チェンバロで演奏する月光ソナタとジュリエッタ
前回、文明開化の明治日本において行われた西洋音楽輸入の時代に活躍して悲劇的な最期を遂げたピアニスト久野久のことを語りましたが、久野久の得意曲は、いわゆるベートーヴェンの「月光ソナタ」でした。
わたしはこの曲を暗譜しているほど大好きなのですが、今回は次の三点に絞って解説したいと思います。
例によって、当時のピアノ(フォルテピアノ)と現代のピアノ(19世紀半ばに完成されたグランドピアノ)の楽器の性能の違いから読み解く視点からの分析です。
<1>月光ソナタという誤称
まずは名前。
わたしはこの曲を「月光ソナタ:英語でMoolight」とは呼びません。
この記事では慣例に従って、この国際的に認知されている通俗名称を使用しますが、わたしはこの呼び名は好きではありません。
作曲者ベートーヴェン自身がそのようには呼ばなかったということは、クラシック音楽通の皆さんならば、きっとご存知ですよね。
この曲、正式名称
は、二曲セットとして一緒に出版された、姉妹作の変ホ長調ソナタと共に、あくまで「幻想曲風ソナタ("Sonata quasi una Fantasia")」と呼ばれていていた作品。
19世紀最初の年の1801年に完成された作品。
この頃、ベートーヴェンは新しい交響曲創作のために、数々の作曲実験を行っていて、月光ソナタもそうした実験音楽のひとつ。
出版は翌年の1802年。
ベートーヴェン生前から大変に人気があった作品なのですが、「月光」と名付けたのは、ルートヴィヒ・レルシュタープ (Heinrich Rellstab 1799-1860) という人。
シューベルトが好きな人ならば、レルシュタープをご存じかも。
フランツ・シューベルト最晩年の歌曲集「白鳥の歌」の詩人としても知られている詩人・作曲家・音楽評論家です。
シューベルトの同世代でベートーヴェンの子供世代の人。
シューベルトの最も有名な歌のひとつである、セレナードの歌詞の作者がレルシュタープ。
同じメロディが同じ音の高さのまま、平行短調と平行長調の間で微妙に揺れる、シューベルトらしさあふれる不滅の名曲(メロディのドレミのミやラを絶妙の感覚で半音上げたり下げたりするのが誰にも真似できないシューベルトメロディの特徴)。
わたしは五七調の日本語で歌える堀内訳が大好きです。
なかなかの名訳だと思います。
レルシュタープはベートーヴェンと面識があり(1825年に詩人は作曲家のもとを訪れています)その後、自作の詩をベートーヴェンに作曲してもらおうとベートーヴェンのもとに送ったところ、何らかの事情で彼の詩がシューベルトの手に渡ったのだとか。
ベートーヴェンの伝記資料を改竄したことで悪評高い自称秘書アントン・シントラーがシューベルトへ詩を渡したということです。
シューベルトの死後、出版された楽譜を見て驚いたレルシュタープがベートーヴェンの遺産を勝手に管理していたシントラーに問いただして判明した事実。
何も知らなかった作者レルシュタープは非常に驚いたのだとか。
いずれにせよ、レルシュタープはベートーヴェンの死後五年後の1832年に書かれた評論において、この曲を
と紹介したことで、レルシュタープは長くその名を音楽史にとどめました。
あまりにもロマンティックなキャッチフレーズは大ヒット。
しかしですね、この名称は全くの誤り。
なぜか私がアクセスできる日本語文献からはこの情報は全く見つからないのですが、月光ソナタの由来となった第一楽章「アダージョ・ソステヌート」は
で書かれていることを昔から多くの音楽史家が指摘しています。
つまりベートーヴェンの英雄交響曲の第二楽章やショパンの葬送ソナタ、マーラーの第五交響曲の第一楽章と同じ種類の音楽。
付点のリズムの音型は似ていませんか?
