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ピアノのバッハ30:翻訳されるバッハ
前回からの続きです。今回も14000字強。
長いですが、引用が多いので読みやすいはずです。
楽しんでいただけると幸いです。
最後にバッハのデジタル肖像画付き(笑)。
外国語で書かれた音楽を(バロック時代の手法で書かれた音楽を)ピアノの言葉に翻訳する(ピアノというチェンバロとは異質の楽器で演奏する)ことには多くの困難を伴います。
チェンバロとピアノの言葉の違い
チェンバロの言葉
チェンバロは鍵盤が軽く、音量の強弱の弾き分けができないので、アクセントは音符の長短で表現。楽譜に書かれている音符を書かれている音価で忠実に演奏しても美しくは響かないのがバロック音楽です。
アクセントのつけ方に工夫が必要で、ロマン派時代の音楽とは全く別世界の音楽。20世紀に流行った楽譜に忠実な即物的な演奏では、バロック音楽の楽譜からはありのままのバロック音楽は再現できないのです。
チェンバロは、ピアノの特性であるソフトペダルやダンパーペダルという音量拡張機能を全く備えていないので、表現力において圧倒的にピアノに劣ります。
弦を爪弾いて音を出すので、長く伸ばす音符は苦手。
その欠点を補うために、長い音符の間を装飾音で埋める工夫が限りなく洗練されたのがチェンバロの言葉でした。
華麗な装飾音に彩られたチェンバロ音楽は本当に美しい。ピアノ音楽とは全く違ったタイプの美しさを持っているのです。
ピアノの言葉
ピアノは鍵盤が重くて、手先だけでは絶対に弾きこなせないので、体重移動を徹底して、全身で演奏することが要求されます。
楽器内部の弦はハンマーによって叩かれるために、長く持続する音が作られるために、やがて手のひらを鍵盤に這わせるレガート奏法(隣り合う音を引っ付けて鳴らす)を演奏することに適していることが発見されると(ベートーヴェンがレガート奏法の創始者)、ピアノはチェンバロ音楽とは違った美学を求めるようになります。
レガートをすると、ピアノの音はヴァイオリンや声楽であるかのように音がつながるために、打楽器的な要素は薄れてしまいます。
おかげで拍節感を感じさせない、途切れることのない歌のような音楽さえも演奏可能にも。
ダンパーを上げることでエコーするサウンドがチェンバロとは全く別の世界の音響を作り出すのです。
またソフトペダルはさらに絶妙な弱音の魅力を引き出すのでした。
チェンバロとピアノはあまりに表現に違いがありすぎるのです。
チェンバロの言葉で書かれた楽譜をいかにしてピアノという豊かすぎる表現力を持つ楽器で演奏するべきか?
これが「ピアノのバッハ」の課題なのです。
チェンバロの言葉をピアノの言葉に置き換える問題点
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「ピアノのバッハ」という本をキンドルで出版します(刊行間近)。このマガジンは出版される本のオリジナル投稿です。一度の購入ですべて読むことが…
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