ツィンバロムとリコーダーによるハンガリー農民の歌
20世紀最大の音楽家の一人であるバルトーク・ベラ(Béla Bartók 1881-1945)。
ハンガリーでは日本人の名前のように、姓名の順番で名前を表します。
なのでハンガリー文化を尊重して、彼の名前はこの順番で書くことがいいですね。英語式では「ファーストネーム + ラストネーム」だけれども。
20世紀音楽を改革した三人の巨人:
アルノルト・シェーンベルクは和声発展に
イゴール・ストラヴィンスキーはリズム要素の活性化に
バルトーク・ベラは新しいメロディの発見に
特に大きな貢献を行いました。
粗野で圧倒的なリズムの作曲家としてもバルトークは知られていますが、都会的・頭脳的なストラヴィンスキーに対して、バルトークのリズムは自然や土着的な伝統を思わせるものです。
画家パブロ・ピカソや詩人ジャン・コクトーや舞踏家ニジンスキーなどと,
大都会パリで切磋琢磨していたストラヴィンスキーは都会人。
引用しませんが、野性的なピアノ曲「アレグロ・バルバロ」は都会派ストラヴィンスキーの洗練された音楽に対して、非常に土俗的。
民族音楽学者バルトーク
バルトークの創作の源は民謡にありました。
三大バレエを大都会パリで発表してストラヴィンスキーがもてはやされていた頃、バルトークは民族音楽の研究家として、ルーマニアやハンガリーの田舎を精力的に歩き回っていました。
いわゆるフィールドリサーチ。
フォノグラムシリンダーという当時の最新の蝋巻蓄音機を担いでいって、農民たちに実際に歌を歌ってもらったり楽器を演奏してもらったりして民謡を録音したのです。
紹介しませんが、バルトークが採取した歌、壮大な騒音と一緒の録音としてYouTubeでも聞けます。
都会人ストラヴィンスキーと違って、バルトークは古くから言い伝えられてきた土着のメロディや独特なリズムを集めて、芸術的であるとはみなされていなかった、節回しが独特な農民の歌の数々を後世に伝えようとしたのでした。
もちろん集めた民謡を研究して、自作の創作にも応用しています。
バッハはハンガリー系
つまりですね、世界中にはいろんなリズムやメロディを基礎に持つ音楽があるということの証明に人生を捧げたのがバルトーク・ベラでした。
ドイツのバッハのような強弱強弱という拍節感のある音楽は、世界基準で見れば全然普遍的ではないというわけです。
ちなみにヨハン・セバスチャン・バッハは50歳となった1735年に音楽家一族の誇りを込めて、一族の家系図を作成しています。
バッハ一族50人(音楽家のみ)の詳細な系譜を書き上げて、一族にそれぞれ番号を振って、自分を真ん中の24番にしています。
ご先祖さま番号第1番、一族の最初の人、ファイト・バッハ(1577年没)を次のようにバッハは紹介。
つまり、バッハ自身は自分自身が「ハンガリー系」であると認めていたのです。
パンを焼いてギターみたいな楽器を暇さえあれば弾いてたご先祖さま。
パンが焼けるまでの休憩には音楽っていう具合ですね。
また数字オタクのバッハは一族の50人の作曲家の一番最後の50人目には生まれたばかりのクリスティアン・バッハ(幼いモーツァルトの先生になった人)の名前を書き込んでいます。
赤ん坊だけれども、クリスティアンは音楽家になることが定められていて、50という数字は自分の50歳にあわせているのです。
50歳記念家系図はバッハの誇りでした。
でもバッハがハンガリー系であるというのは不都合な真実でした。
バッハをドイツ人の英雄とみなしたかった19世紀ドイツ人たちはひた隠しにして、純血主義の20世紀のナチスドイツはバッハの勘違いであると決めつけたのだとか(笑)。
21世紀になって、バッハ一族は本当はハンガリー系だったということは知られているでしょうか。
バルトークのメロディ
さて、ハンガリーの農民の歌は時に抒情的ですが、メロディ感覚がどこか変。
音程がなんともユニークです。西洋音楽的にはずれた音が多いのです。
四度(ドとファの音程)という中世ヨーロッパでは不協音程扱いだった音も頻出。
バルトークのヴァイオリン協奏曲に微分音(microtone:半音の半音・またはその半音)が登場するのもごく自然なことなのです。
西洋音楽の基礎のドレミファのメロディが全てではない、というのがバルトークの真骨頂!