前述のように、交響曲を自身の最も大切にしていたジャンルとみなしていた、交響曲作曲家ベートーヴェンにとって、すべてのピアノソナタは交響曲を書くための実験でした。
同時期(1801年)に完成された作品26(ソナタ12番)は葬送行進曲付きソナタとして知られていますが、この時期、ベートーヴェンは第二楽章に葬送行進曲を持つ英雄交響曲を準備していて、作品27の2もまた、第三番の英雄交響曲を書くための試作的な実験作品だったのでした。
次に完成する第二交響曲にはまだこれほどの斬新な手法は取り入れられてはいません。
ピアノソナタの新しい表現は数年のちに交響曲の新しい音として結実するのです。
この曲が「葬送音楽」であるということを知ったのは、敬愛する名ピアニストのアンドラーシュ・シフが行ったウィグモア・レクシャー・シリーズでの講演においてでした。
ハンガリー語を母語としているシフの英語は、第二学国語としての英語なので、我々日本人には非常に聞き取りやすい。
なかなか面白いので、英語に興味をお持ちの方はこのシリーズ、ぜひ聞いてみてください。英語語彙も音楽用語以外は全く難しくないので、ヒヤリングにとてもよいです。
外国に暮らすと、ネイティブよりも、英語を話す外国人と会話する方が楽で楽しいという経験を誰でも持つものですが(ネイティブは発音悪いと相手を馬鹿にして会話してくれないことが多い)そういう意味でハンガリー人シフのレクチャーは最高です。
この内容の濃さのレクチャーが無償で聴けるとは。
シフはベートーヴェンがこの時期にモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」第一幕の騎士長殺害のシーンの楽譜を模写していることを指摘。
ベートーヴェンはモーツァルトの楽譜を徹底的に勉強していて、弦楽四重奏曲イ長調K464のフィナーレなども完全に模写していますが、「ドン・ジョヴァンニ」の模写譜も現存しています。
映画アマデウスには残念ながら含まれなかったのですが、モーツァルト音楽の中でもとくに有名な場面。
殺された騎士長は石像になって、第二幕に再登場するわけですから、ドラマの中の最重要シーンのひとつ。
未婚の娘を寝取られた怒れる父親である騎士長殺害の場面のバス(低音伴奏)の音型の葬送音楽は、実は全く月光ソナタそのものです。
次の動画をアップロードした人は、はっきりと「Don Giovanni - Commendatore's death (Moonlight Theme)」と書いています。
弱音で弦楽器によって奏でられるのでYouTubeからでは聞き取りづらいですね。実演ではよく聞こえるのですが。
楽譜を見ると、全く月光ソナタそのものです。
間違いなく「月光ソナタ」はドンジョヴァンニの遅い三連符の分散和音による葬送音楽のメロディを本歌取りした音楽なのです。
モーツァルトへのオマージュとも呼べるかも。
湖水に浮かぶ月光のロマンティックな情景とは全く無縁な音楽がこの曲の元ネタというわけです。
ベートーヴェンがドン・ジョヴァンニを模写して、月光ソナタを書いたのは歴史的事実。
「月光ソナタ」が暗示しているものは死。
しかしながら、レルシュタープが「湖面の月明かり」と表現してから、すぐにこの曲はこの呼び名で知られるようになります。
早くも1830年代後半には、英語圏では、Moonlight Sonata として広まっていたのだそうです。
やがては六十年後、フランスのクロード・ドビュッシーが「Clair de lude 月の光」という超ロマンティックな曲を作曲。
ドビュッシーがベートーヴェンのソナタを意識していたのかどうか、定かではないのですが、曲の調性はベートーヴェンと全く同じ変ニ長調(月光ソナタの第二楽章と同じ、または両端楽章の異名同音)。最初は「月の光」ではなかったとも言われますが。
偶然でしょうか?
そのようにベートーヴェンの死後、百年も経つと、誰もが「月光ソナタ」であると信じるようになっていたのでした。
いずれにせよ、わたしは「葬送音楽」の第一楽章を持つ幻想曲風ソナタと呼ぶのが好き。
「月光ソナタ」という音楽、全ての楽器の中でも最もロマンティックな楽器である現代ピアノで演奏されると、この曲は世界で最もロマンティックな音楽にも聞こえるようになります。
ピアノで演奏される限り、この名称はあながち間違いではないのでしょう。
ベートーヴェン時代の楽器で奏でると、曲のイメージが変わってしまうのですが。
楽器の音色が進化したことで、曲のイメージもまた進化した曲であるといえるでしょうか。
後述しますが、この曲をまさにチェンバロで演奏すると、バッハ作曲の幻想曲に雰囲気がまったくよく似ている音楽だとわたしは思うのです。
