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アニメになった児童文学から見えてくる世界<1>: ペリーヌ物語

新型コロナウイルス感染症のために、このところ隔離生活を続けているのですが、貴重な時間を無駄にしないために、普段はあまり見ることのない懐かしいアニメをYouTubeで見つけました。

わたしは昭和の終わりの生まれなのですが、子供の頃に大好きだったアニメシリーズがありました。スポンサーの会社が何度か変わり、おかげでシリーズ全体の名前も統一されてはいないのですが、総称として、世界の児童文学を一年ほどの時間をかけて放映した「アニメ世界名作劇場」と呼ばれるものでした。

世界名作劇場とは

どの作品を最初に数えるのかで総数は変わるのですが、二十五作ほどの作品が結果として生み出されました。放映されなかった年もありますので、第一作を1975年の「フランダースの犬」とすれば(1974年の「アルプスの少女ハイジ」とする数え方もあります)最も最近の作である2009年の「こんにちはアン」まで30年以上も息長く続いていたことになります。

『世界名作劇場シリーズメモリアルブック』(ちばかおり著)より
From http://elemental-note.net/text/meigeki_history/

このNoteを読まれる方でも、きっと子供の頃になんらかの形で、これらのアニメに出会われたことがあるのでは。

20代の方ならば2007年の「少女コゼット:レ・ミゼラブル」や、
30代ならば1995年の「ロメオの青い空」や、
40代ならば1985年の「小公女セーラ」
50代ならば1976年の「母を訪ねて三千里」。
またもっと年配の方でも子供と一緒に見たと言われる方もたくさんいらっしゃることでしょう。

何度も再放送をされていますし、いまではYouTubeなどで無料で古いアニメを見る機会もあるかもしれません。

「ペリーヌ物語」とは

わたしが見たのは1978年の「ペリーヌ物語」。

フランスの作家エクトル・マロ (1830-1907)の「家なき娘」(1893年) が原作です。同じ作者の「家なき子」(1878年) もまたアニメ化されています。

アニメ放映版は全53話で、原作には書かれてはいないヒロインのペリーヌがフランスのパリに辿り着くまでの母親との馬車での旅が16話にもわたって詳細に描かれています。

牧歌的な前半部と、後半の孤児となった後のペリーヌの苦難の生活との対比が素晴らしく、作品としても大変にドラマティックで、全世界名作劇場作品中でも名作中の名作と言えるのでは。

ここからまだこの物語を御存じない方には、若干ネタバレになりますが、わたしの書きたい本論はここからですのでお許しください。でも物語の粗筋を知ったところで、名作の鑑賞には差支えのないものです。

作品はおおまかにいって三部構成でしょうか。

  • 第一部 : 父の病死からフランスのパリまでの馬車の旅

  • 第二部:母の病死から祖父の住む村までの一人旅

  • 第三部:祖父が巨大な紡績工場を構える村における女工生活、独り暮らし、孫として認めてもらえるまで

よく知られた児童文学のほとんどがそうであるように、ペリーヌ物語もまた、孤児の物語です。

子供が成長するのは親のいないところであるとしばしばいわれます。
ジブリアニメでも同様に主人公たちは親のいない空間で冒険物語を繰り返すものです(宮崎駿や高畑勲は翌1979年の「赤毛のアン」を手掛けています)。

世界名作劇場は、親のいない子供たちが、周りの人たちの善意の手助けと努力によって未来を切り開いてゆく物語。

「ペリーヌ物語」は両親を失った13歳の聡明なペリーヌが、自身の出自ゆえに彼女を受け入れないであろうという実の祖父に見出されるまでの物語なのです。最後に祖父ビルフラン氏がペリーヌを実の孫であると知る場面は本当に感動的です。

