガニーニ以降ですね。

ヴィターリの重音だらけの「シャコンヌ」が有名になったのは、1867年のダヴィードが編纂して出版した楽譜のためです。

バロック音楽だけれども、とてもロマンティックな音楽ということにも納得です。

残念ながら、ヴィターリの原曲がどのようなものだったのか、よくわからないのですが、この曲が名品であることには変わりありません。

ウィーンの空の下で風に乗って流れて来た、イタリアのヴァイオリンの調べ。

どのようなものだったのでしょうか。

ああ、旅に出たいなあ。


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