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ティーンエージャーが夢中になる、ディズニーのフランチャイズ 「Descendants」

12歳になる娘が夢中なのは「Descendants」という映画と本。

邦訳はカタカタで「ディセンダント」。誠に味気ない邦訳なのですが(ディセンダンツと複数形にしないのはなぜでしょう?)、このNoteの投稿は日本語で書いていますので、「ディセンダント」として語ります。

我が家にはDisneyPlusなる有料テレビは入れてはいないので、良い映画があればその都度、レンタルなり購入なりをするのです(DisneyPlusを英語でいつも見ている日本の子供は確かに英語に慣れますよね)。

特にディズニーのファンでもないので、この映画のことを全く知らなかったのですが、映画の世界的な人気を鑑みると、大変な成功作ですね。

ディズニー映画のおとぎ話の血をひく者たち(物語の主人公や悪役たちの子孫=ディセンダント)の物語、という設定なので、ディズニーによる、ディズニーのための、ディズニーの物語。

映画と同時に小説版も作られていて、映画が原作本に基づいているわけでもないそうです。小説の第一巻目は、映画第一作目の前日譚として書かれているオリジナル。

英語原作を読んでみましたが、それなりに面白い読み物でした。

本の第二巻で映画第一作目の物語が詳細に語られるという体裁なようです(娘によると、本はパラレルストーリーのようにいろいろ整合性に不具合があるのだとか)。

文字の方が画像中心の映画よりも多くを語れるものです。映画と小説と両方楽しむべきというのが、ディズニーの商業コンセプト。

英語オリジナル版の本は齧られた白雪姫のリンゴのカバー

2015年に映画と小説の第一巻が作られて、映画は現在2022年6月で映画は第三作まで生まれて、小説も第四巻まで刊行されています。

もうインターネット上でたくさん語られていますが、ネタバレしない程度に少しばかり物語を書いてみると、ディズニー映画「眠れる森の美女」の悪い魔女のマレフィセントは敗北後に魔力を封じられています。

幽閉されている島の名は、The Isle of the Lost(失われた者たちの島:でも日本語訳は「ロスト島」、なんとも味気ない。ピーターパンのLost Boysをカタカタにするのと同じですね)。さまざまなディズニー映画の悪役たちもまた同じようにその島に集められているのでした。流刑地なのですね。

そしてそれぞれに子孫たちがいて、魔女マレフィセントの娘のマルが主人公という物語。「シンデレラ」や「美女と野獣」や「101匹わんちゃん」や「アラディン」や「リトルマーメイド」などを見たこともないと、なんだかわかりづらいのですが、映画の悪役たちはみな子孫を得ているという設定(魔女マレフィセントに子種を授けた、マルの父親は誰なのでしょう?)。

新たな主人公たちによる映画第四作も制作されているそうですので、今からこのフランチャイズに親しんでも遅すぎるということはありません。わたしは英語の勉強になるかなと娘に付き合って映画を観て、本も読んでいますが、ティーンエージャーにウケるコンテンツがたっぷり。また往年のディズニーファンを微笑ませるパロディやオマージュも。

これは「美女と野獣」のBe My Guestのディセンダント版。オリジナルを知っていると、知らないよりもずっと楽しいですね。

オリジナルはこんな曲。ろうそくの燭台のルミエール、最高です。

わたしが16歳ならば、きっとこの映画を大好きになったと思います。

将来への夢や希望や不安がテーマ。

血統ではなく、自分がどうあるかを決めるのは「自分自身」という思想は大事なものです。

<悪の素晴らしさを歌いあげる母親。わたしには魔笛の夜の女王の姿がダブって仕方がありませんでした。これもパロディなのかも。ディズニーファンでもモーツァルトのオペラアリアをご存知でしょうか>

モーツァルト版はこんなのです。作曲されたのは1791年。なんだかそっくりに見えませんか。

血統主義は、一昔前に世界的に大人気だったハリーポッターの主要テーマでもありました。純潔な魔法使いの家系か、そうではないか。

現実世界においても、二世政治家や二世俳優など、血統主義がいまもなお支配的なこの世界。

由緒正しい血統への憧れはいつの時代にもあったものです。ドラゴンクエストも「勇者ロトの血を引くもの」としてゲームを楽しみました。こういう文化はいつの時代にも存在するのです。

王族や貴族の家系は彼らにとっては尊いものでしょう。でもそれに捉われるのもバカげたことです。王族は血統より自由になりたいし、社会的に立派な血統のない者は、血統に憧れる。

血統は遺伝子。

優性遺伝すれば、両親の優れた素質を受け継いで、偉大な力を発揮することでしょう。その意味で血統は正しいけれども、そうでない可能性の方が高いものです。

天才の素質も、半分は祖先よりの遺伝。でも半分は間違いなく後天的な努力によるもの。そう現代では考えられています。どんなに優れた素質を受け継いでいても、それを育てない限りは大成には至らないものです。

例えば神童として知られた楽聖モーツァルト。彼は優秀な音楽家の父親の遺伝子を受け継ぎ、英才教育を受けて、父親に連れられて欧州中の宮廷を訪ねて、神童としての名声をほしいままにしましたが、音楽史上にはモーツァルトと同程度の天賦の才を持った神童は数多くいました。モーツァルトだけ飛び抜けて有名なのは、彼の父レオポルトのマーケティング戦略のためで、彼以前にあんな風に神童を売り込んだ人物はいなかったのです。

でもヴォルフガング・モーツァルトが音楽史上で本当に飛び抜けた存在になったのは、彼の後年の努力ゆえ。ヴォルフガングの手紙には自分ほど努力する音楽家はいないという言葉があります。誰もが神童として彼を見たけれども、「神童」というレッテルを乗り越えようとして生きたのが、モーツァルトの36年弱の生涯でした。

モーツァルトとは、天賦の才と英才教育と本人の不断の努力の賜物なのです。

モーツァルトが努力しなければ、普通の優秀な音楽家としてばかり記憶されるだけの人物として終わったはず。

事実、彼の生き残った二人の息子の一人、モーツァルト2世は凡庸な音楽家として生涯を終えました。父親譲りの才能を持っていたと言われていたのに、あまりの父親の名前の重さに押しつぶされた可哀想なフランツ・クサヴァー・モーツァルト。

彼は兄トーマスのように、音楽家以外の道を選べばよかったのかもしれません。兄のトーマスはイタリア・ミラノに住んで、銀行員として程よく幸福な一生を過ごしたのでしたから(結婚しないで恋人に子供を女性に孕ませるも、その子は流産してしまうという悲劇が知られています)。

本当に大切なのは、才能の有無に関わらず、自分のなりたいものになるということ、なりたいと願うこと。

素質がなくても芸術家になれる人もいれば、素質を持ち合わせていても、努力を欠いてなれない人もいる。

「ディセンダント」という物語には、素質の問題まで描かれているのかどうかはわかりませんが(映画も第一作しか見ていませんし、本も全て読み終えていません)、エンターテインメントとして最高な映画に読み物です。歌を伴ったダンスシーンは圧巻です。お勧めですよ。

映画ディセンダント第一作目のフィナーレ。これを歌えて踊れるようになると凄いですね。今度映画第二作目も見てみます。

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