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古典の中の古典=ピアノソナタ:知られざるドイツロマン派の大作曲家ファニー・メンデルスゾーン(9)
ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルが最晩年に出版した作品は、夫ヴィルヘルムの尽力によって義弟フェリックスの死後の1850年に出版された作品11のピアノ三重奏曲を除くと、どれも小品ばかりでした。
けれどもファニーの遺作となった未出版作品の中には(90%以上が未出版)
「19世紀・20世紀の考え方では全く女性らしくない!」
大作も数多く残されていました。
今回は百年以上も忘れ去られていた、三つの秀逸なロマンティックな「ピアノソナタ」を紹介いたします。
弟フェリックス同様に、ロマンティックな作風の古典主義者であるファニーらしさが端的に表れた名作ばかりです。
フェリックスとファニーは同じ作曲教師に作曲の基礎を教わったにもかかわらず、二人とも凡庸な作曲家であるツェルターの影響を全く感じさせない、ロマンティックな古典的音楽を創作しました。
それでいて姉弟の作品には、女性的な抒情偏愛のファニーと、男性的な叙事的嗜好のフェリックスという明らかな相違がみられるのは興味深いものです。
ファニーの作品は同時代のクララ・シューマンの作品などと比べるとずっと構成力が強くて男性的ですが、フェリックスと比べると遥かに優美。
やはり女性的でしょうか。
フェリックスの作品は同時代の典型的男性脳作曲家のフランスリストなどと比べると、とても抒情的で女性的ともいえるものですが、似た作風の女性作曲家ファニーと比べてみると、絶対的に男性的な作曲家です。
彼等の創作した力作ピアノソナタを聴き比べてみると、そうした男性的・女性的といったジェンダーステレオタイプがいかにいい加減なものであるかを実感することが出来ると思います。
ピアノソナタという古典時代のジャンル
18世紀にはハイドン・モーツァルトらの家庭用ピアノ音楽だったピアノソナタというジャンルは、19世紀のベートーヴェンによって個人の個性的な感情を劇的形式で表現する音楽形式へと昇華されました。
現代でもピアノ学習者が使用するソナチネアルバムに含まれている「小さなピアノソナタ」が家庭用だったピアノソナタです。モーツァルトのK.283やK.545、ハイドンの中期までの短めのピアノソナタやベートーヴェンの初期のソナタの幾つかがその典型です。
「ソナタ=よく鳴り響く楽曲という意味」とは全体が起承転結の形式で書かれた音楽です。
起:第一楽章 ~ 物語の始まりを想起させる雄大な楽章。
承:第二楽章 ~ 第一楽章と対になる緩徐楽章:しばしば抒情的・悲劇的・宗教的。短調の色彩が選ばれることもあります。
転:第三楽章 ~ 文字通りに「一転」して三拍子の舞曲になり、中間部にはやはり主部と対比される抒情的なメロディがしばしば聞かれます。
結:第四楽章 ~ お開きの楽章で、18世紀の古典時代には軽やかな二拍子の舞曲がよく選ばれました
三楽章構成の場合は「承」や「転」に当たる部分が省略されました。
メヌエット(転の部分)が欠如しているモーツァルトの名作「プラハ交響曲」はその典型です。
メヌエット(スケルツォ)楽章が大好きだったハイドンやベートーヴェンの場合は「承=テンポの遅い抒情楽章」に当たる部分がない三楽章が多いですね。ベートーヴェンの作品14の二つのソナタ(ソナチネ)など。
起承転結のソナタ形式は個々の楽章の中にも採用されます。
つまり典型的な第一楽章の構成は
起:提示部(第一主題)
承:対比部(第二主題)
転:展開部
結:再現部+対比部
コーダ(締めくくり)
という具合に、ソナタの中にソナタがあるというわけです(モーツァルトのトルコ行進曲付きのピアノソナタは第一楽章が変奏曲という、ソナタ形式の楽章がないソナタという変則な作品もあります)。
ソナタという楽曲は曲全体としては起承転結の論理構成を持っていて、さらにその中の特定の楽章も起承転結な構成を持っているという、極めて論理的で弁証法的な音楽なのです。
典型的な「西洋」音楽で、このような西洋哲学的弁証法で書かれている音楽は他の文化にはありません。
西洋文明独自の音楽様式、それがソナタです。
