七つの音だけでできている、光り輝くフーガ

ショパンの子供の頃のポロネーズのことを書いて「ショパンが嫌い」な理由を正直に書き出すと、好き嫌いがあることが私たちの個性である、それでいいのだ!のような感想をいくつか頂きました。

ショパンは好きだけど、ショスタコーヴィチが苦手、という言葉も理に適っていて、感慨深く感じ入りました。

ソ連邦の大天才ドミトリー・ショスタコーヴィチは、第一回ショパン国際コンクールに出場したほどの名ピアニストでした(1920年代のピアノコンテストには誰でも出場できませんでした)。

若いショスタコーヴィチは既に19歳の頃に音楽院の卒業記念作品として、のちの大作曲家の個性が見事に刻印された交響曲第一番を発表するなどしていました。

ショスタコーヴィチの作風は、ショパンとは水と油。でも「社会主義国家の威信のために」作風が全く異なるショパンの作品を若いショスタコーヴィチはワルシャワで弾いたのでした。そんな彼が入賞できなかったのは当然のことです。

日本の戦中の小説家たち(太宰とか)が日本中世の題材を用いて創作したように(英米文化のことを語ることは許されなかったので)社会主義国家の国策のために自由な創作を許されなかったショスタコーヴィチは温故知新、バッハの「平均律クラヴィア曲集」を範にとって「24の前奏曲とフーガ集」作品87を書いたのでした。

東独ライプツィヒのバッハ死後200年記念(1950年)の祝典に出席してインスパイアされて書かれた作品です。1948年には二度目の批判 (いわゆるジダーノフ批判)を当局から受けていて(シベリア送りまでの最後勧告)擬古的な作品を書くことが求められていたのです。完成したのはスターリンが死去する二年前の1951年。

曲集は20世紀らしい歪んだ感性による、擬古的だけど不思議な響きのどこか変な曲集(笑)。ショパンのロマンティックな夢想が大好きな人には楽しめないこと請け合いです。最初のハ長調からして、ドミソの和音の続きが変イの和音になるなど、音楽はどんどんねじれてゆくのです。

そのようなショスタコ節満載の曲集ですが、バッハも唸るような珠玉の作品も含まれていて、特にイ長調のフーガは、20世紀後半に書かれたクラシック音楽の作品の最美の作品の一つ。

曲中盤まで全く転調することなく、ドレミファソラシドの七音だけでフーガが展開してゆくのです。全く臨時記号なしのイ長調のドレミファソラシド。濁りのない純粋な音だけが鳴り響いて、キラキラしてあまりにも眩しいくらい。

聴くたびに七色のステンドグラスを通して降り注ぐ光の海の中にいるかのような錯覚を覚えます。きっとこの曲だけはショパンが大好きな人でも好きになれるショスタコーヴィチ。

もちろんバッハ的だけど、ショパンもバッハが好きだったという共通項を通じて、ショスタコーヴィチとショパンが通じ合うのです。どこかショパンの練習曲作品10最初のハ長調にも似た、煌めく光の中のような音楽。二分間の奇跡の調べ。

まだ知らないという方には是非聞いてほしい。虹色(七色)を意識して作られたこの動画も曲の性格にぴったりで優れたミュージックビデオです。

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Logophile
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