ヴィオラという楽器
今回は短い記事。3000字弱。
ブラームスゆかりの避暑地オーストリアのペルチャハでのヨハネス・ブラームス国際コンクールで日本人演奏家が優勝。
ヴィオラ部門というのが、何となく「ブラームスらしい」と興味深く思いました。
ブラームスはヴァイオリンやチェロのためにも美しいソナタを書いているのだけれども。
優勝者の笠井大暉さんは、いまや世界一のヴィオラ演奏家と呼んでも差し支えないであろう、今井信子さんのお弟子さんなので、これもまた何となく「やっぱりそうだろうな」と感慨深い。
今井さんほどの方は入門志望者の全てを弟子には取らないので、弟子になれたということは今井さんのお眼鏡にかなったということです。
それだけで立ち位置が違う。
そしておそらく、今井さんの期待に十分に応えた結果がこの発表なのだと思います。
ヴィオラという名前
日本の新聞記事は「ビオラ」と書かれていますが、横文字では
英語読みだと発音は
つまり「ヴィオウラ」という二重母音。
唇をかんで息を押し出すVは難しいけれども、この二重母音を理解していないとますます発音できない。
花や女性の名前の場合は「ヴァイオラ ˈvaɪ ə lə 」と発音されることもあり、なんとも自分には難しい言葉です。
シェイクスピアの十二夜のヒロインの名前はヴァイオラでしたね。
ちなみにヴィオラを大きなヴァイオリンと呼ぶ人が多いのだけれども、本当はヴァイオリンが小さなヴィオラ。
の「In」は指小辞(英語のDiminutive)なので、つまりヴィオラが最初。
でもヴァイオリンの方がヴィオラよりも現代ではよく知られているのです。
さて、ブラームスとヴィオラといえば、クラシック音楽ファンの方は最晩年に作曲されたヴィオラソナタ作品120を真っ先に連想するでしょうか?
しかしながらヴィオラソナタは、作曲者自身によってクラリネットソナタから編曲された曲です。
ヴィオラとクラリネットは音域が同じアルト音域でアンサンブルの中で似たような役割を担うために、ヴィオラがクラリネットの名曲を演奏することは現在ではごく当たり前のことになっています。
でもブラームス屈指の名曲「クラリネット五重奏曲作品115」が「ヴィオラ五重奏曲」として演奏されるのはあまり好きではない(ピアノとチェロ付きのヴィオラ三重奏曲作品114は悪くない)。
憂愁の響きが素晴らしいクインテットは、管楽器のクラリネットとは異質の弦楽器が共演することでクラリネットの不思議な音色が際立つことが素晴らしいのだから。
ヴィオラの音は、当然ながら同質の弦楽四重奏団の音とブレンドされてしまうのです。
ヴィオラってそういう楽器。
ソナタはピアノとの共演なので、クインテットよりもずっといいのだけれども、クラリネット版が大好きな自分としては、やはりヴィオラ版ソナタは好きになれません。
でも笠井さんや田畑さんはきっと、二つあるソナタのいずれかを演奏されたことでしょうね。
ヴィオラは他の楽器の音と溶けてしまう。
でもヴィオラがあることでアンサンブルの音色は深みを増す。
あることにあまり気が付かないほどに存在感が薄いのだけれども、そこにいないと物足りない、そんな楽器。
わたしたちの人生には、知らなくても、自分の周りにはそんな誰かが必ずいるものです。
わたしはそんな人たちのことにいつでも気が付いていて、彼らがいることに感謝していたい。
愛され続けてきたヴィオラ
ヴィオラは玄人受けする楽器で、楽聖たちに愛されました。
モーツァルトは音楽仲間と弦楽四重奏曲を演奏するときには必ずヴィオラを弾いたそうです。
アンサンブルの真ん中の音を奏でているのが好きなのだとか。
モーツァルト作曲の協奏交響曲K.364 やヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.423&K424 は本当に美しい。
六曲ある弦楽五重奏曲もまた、弦楽四重奏+ヴィオラという編成でした。
ベートーヴェンはウィーンに旅立つ前の十代だったボン時代には、宮廷でのオルガン演奏の仕事の他にも、歌劇場でヴィオラを弾いていたりもしていました。