月光ソナタのロマンティックさを際立たせる特徴は、ナポリの六度という特殊コードの多様にありますが、このコードはピアノで弾かれるとロマンティック効果が最高に高まります。
<2>フィナーレにクライマックスを置くベートーヴェン劇場の雛型
ベートーヴェン音楽の特徴はドラマトゥルギーの作り方の巧みさにありますが、ベートーヴェンは常にどこに全曲のクライマックスを置くかを常に考えて作曲していた人でした。
有名な第五交響曲ハ短調、日本でしか通用しない名称のいわゆる「運命交響曲」は、ベートーヴェンの全ての音楽の中でも最もドラマティックな音楽です。
その第五交響曲のクライマックスの構成は黄金律の比率に戻づいていると音楽史家に指摘されています。
黄金律とはルネサンス絵画でよく使われるバランスの比率。
螺旋を図形で書くと、完璧なプロポーションが得られますが、あの比率、いわゆるフィボナッチ数でどの位置に音楽的クライマックスを置けばいいのか、ベートーヴェンは考えたのでした。
ソナタ形式は起承転結ですが、どの部分まで起承にして、転をどの部分にして、結をどこにするかを、ベートーヴェンは小節数を丁寧に計算することで、数学的に第五交響曲を書いたのです。
「月光ソナタ」のフィナーレが黄金律を用いているのかどうかは調べたことはありませんが、「月光ソナタ」の構成はフィナーレにクライマックスが来るように絶妙に計算されていて、フィナーレに最も大事な音楽が来るように設定されています。
コーダ手前のものすごい分散和音がフィナーレのクライマックスですが、あの部分の配置もまた、計算の上で考え抜かれて位置されているはずです。
理知の人ベートーヴェンは、数字オタクのバッハにも劣らぬ理系脳を持っていた作曲家だったのです。
月光ソナタの新機軸
月光ソナタの全体の構成も、
第一楽章はゆっくりとした音楽。
第二楽章は軽快な舞曲。
第三楽章は速いテンポの本格的ソナタ形式
起承転結ではなく、日本の雅楽の「序破急」に通じるわけです。
序破急は、新作エヴァンゲリオンのタイトルに使用されて「:序:破:Q」として聞いたことがあるのではありませんか(笑)。
ベートーヴェンは独自にこのような三段構成のドラマの作り方を研究していたのでした。
第一楽章がなくて、第二楽章から始まるという認識は正しくはないでしょう。
手塚先生の「ルードウィヒ・B」ではそういうことにされていますが、ルイ(ルードウィヒ)を敵視するフランツの発言なので、手塚先生の認識であるかどうかは不明。
この名作は未完作品で続きがないので、この後、どういう言葉をルイがフランツに言い返したのかはとても気になりますが。
もしルイがこのあと、
なんて言い返すと最高なのですが(筆者の妄想:笑)
ベートーヴェンのあまりの創造力の凄さに脱帽です。
フィナーレに最も大事な音楽を置くというスタイルはその後、第五交響曲や第九交響曲にも踏襲されてゆきます。
だんだん盛り上がって行って最後に爆発というパターンはベートーヴェンの真骨頂。
実はこういうドラマの造りはとても構築が難しいもので、ベートーヴェン以前のハイドン先生のソナタの多くは竜頭蛇尾。
フィナーレが軽すぎるのです。
第一楽章が最も立派で、最後のフィナーレは軽快な舞曲(ロンドなど・バッハではジーグ)というパターンがほとんどでした。
これが古典形式の基本。
基本形を全く逆さまにする新しい音楽を生涯をかけて突き詰めていったのがベートーヴェンなのでした。
「月光ソナタ」は曲の最後に全曲の核心が置かれた作品の典型。
全三楽章は有機的に結合されていて、第一楽章の和音進行はほぼフィナーレの和音進行と同じ。
全然違う音楽に聞こえても、静まり返った沈鬱な葬送行進曲(または湖面に浮かぶ月明かり)と幽鬼の奔放のようなフィナーレは、表裏一体なのです。
中間の変ニ長調の三拍子の舞曲はなんとも優雅。ほとんど宮廷舞曲のメヌエットですが、右手と左手のリズムがずれていて、どこかユーモラス。
両端楽章と関連なさそうですが、調性(色彩)の変ニ長調(フラット五つ)は両端楽章の嬰ハ短調の異名同音。
フランツ・リストが「二つの深い深淵の間に咲いている花」という美しい言葉で表現したように、惚れ惚れとするほどに見事な間奏曲です。
変ニ(Db)=嬰ハ(C#)なので、同じ色調。
できる限り少ない素材で大きな曲を書くというのがベートーヴェンが生涯をかけて極めた作曲スタイルでした。
楽譜を読めば読むほど、いろんなつながりが見えてくるすごい曲です。
<3>チェンバロで演奏も可能という記述
さて、ここからがこの投稿の主題。
再び初版版の表紙を見てみましょう。
一番大きく書かれた「ジュリエッタ・グイチャルディに献呈」という部分ではなく、幻想曲風ソナタと書かれた下の文字。