興味のある方は探して聴いてみてください。第二番協奏曲は絶世の超名作。現代音楽としてはとても聴きやすい音楽です。
三度(ドとミの音程)と五度の和声が中心となる西洋音楽の典型であるドイツ式とは、かなり異なるのです。
お勧め動画:今日の一曲
面白い動画を見つけました。
わたしが昔から大好きな「チーク地方の三つのハンガリー民謡」という音楽のユニークな演奏。
チーク地方はルーマニアと国境を接するハンガリー南東部です。
この曲は1914年から1918年の第一次世界大戦が中央ヨーロッパで猖獗を極めていた頃に発見されて、後年、バルトークがアメリカに渡って、収入が出版以外にはない超貧乏の状況の中でピアノ曲として発表された音楽でした。
大国ドイツとソヴィエトの間にあったハンガリーは世界大戦で翻弄されて、そのためにバルトークはアメリカ移住を決めたのですが、アメリカでのバルトークは病と貧困に苦しめられて悲惨なものでした。
アメリカ移住に成功したストラヴィンスキーとシェーンベルクとは全く違った道を歩まねばならなかったのが孤高の大音楽家バルトークだったのです。
バルトークのこの名作はもともとは農民の歌。
ですので、むしろ古風なリコーダーとハンガリーの民族楽器ツィンバロム(cimbalom:ツィンバロン)で演奏される方がオリジナルな味わいが楽しめます。
ツィンバロムは一言で言ってしまえば、
なかなか面白い音が鳴る楽器。
クラシック音楽に造詣の深い方は、コダーイ(Zoltán Kodály 1882-1967)の名作「ハーリ・ヤーノシュ」を通じてご存じかもしれません。
バルトークとコダーイは一緒にルーマニアのトランシルヴァニア(ドラキュラで有名)やルーマニアに隣接するハンガリーのチークを旅して民謡集めを行ったのでした。
ツィンバロムを利用できるオーケストラは世界にも数えるほどしかないので(ハンガリー限定?)一般的なコンサートではピアノやチェンバロ、またはハープで代用されることがほとんどです。だから以下の動画は非常に貴重。
録音でもツィンバロムを使っていないことも多いようです。わたしもツィンバロム、実際に耳にしたことがない。
ハンガリー領内で生まれた、ハンガリー語が喋れなかった、ハンガリー人フランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲」も、弟子のフランツ・ドップラー(ハンガリー人作曲家)がツィンバレムのために編曲しています。
これが本来の「ハンガリー狂詩曲」???
この演奏者(Erzsébet Gódorさん)の演奏、開いた口がふさがりません。
アンビリーバボー!
ピアノで弾いてもめちゃくちゃ難しいのに!
ユニークな音色の楽器。
琵琶法師が平家物語を歌い出しそうな錯覚を覚えます。
世界にはいろんな楽器があり、いろんな音楽があるのだなあと感慨深くなります。
世界中の全ての音楽は民族音楽。
という言葉が心に響きます。
世界音楽を知れば知るほど。
バロック音楽という西欧音楽の中の特殊な音楽(ユーラシア大陸の西の外れの地方音楽)を特に愛するわたしですが、独自性を打ち出せば打ち出すほど、音楽とは普遍的に世界中の人の心に届くのだと思うのです。
バルトークのハンガリー民謡:ピアノ版
ピアノ版では北欧の孤島アイスランド出身のヴィキングル・オラフソンの最新録音が素晴らしい。
オラフソンの演奏、バッハやベートーヴェンを弾くときには鍵盤の底までしっかりと叩いて太い音を出しますが、ここではツィンバロムを模しているのか、第一曲、第二曲、第三曲と、それぞれ曲の性格に応じて一曲ごとに音色を変えています。
指を円く折り曲げたり、指先だけで叩いたり、レガート気味に粘るようにピアノを鳴らしたりして、弦楽器を爪弾いているような音をピアノから引き出しています。
ペダルを踏む足の動きも絶妙で、見事なエコー効果が生まれます。
スタインウェイピアノにこんな風な残響の味わいを活かした音楽を弾かせると最強です。
映像なので手の動き、指の動きが見えるので、ますますよくわかります。
なんて微妙な音色変化。
指先のコントロール、なんて超絶技巧。
ピアノはバリバリと指が回れば偉いのではないですよ。
いかに楽器の持つ潜在的な美を楽器自身から音として引き出すか。
楽器の持つ性能を活かしてどのような音を聴き手に届けるのか、に演奏家の使命があるのです。
農民の歌にふさわしいリコーダーの鄙びた響き。
くぐもった音がなんとも不思議なツィンバロム。
そして、近代楽器技術発展の最高峰である豊饒な音色のピアノ。
金子みすゞ の『私と小鳥と鈴』の「みんなちがって、みんないい」ですね。
初めて聴いても懐かしくなる、ハンガリーの農民の歌でした。
今日も良い日でありますように!