第二楽章は歌唱形式(変奏曲や二部形式)
第三楽章は三部形式(主部+中間部+主部)
第四楽章はロンド形式(主部A+主部B+主部C+主部B+主部Aなど)またはソナタ形式
というのが基本です。
作曲家は創意工夫を凝らして、すべての楽章を起承転結のソナタ形式風に仕立て上げることもあります。
あまりに理詰めな理屈をこねくり回す男性脳による創作ですね。
この基本形はハイドンとベートーヴェンによって極め上げられたので、後世の作曲家はこの基本から逸脱した自由なソナタ形式の創作に挑んだわけですが、19世紀のロマン派作曲家はむしろソナタの厳格な形式から自由になることを好んで、ロマン派時代にはソナタはほとんど創作されなくなります。
新機軸を打ち出すことが芸術家の使命なので、ソナタ形式の制約の多さに限界を感じた初期ロマン派時代の作曲家たちは、古典時代のソナタとは異形のユニークなソナタを創作することになります。
フェリックス・メンデルスゾーンのスコットランドソナタやフレデリック・ショパンのソナタ、ローベルト・シューマンのソナタなどです。
フランツ・リストの単一楽章ソナタなど、ソナタの形骸だけが残る超個性的な悪魔的な作品(本当にソナタなのか???)。
こうしてソナタは19世紀の家庭ピアノ全盛の時代には、廃れて必要とされないジャンルとなるのですが、ソナタ最後の時代に書かれた作品の秀作が忘れられていたファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルのソナタ。
ファニーの作品が「家庭的・女性的」であるかは議論の余地がありますが、ファニーのソナタには彼女らしい独特の詩情が独特です。
ロマン派時代にピアノソナタが書かれたく別の理由は、理知を重んじたピアノソナタの古典的形式が、ロマン派的な個人の感情を伝える媒介として相応しくなくなったためですが、バッハとベートーヴェンで音楽的英才教育を受けたファニーには、ソナタ形式は自分自身のホームグランドのように幼少から親しんできた世界でした。
古典教養豊かなファニーが伝統的な古典形式のソナタを書いたことは彼女にはごく自然なことだったはずです。
ベートーヴェン風の激しいドラマの中に「言葉のない歌」が紛れ込んでいるようなソナタです。
ピアノソナタ・ハ短調(1824年)
習作を除けば、19歳のファニーが完成した最初のピアノソナタ。
後年の作品よりも音符の数が多く、ヴィルチュオーソ的な部分も垣間見えて、まだファニーらしさが全開していない頃の作品。
たくさんの音をむやみやたらと書き込まないで、楽譜にはたくさんの空白があるのがファニーらしさ。
音符の量よりも音符の質に意味があるのです。
19世紀の鍵盤音楽の名手ジギスモント・タールベルク (Sigismond Thalberg 1812-1871) やフランツ・リスト (Franz Liszt 1811-1886) のように、バリバリと音を奏でることがすごいという世界とは距離を置いていたのが、深窓の令嬢として、ただ独りでたくさんの時間を過ごして作曲していたファニーの独創性の源だったのでしょうね。
公的な場で発表できない作曲でも、彼女の周りには弟フェリックスをはじめとする数多くの優秀な音楽家たちが私的にメンデルスゾーン家のサロンには集い、彼らに対して自作をいつだって聞かせることが出来たファニーは本当に独特な音楽家でした。
イースターソナタ・イ長調(1828年)
23歳になるファニーが結婚前に弟フェリックスに独身最後の作品として贈った(らしい)ピアノソナタ。
二人は誕生日ごとに作品を贈り合う習慣を生涯続けていました。
作品は復活祭ソナタと題されていますが、描写音楽ではなくて、キリストの復活のイメージから受けるインスピレーションから生まれた音楽だと思われますが、キリストの死から復活という描写であるとも解釈できます。
ハイドンには弦楽合奏のための「十字架上の7つの言葉」という描写的な宗教作品もあり、イースターソナタも同じジャンルに属する作品と言えるかもしれません。ハイドン作品は大人気となり、のちに歌詞付きのオラトリオ版や弦楽四重奏版も作曲者本人の手から作られたほどでした。
さて、イースターソナタを”無理やり”描写的に解釈すると、次のようにも理解することが出来ます。