筆記体で読みにくいかもしれませんが。
と書かれています。
ソナタ第12番(作品26)にも、同じことが書かれています。
でもそれ以前のソナタ第8番(悲愴)や第9番、第10番、第11番には
でも第4番ソナタ作品7には
ハイドンに献呈された作品2の三つのソナタ(第一番・第二番・第三番)は「ピアノフォルテのための」。
そして月光ソナタの次の曲であるソナタ第15番作品28「田園」以降はすべて「ピアノフォルテのための」と統一されるようになるのです。
ベートーヴェンの初期のソナタは、まさにピアノという楽器が進化していた真っただ中に書かれていたために、曲ごとにどの楽器で弾くべきかの指示が異なるという事態となったわけです。
1802年という19世紀になっても、古いスタイルの楽器であるチェンバロはもちろん現役の楽器だったこともわかります。
新しい楽器のピアノフォルテ(またはフォルテピアノ)はまだ広くしていると言い難い状況だったので、楽譜売れ行きを考慮して、出版社とベートーヴェンは「チェンバロの」という言葉をタイトルに書き入れることにしたという説と、ソナタ第4番、第12番、第13番、第14番という曲の性格がチェンバロ演奏に向いていたとも考えられます。
どうしてこうなったのかの決定的な決め手はないのですが、間違いなく、ベートーヴェンはチェンバロで演奏されてもかまわないと公認していたというわけです。
チェンバロとフォルテピアノで演奏してみると
そこで探してみると、やはり見つかりました。
作曲家公認なので「月光ソナタ」はチェンバロ奏者によっても録音されていました。
以前から書いているように、18世紀のチェンバロは20世紀半ばになって初めて復元されるようになったのでしたが、おそらくその最も古い復元楽器で録音された「月光ソナタ」をYouTubeから聴くことができます。
1780年製のハープシコード(つまりベートーヴェン10歳の頃に製作された楽器)を1969年に復元した楽器を使用して、1972年に録音されたという歴史的録音!
世界初の快挙でした!
とても面白い。
こちらは21世紀になってからの録音で、二段鍵盤楽器による演奏動画。
チェンバロで演奏されると、レルシュタープの「湖面に映える月の光」のイメージはあまり想起されることはないのでは。
ピアノ特有の残響が全くなくなって、規則正しくリズムが端正に刻まれて付点付きのメロディが葬送音楽の特徴である、ゆっくりとしたテンポの付点付きのメロディを奏でます。
ドン・ジョヴァンニ的な暗鬱で不気味な音楽に聞こえませんか?
次の動画はベートーヴェンがこの曲を作曲した頃の最も一般的なフォルテピアノによる演奏。
「senza sordini=ダンパーなしで演奏せよ」と書かれた指示は、ダンパーペダルがないフォルテピアノでは従うことができませんね。
ダンパーはピアノの弦を抑える部位で、現代ピアノではダンパーペダル、正式にはサステインペダル(ピアノの足者の最も右のペダル)を踏み込むことで、ベートーヴェンの指示に従うことができます。
ダンパーペダルとは、残響を抑えるダンパーを外すペダルという意味が由来。
足の部分を見ると、足ペダル(弦を抑えるダンパーを外して残響をいつまでも響かせるダンパーペダル)はついていません。
このタイプのフォルテピアノは膝ペダルもついていないようです(動画では確認できません)。
膝ペダルや足ペダルがあるピアノの場合は、ダンパーペダルを思い切り使いましょうということなのですが、ピアノ黎明期の楽器事情は誠にややこしい。
モダンピアノ演奏では第一楽章はフルペダルを何度も踏みかえて、ピアノ特有のエコー効果が最大限に楽器されるわけですが、チェンバロやフォルテピアノでは無理だったのでしょうね。
楽器の性能を超えた、よりロマンティックな演奏をベートーヴェンは求めていたのでしょうか。
だとすれば、「月光」という名称も悪くはないのでしょうね。
鉄砲水のような怒涛のフィナーレは、月明かりの音楽には全く思えないのですが。
「月光ソナタ」なんて通俗名曲であるといわれるクラシック音楽に造詣の深い方々には、ピアノ演奏ではなく、フォルテピアノやチェンバロ演奏で聴いてみて、この名作の別の魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。
残響たっぷりの音を出さないモダンピアノ以外で演奏される「月光ソナタ」は、まさに18世紀の音楽、初期ベートーヴェン(内容的には中期に近接)の音楽という感じがしますよね。
いろんな楽器で奏でられる月光ソナタ、わたしにはとても興味深い。
きっとエロイカ交響曲の第二楽章の葬送行進曲を書くために、月光ソナタは役立ったのだなとわたしは思っているのです。
ならば元恋人に献呈されたわけは?