十九世紀の児童文学

ここで取り上げたい問題はやはり植民地インド。

十九世紀から二十世紀にかけての世界名作劇場では、今日とは全く違う当時の世界観を目の当たりにすることができるのです。世界大戦前の世界は大英帝国の時代。

まさに世界史の教科書の補助読本のようなのですが、当時のインドは大英帝国支配下の植民地で、植民地問題がなんども語られます。

「小公女セーラ」の父親は植民地インドで成功した英国人であり、二十世紀初頭の物語である「愛少女ポリアンナ」にも後進国インドに古着などを送る慈善事業の話などが出てきます。

本作「ペリーヌ物語」では、ペリーヌの母親は英国人とインド人の混血という設定。つまりペリーヌもまた、インド人のクォーター。だからこそ、フランス至上主義者のペリーヌの祖父は息子と非西洋人であるペリーヌの母親との結婚を頑なに認めないのです。

物語では最後には和解するのですが、西洋人VS非西洋人という偏見はいつまでたってもなくならない。

ロシアによるウクライナ侵略においても、これほど熱心に報道されるのも白人中心の国であるウクライナにおける戦争だから。イラクやアフガニスタンの戦争はこれほどの世界中の人々の耳目を集めることはありませんでした。

世界はいまもなお、十九世紀のペリーヌの祖父の時代と何も変わってはいないのです。

「ペリーヌ物語」のもう一つのキーワードは「レ・ミゼラブル」。

物語序盤で母娘は写真機を盗もうとした同業者に出会います。現行犯逮捕された二人の男にペリーヌの母親は

あなたがたはわたしに呼ばれたから馬車にやってきたので、あなたがたは盗みに来たのではない(決して不法侵入したのではない)

と糾弾されている二人をそうではないと嘘をついて許します。母親の言葉に感動した主犯格の男は、彼女の慈悲深い行動にこころから感謝して別れるのです。

この場面、親切にされたにも関わらず、銀の燭台を盗んでしまった元徒刑囚ジャン・ヴァルジャンを許したミリエル司教の姿に重なりました。

世界名作劇場アニメ「少女コゼット」のジャン・ヴァルジャン

ペリーヌは、ユーゴー作「レ・ミゼラブル」の本を、若い工場技師のファブリから贈られます。オーレリーという偽名を使っているペリーヌの姿もまた、どこかジャン・ヴァルジャンがマドレーヌ市長と偽名を使っていたエピソードを彷彿とさせます。

そして母親の遺言

愛される人になるには、まずあなた自身が愛さないといけない

という言葉。これも「レ・ミゼラブル」につながりますね。

一人になったペリーヌは虎の子の5フラン銀貨をだまし取られたり、大事なロバのペリクールを仕方なく二束三文で売ってしまったりと、いろいろ理不尽な苦難にも出会いますが、世界名作劇場らしく、最後にはそうした苦労もすべて報われます。

でも現実世界ならば、あれほどに善意の人たちからの手助けを受けることなく、行倒れとなっていたことでしょう。

こうした善意だらけの世界はファンタジーだったとしても、こういう世界を子供の頃に信じていること信じられることは大切です。作品を鑑賞しながら、わたし自身も忘れていた美しい善意を思い出しました。そういう人でいたい、ありたい、なりたいとも思ったのです。

お勧め動画「ペリーヌ物語」

YouTubeは見れる地域と見れない地域などがあるそうですが、アニメ版第一話へのリンクを貼っておきます。

子供っぽい主題歌そのままに明るい基調のこの物語、後半は深く暗く沈んでゆきます。でもだからこそ、全てがHappil ever after(めでたしめでたし)となる最後は本当に感動的です。

二十一世紀の最新アニメのようにディジタルではない、手書きで毎週一話、テレビで放映するために書かれた古い技術の昭和時代のアニメですが、物語に込められた熱い想いは令和の物語が忘れてしまったものではないでしょうか。

ずっと昔に忘れていた大切な何かを思い出させてくれるアニメ。
若い人にほど見て頂きたいです。子供でなくてもいいんです。大人はみんな一度は子供だったことがあるのですから。

以下の挿絵はhttps://www.imdb.com/title/tt0168362/に公開されているキャラクターデザインの関修一氏による水彩画です。

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