第一楽章:穏やかなイ長調のメロディが自由なソナタ形式の中で変容してゆきます。ベートーヴェンの同じイ長調の作品101のソナタとの親近性も認められるでしょうか。抒情的な光と寂しげな影の中の音楽。キリストの十字架上の受難の描写としては美しすぎます。コーダ部分のクライマックスは栄光を受けたキリストでしょうか。
第二楽章:キリストの死のあとの哀しみと静寂:宗教的厳格さに満たされた悲しみの歌。「無言歌」とも「ピアノのための歌」とも呼べるファニー最良の音楽の一つ。
第三楽章:ホ長調の舞曲。キリストの復活への期待と喜び:弟フェリックスが得意とした妖精が飛び回るような軽快なスケルツォ。時折短調に陰る部分にハッと息をのみます。
第四楽章:一転して激しい曲想になります。死を克服して復活したキリストの勝利の歌といえるでしょうか。10本の指が同時に和音を豪快にフォルテで鳴らして、鍵盤を叩きあげ、鍵盤上を両手が派手に駆け巡るロマン派ショーピース的な音楽です。男性的と言えるでしょうか。後半、第一楽章を回想するような抒情的な調べで全曲は結ばれます。第四楽章こそが受難の情景で、第一楽章は美しい復活した救世主の姿の描写だったのかもしれません。美しい平穏の世界が回想されて巨大なソナタは静かに幕を閉じます。
キリストの受難と復活を音だけで内省的に描写した佳品といえるでしょう。
この作品は1972年にフランスで発見されました。
初めて発見されたときには、自筆譜に
F. Mendelssohn
とだけ記されていたために、フェリックスの真作として全世界にセンセーショナルなニュースとして発表されました。
昨年2024年のモーツァルトの『ガンツ・クライネ・ナハトムジーク』やショパンの『イ短調ワルツ』の発見と同じくらいに素晴らしい発見でした。
当時の新進ピアニストだったエリック・ハイドシェックによって、フェリックスの作品として初演されました。
上の動画の録音は世界初演時のもの。
ハイドシェックの見事な演奏に、誰もが
さすがは楽聖メンデルスゾーンは素晴らしい
と曲の素晴らしさが専門家たちに褒め称えられたでした。
けれども、のちにファニーの研究が進むと、彼女の日記に1829年4月に弟フェリックスがスコットランド旅行へと旅立った数時間後に「イースターソナタ」を演奏したと書いていて、フェリックスもまたスコットランド旅行の途中に「イースターソナタ」を演奏したという記録が発見されていただけに、どちらのメンデルスゾーンの作品なのか、分からなくなるという事態に発展。
最終的に綿密な調査の結果、自筆譜の筆跡などからファニーの作品であると認定されたのでした。
楽譜はどういう経路でフランス人の個人所有となったのか、いまもよくわかっていません。
四楽章形式でバッハやベートーヴェンを思わせる作風が紛れ込むことも完全にファニーの癖と個性でした。
天才姉弟の作品はどれも同じほどの高水準で書かれているために、姉の作品か弟の作品か見わけがつかないほどだったという好例です。
いずれにせよ、この曲を初演したハイドシェックの録音はフェリックスの作品として広く流通しました。
イースターというキリスト教徒最大のイヴェントのための、ユダヤ出自であるけれども、ルター派キリスト教徒として育ったファニーらしい作品といえるでしょう。
音の詩が物語る心象世界の情景、外面的な音楽ではなく、あくまで心の世界の音楽。名品です。
ピアノソナタ・ト短調(1843年)
死の四年前の作品。
晩年の成熟したピアノソナタ。
彼女の代表作と呼ぶにふさわしい、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルが残した遺産の中の最高傑作の一つです。
なのですが、死後150年ほども自筆譜のまま、誰の目にも触れることなく1991年になって初めて発見されたという奇跡のような作品です。
演奏時間にして15分ほど比較的短めのソナタですが、内容は非常に充溢していて、選び抜かれた音符によってベートーヴェンやシューベルトの完成されたピアノソナタに通じる深さと完成度を誇る、密度の濃い作品です。
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すぐにロマンティックな音のドラマへと変容してゆくのです