この曲は当時の恋人だった伯爵令嬢ジュリエッタ・グウィチャーディ (1782-1856) に贈られた作品としても知れています。
ちなみにジュリエッタ(「ロメオとジュリエット」のヒロインと同じ名前)という名は、彼女の名前のイタリア語読みでドイツ語読みはJulie ユーリア、名字 Guicciardi はグイチャルディ。
1801年に30歳のベートーヴェンのピアノの生徒となった16歳のジュリエッタ。
ベートーヴェンは彼女に夢中になり、彼女も自分を愛してくれていると故郷ボンの親友ヴェーゲラーに書き送ったほど。
ですので、そんな彼女に送った曲が葬送ソナタであるはずはないといわれる方のいらっしゃるかもしれませんが、本来ジュリエッタには彼女にふさわしい、とても可愛らしいロンド作品51‐2が捧げられるはずだったのです。
しかしながら、大パトロンのリヒノフスキー伯爵の令嬢に曲を贈らないといけないこととなり、ロンドは利用できなくなります。
そういう事情で、ジュリエッタには、代わりにこの曲が献呈されたのでした。
ですが、じつのところ、曲が献呈される頃には、ベートーヴェンの恋は破局していて、ジュリエッタは作曲を嗜む貴族の家の男と婚約した後のことでした。
邪推するならば、葬送音楽とは、ベートーヴェン自身の失恋を終わらせるための音楽なのかもしれません。
まあどんなイメージをこの曲に抱こうとも、聴き手である自分次第です。
ここからはおまけ。
不滅の恋人?
ジュリエッタがベートーヴェンの心を支配していたのは一年から二年ほどだったと考えられています。
周知のように、ベートーヴェンはジュリエッタのあとにも別の女性に恋をしています。
身分違いの女性に恋をすることで作曲の原動力にしていたと思われるくらいに高嶺の花の女性ばかりに恋をしていたのがベートーヴェンでした。
庶民の娘を探せば、いくらでも結婚相手はいたのです。
売れっ子作曲家兼演奏家だったのですから。
でも懲りずに身分違いの貴族の娘にばかり恋をする。
のちには、ジュリエッタをベートーヴェンに引き合わせた従姉妹関係にあるジョゼフィーヌ・ブルンスヴィック (1779-1821) とも恋仲になるわけです。
ですが、ジュリエッタがベートーヴェンの恋人として、あまりにも有名なのは、この小さな肖像画のため。
この肖像画は小さなロケットペンダントの中の絵なのですが、実はベートーヴェンの死後に遺品の中から見つかったという代物。
ご存じのように、ベートーヴェンの遺品の机の隠し引き出しからは「不滅の恋人へ」と書かれた三通の手紙が発見されたために、ベートーヴェンの「不滅の恋人」とは誰だったのかを二百年もかけて究明されるまでに至ります。
遺品を管理した自称秘書シントラーは、別れてから20年以上も大切に隠し持っていたロケットペンダントゆえに、シントラーが1840年に出版した世界初のベートーヴェンの伝記には、ジュリエッタこそが「不滅の恋人」だと断定されています(大嘘です。根拠はペンダントだけ)。
そして1840年になってもまだ生きていたジョゼフィーヌの姉のテレーゼ・ブルンヴィック (1775-1861) はそんなはずはないと反論。
ベートーヴェンは妹ジョゼフィーヌを熱愛していたと。
まだ存命中だったはずのジュリエッタが伝記を読んだのかどうかは知られていません。
AI処理した肖像画
さて、この有名な肖像画、オリジナルがあまりに小さいので、ジュリエッタの顔が分かりにくく、どうにも彼女の魅力が伝わらない。
インターネット画像は拡大できるので、以前よりずっと良い写真として見れるのですが、元の絵は面影を写し出すための小さなロケットペンダントの中の絵なので、やはりどこか物足りない。
これなんかは画像修正されていて綺麗になっている。
別のジュリエッタの肖像画としては、これが美しい。
ペンダントの顔と同じですよね。もっと年上になっているのだけれども。
ジュリエッタの肖像画としては、これら二つがよく知られています(もう一点、白黒のあまり美しくない肖像画もありますが今回は割愛)。
なので生成AIでこれらをできる限り忠実に実写化してみると:
ロケットペンダントの肖像画も
まだまだ修正の余地がありますが、丸顔な感じの素敵な女性ですね。「不滅の恋人」ではないのだけれども。
というわけで、なにはともあれ「月光ソナタのジュリエッタ」の名前は不滅なわけです。