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聖と俗のはざまに:聖歌が聞こえてくる二つのピアノ小品

フレデリック・ショパンが愛人ジョルジュ・サンドと暮らしていた1839年のマヨルカ島で書かれた、のちの作品37として出版される二つのノクターンの最初の曲「ト短調」。

いかにも「ピアノの詩人」ショパンらしい抒情的で感傷的なメロディで開始される。

二つ目のノクターンのことはこちらに書いた。

最もノクターンらしくない古典的な第二番「ト長調」と異なり、第一番「ト短調」はショパン好きな人が期待する、ショパンらしさの全てが詰まっているような甘いメロディで開始する。

ショパン嫌いをさらにショパン嫌いにさせる、典型的メランコリーなノクターン。

音楽鑑賞の心理的効果には一般的に二種類あり、一つは聴く人を元気づける音楽。聴けば楽しくなり、生き生きとする。

薬物でいえば興奮剤。

Uppersだ。

わたしは音楽は合法的な麻薬だと思っている。

音楽がないと人生が潤わない自分は薬物依存者なのかもしれない。

もう一つの心理効果は鎮静剤。

Downersだ。

ショパンのノクターンは典型的なダウナー。

「ト短調」は完璧なダウナーミュージックのお手本だ。

演奏技術的には比較的容易なので、中級以上のピアノ学習者でこの曲を弾いたことがない人は少ないのでは。

アルフレッド・コルトー版の曲冒頭
単純極まりない音符

作品37の1「ト短調」の中間部には聖歌が置かれている。

大きな音符は教会の歌のための音符。中世以来の西洋音楽の伝統だ。

この場合は四分音符。ここでテンポを落として、一拍を二分音符のように弾くと教会音楽になる。

聖歌なので歌うようにピアノを鳴らそう。

この部分、コルトー版の楽譜には次のように書かれている

Molto legato

モルト・レガートは
思いっきりレガートで全ての音符を
引っ付けて弾けという指示

ショパンオリジナルの原典版にはこのような指示はないけれども、スラーでずっと繋がれている声楽音楽を模した音楽なのだから、ペダルに頼りすぎないで、できる限り指で音を作るようにした方がいい。

バッハを聞きなれた耳には、ショパンの音楽の中に、バッハが紛れ込んできたような錯覚を覚える。

バッハのコラールやモテットを聞いたことのない人にはわからないかもしれないけれども。

ショパンばかりを弾く人、そして聴く人は、この音符が聖歌だということに気が付いているだろうか?

どうして教会の調べ?

宗教音楽には縁のない、世俗的なショパンの音楽の中にどうして紛れ込んでいるのだろう?

右手のメロディラインを頻繁にルバートさせる、いわゆるショパン弾きの演奏よりも、ドイツ音楽の正統的な伝統を守る道を歩んだ、リストの孫弟子クラウディオ・アラウの演奏がいい。

中間部の和音だらけの聖歌を重々しい教会の歌として弾いてくれる。

どうして教会の調べ?

そう思って調べてみると、やはりマヨルカ島での不自由な生活が反映されていた。

不倫関係であることをマヨルカ島の保守的な住民たちから後ろ指を指されて、借家(ソン・ヴァン荘)を追い出されてしまう。

いたたまれぬ二人とサンドの子供たちがたどり着いたところは、ヴァルデモザ村のカルトゥジア修道院だった。

https://www.seemallorca.com/sights/religious/the-royal-carthusian-monastery-valledemossa
From Wikipedia

僧院に数週間も寄宿させてもらったショパンたちは、朝夕に修道僧たちの歌声を聞いた頃だろう。

何度も何度も。

ショパンはカソリックの家庭に育ち、日曜日にはミサに出席する習慣を持っていたけれども、ピアノ音楽以外は作曲しない作曲家というキャリアを選んだので、このメロディはもしかしたらショパンが作曲した唯一の宗教音楽なのかも。

「ト短調」のノクターンを聞くと、自分には気が滅入ってしまうダウナーな音楽にしか思えないけれども、中間部の聖歌の部分だけは大好きだ。

実はこのようなスタイルのピアノ音楽には先例がある。

同じくカソリックで数多くの宗教音楽を作曲した大作曲家フランツ・シューベルトだ。

遺作となった最後のピアノ曲のうちのひとつ。

激しいシンコペーションの舞曲で始まる主部。

ずれたリズムが戻る部分では強勢の第一拍の音が強調されてリズムが対比される。つまり踊れない舞曲。

ハ長調の主部は半音上がって変二長調の聖歌になる。

二分音符は中世以来の教会音楽の最も伝統的な音符。

伝統的な転調先の三度や五度ではなく、ロマンティックに半音上がると、世界が激変する。

教会の調べが聞こえてくる。

ショパンはシューベルトを知っていただろうか。

シューベルトの「即興曲ハ長調」は、最初は聴き手を興奮させる圧倒的なアッパー音楽だけれども、中間部では心を静める音楽となる。

聖歌はやがて翳り、不気味な短調をほのめかして、また最初の頃のアッパーな音楽として締めくくられる。

聖と俗が入り交じった不思議な音楽。

世俗的なサロン音楽のノクターンの中の聖歌にはシューベルトの深刻さは込められてはいないけれども、唐突に聖歌が聞こえてくる音楽にわたしたちの忙しい日常に足りないのは、祈りや自分が死んだ後にどこへ行くのかを考えるような時間なのではないかなとふと思わずにはいられない…


シューベルトとショパンの音楽は、のちのカトリック宗教音楽家のアントン・ブルックナーを先取りした音楽なのかもしれません。

ショパンとシューベルトのピアノ小品の中の聖歌は全ての音楽愛好家にとって特別な音楽の贈り物ですね。

なにげなく聞こえてくる聖歌ってとてもいいものです。

最後に典型的な教会の聖歌として、バッハのモテットをどうぞ。

わたしはショパンやシューベルトを聞いたり弾いたりするたびに、バッハを思いだしてしまうのです。


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