ヨハン・セバスチャン・バッハはブランデンブルク協奏曲第六番をヴァイオリンなしのアンサンブルの音楽として書き上げています。
ヴァイオリンとは異なるヴィオラの渋い音色を十二分に楽しめる名曲に仕立てています。
さすがはバッハ、ヴィオラというあまり日の当たらない楽器を前面に押し出して合奏協奏曲の主役に据えたのでした。
わたしはバッハの音楽は基本的にバッハ時代の楽器で演奏されるべきと考えますが、ヴィオラの柔らかな音色を堪能するならば、モダン楽器のヴィオラが最高です。
そんなヴィオラの魅力を堪能できる録音は、ヘルマン・シェルヘンという指揮者の演奏。
バッハ演奏に大革命が起きた1950年代から1960年代に、斬新な解釈でバッハ演奏の在り方に一石を投じたシェルヘン。
超スローテンポでありながらもロマン派的解釈からは一線を画している、個性的な演奏はどうでしょうか。
ヴィオラの美しさを心から楽しめる録音です。
古楽器演奏では決してこんな風には演奏されることはありませんし、このような味わい深さには劣ります。
古楽器演奏では、テンポもずっと速く、表現自体もカンタービレではないのですから。
シェルヘンは20世紀の無調的現代音楽の擁護者で、アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲の初演者でもあります(ソロイストはクラスナー)。
なのですが、そんな現代音楽のエキスパートが過去の音楽の中で誰よりも好んでいたのは、やはりヨハン・セバスチャン・バッハだったのです。
シェルヘン編曲の「フーガの技法」は20世紀のバッハ演奏の金字塔とも呼べる世紀の名演です。
十二音音楽を知り尽くしていた人物が20世紀的な解釈においてバッハの楽譜を読み込んで生まれたのが、シェルヘンの一連のバッハ録音です。
マタイ受難曲やミサ曲ロ短調も、すべての音符に歌が溢れた素晴らしい録音です。
古楽器教条主義者(バッハは古楽器で演奏されないと間違いであるという信条を持つひとたち)は毛嫌いするのだろうけれども。
ヴィオラが似合う人は?
ヴィオラのための音楽は、ベルリオーズやヒンデミットやバルトークやショスタコーヴィチなど、様々な作曲家によって名作が作られているのですが、艶やかなヴァイオリンと輝かしいチェロの間の楽器なために、やはりヴィオラは地味。
でも地味は滋味に通じるので、ヴィオラを本当に好きになる人はどこか控えめで誰かを支えるのが好きな人なのかなと思ってしまいます。
今井信子演奏のバッハの無伴奏のシャコンヌ(オリジナルはヴァイオリン)を聴くと、ヴィオラの染み入るような音色っていいなあと心から思うのです。
こちらはそのヴィオラ編曲版をさらにヴィオラ四重奏曲にしたもの。
輝かしすぎる音色のヴァイオリンやチェロに疲れると、ヴィオラのアットホームな優しさに心癒されます。
楽器は演奏者の性格を表すという音楽愛好家の間でベストセラーになった本がありましたね。
笛吹きの自分は、ヴィオラをしみじみと演奏するタイプの人間ではないのだけれども、自分とは違った誰かに憧れるという意味で、ヴィオラに憧れます。
バシュメトやプリムローズみたいな超絶技巧のヴィオラは自分とは違った性格を演じているようで好きではありません。
彼らはソロイストでありすぎる。
ヴィオラでもヴァイオリンのように弾けるということを過剰に押し出していて、無理して背伸びしているようで、どこか不自然なのです。
名ヴァイオリニストのズーカーマンはヴィオラも弾いて、大変な美音で類まれなる名手なのだけれども、やはりヴァイオリニストの弾くヴィオラだと思えます。
今井さんのように、ヴィオラらしさを奏でるために弾くヴィオラがわたしの好みです。
何でも自分らしくあるのが一番ですよ。
笠木さん優勝と田畑さん三位入賞のニュースが、ヴィオラの魅力をより多くの人たちに伝えるものとなってほしいですね。
もちろん東亮汰さんのヴァイオリン二位入賞も素晴らしい。
皆さんおめでとうございます。