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ピアノのバッハ 17: 謎の鍵盤音楽

今回はバッハが生前に出版したクラヴィア練習曲集(全四巻)について。


モーツァルトやハイドン同様に、十八世紀の音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハのほとんどの作品は生前に出版されることはありませんでした。

ですので現在、彼らの作品を紹介するのに、作品番号が用いられることはほとんどありません。出版していないと作品番号はないので当然のことです。

生涯全ての作品を整理してわかりやすくするのに、モーツァルトならば年代順のケッヘル番号(Kv.)、ハイドンならば作品ジャンル別のホーボーケン番号(Hob.)が用いられます。

いずれも作品整理に貢献した学者のイニシャルが数字の前に置かれています。

他にもほとんどの作品が未出版だったフリーランス作曲家シューベルト作品のドイチェ番号も有名。ドメニコ・スカルラッティのロンゴやカークパトリックもよく知られています。

ハイドンの弦楽四重奏曲は作品番号でも知られていますが(例えば有名な「ひばり」四重奏曲は作品64)ハイドンの時代になってようやく作品番号が一般的になったわけです。

ほぼ作曲された順番に通り番号としての作品番号で生涯の作品を並べることのできる最初の楽聖はベートーヴェンなのでした。

ですのでベートーヴェンよりも半世紀も前に活躍したバッハの作品は未出版作品がほとんど。

バッハの遺した未出版作品が今日まで伝えられているのは、ひとえに唯一無二の価値ある作品として父の遺作を相続したバッハの次男カール・フィリップ・エマニュエルと、未亡人として孤児となった幼子たちを育てて亡父の楽譜を守ったアンナ・マグダレーナの管理能力のおかげです。

鍵盤音楽の専門家になったエマニュエルの受け継いだ父の遺産の鍵盤音楽はほぼ全て現代にまで失われずに伝えられることになりましたが、声楽曲の多くを受け継いだ長男ヴィルヘルム・フリーデマンの手元にあった作品のほとんどは消失。

父親ヨハン・セバスチャンに溺愛されたフリーデマンは人生の後半生にオルガニストの職を失い、やがては生活に困窮して遺産を売り捌いて暮らすほどの晩年を送ったのでした。

おかげで父バッハが作曲した五年分ほどあったと推定されている教会歴の日曜日ごとのカンタータの半分以上が現在では紛失。

今日にまで伝えられているバッハのカンタータは実際に作曲されたものの半数にも満たないのです。

失われた作品の中には、もしかしたら「主よ、人の望みの喜びよ」に匹敵するような素晴らしい作品も含まれていたのかも。

もはやこの世に存在しない幻の名作群とはどのようなものだったのでしょうか?

マタイ受難曲やヨハネ受難曲に匹敵したであろう、マルコ受難曲 BVW247 も喪失!

マルコ受難曲はトン・コープマンなどの音楽学者たちの尽力によって復元されています。

幸いにもピカンダーの書いた受難曲の歌詞は残されていていたので、歌詞からこういう音楽だっただろうと推測して復元されたのでした。

教会に残されていた当時の演奏記録から、マルコ受難曲は「クリスマス・オラトリオ」や「ロ短調ミサ曲」のように旧作の素材を再利用して書かれていたと推測されています。

ですので同じ要領で、再現版はバッハの他のカンタータの抜粋をつなぎ合わせて再構成されたのでした。

再現された受難曲は間違いなくバッハ作曲の音楽なのですが、実際にこういう音楽だったかどうかは定かではありません。

新約聖書の記述のなかでも最も感動的なペテロの否認はマタイ・ヨハネの両受難曲では感動的なアリアが配されているのですが、マルコ受難曲ではペテロのアリアは哀しみのアリアではなく、主を裏切ってしまった自分の弱さへの怒りの感情のアリアとなっていて、悲しみはコラールによって歌われます。

ペテロの否認とは、一番弟子のペトロが主イエスが捕縛されたとき、仲間として逮捕されそうになると、自分はあの人のことは知らないと保身のために嘘をつくのですが、最後の晩餐において、お前はわたしを裏切ると予言していたイエスの言葉を思い出して、自分自身の弱さを思い知り、一人になってさめざめと泣くという、受難曲のなかでバッハが最も重要だとみなした聖書のエピソードです。

つまりマルコ受難曲は、ロマン主義的で人間主義的な「マタイ受難曲」や受難を成就されなくてはならない偉大な出来事として描きだした「ヨハネ受難曲」とは趣を異にするわけです。

それぞれの受難曲を聴き比べることは非常に興味深いことです。

新約聖書の福音書は四冊ありますが(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)、バッハはルカ受難曲だけは自分では作曲せず、他人の作品を自身がカントルを務めていた聖トマス教会の演奏に用いていたことが知られています。

受難曲の楽譜は出版されなかったのでした(分厚いのでコストがかさんで出版は困難を極めます。メンデルスゾーン以前の時代のベートーヴェンはヨハネ受難曲の写しを所有していましたが)。

だから仲間内で書き写されてごく限られた人たちの間でだけ伝えられてゆき、1829年のメンデルスゾーンの歴史的復活公演につながるわけです。

それだけにバッハが生前に精選して出版したクラヴィア曲集はとても貴重。

出版に選ばれた作品群は、今流に言えば作曲家バッハによる自己ベストというわけなのです。

そんなバッハ自身が自信をもって特別に選び出した作品なのに、今日ほとんど演奏されることのない残念な作品があることをごぞんじでしょうか?

それが今回のお話です。

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