第一楽章は、ベートーヴェンの悲愴ソナタの第一楽章で聴かれた左手の執拗なトレモロに積み重ねられた和音がリズムを刻みます。
やがて経過句として現れる抒情的なメロディが最初の極めて粗暴で男性的な第一主題と対になりますが、第二主題を導くはずの抒情的な歌はそのまま第二主題のような扱いで変ホ短調という遠い調性からト長調の展開部の主題へと変容。
最初のト短調の主題が再現部として戻ってくると壮絶な音のドラマは激しく燃え上がり、二つの主題は複雑に絡み合いながらクライマックスへと達するのです。
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少しずつ音は高揚してゆきます
限られた二つの主題だけで、時には二つの主題が同時に鳴り響いて対位法的になる音の有機的な展開は、ソナタ形式の教科書には全く当てはまることのない自由な音の世界です。
葛藤する音の密度の濃さはまさにベートーヴェン的で、極めてマッチョな超男性的な構造のなかに、ファニーらしい抒情が交じり合うのが素晴らしい。
曲は休みなく第二楽章のスケルツォへとつながりますが、つなぎのメロディが奏でるト短調の属和音(D)から、ロ短調というト短調とは全く無縁の遠い色彩の世界へと一気に移り変わります。
古典主義的なファニーですが、調性選択の自由さ・音の色彩感覚はロマン派時代のどの作曲家と比べても際立ったファニーの個性です。
そして繰り広げられるのは、なんとも不思議な感じのする精神的な舞曲とも呼べる透明な音の戯れ。ファニーの伝記を書いたトッド教授はこの楽章を
eerie(不気味)
という形容詞で表現して、全曲中で最も特異な楽章として褒め上げています。
フェリックスの音楽が妖精的であるとすれば、ファニーは幽魔が飛び交うゴシックホラーな世界なのでしょうか。
ときどき彼女の音楽にはフェリックスの音楽には見いだせないような深淵をのぞき込むような音の世界が垣間見えるのです。
第一楽章のメロディと対照的な八分の六拍子の踊る音符は最初は右手と左手のメロディが一オクターブのユニゾンとして並行して歌われてゆくのが不思議な音の秘密。やがてこのユニゾンが少しずつ音をずらして不思議な和音を鳴らしてゆきます。
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中間部では左手のトレモロの上に高音域で美しい別のメロディが歌われて、ロ長調へ転じます。第一楽章の怒涛の嵐の音楽の世界から急に夢の一場へと導かれたかのような思いです。
曲は途切れずにそのままアルペジオを伴ったカデンツァ的な経過句をから第三楽章の二長調のアダージョが始まりますが、八分の九拍子の歌はフェリックスとファニーが得意としたゴンドラの唄の無言歌の世界です。
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美しい歌は時折、寂しげな和音に揺れて、長調から短調へと変化。
すると鍵盤の左端の低音の同音反復と右端の音域の歌が呼応し合い、明るい光に満ちていたニ長調の歌の世界は一気に半音階的な音の変化の中で悲劇的様相を帯びて深みを増しますが、また最後には明るいニ長調の世界に辿り着くのです。
少し専門すぎかもしれませんが、明るい世界の中に唐突に鳴り響く低音の同音反復の不気味さは、シューベルト最晩年の最後の変ロ長調ソナタの第一楽章の不気味な低音のトリルに通じているのでは、と考察します。
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ピアノの最も低い音域の音
これもeerieな音と呼べることでしょう
シューベルトの長大な最後の三つのソナタは遺作として1839年に出版されましたが、あまりの長さゆえに、評論家ローベルト・シューマンが大ハ長調交響曲を評した「天国的な長さ」という言葉がふさわしい独特な作品です。
演奏に40分から50分もかかる長大な曲。
あまりに長すぎて構成に難があり、息の長いメロディに劇的ドラマに乏しいと見做されたのか、シューマンや後継者ブラームスにも作品価値を見出されることなく、二十世紀半ばになって曲の真価がようやく理解されるようになった作品でした。
ファニーの音楽世界がシューベルトの後期ソナタ的な世界だとすれば、シューベルトが理解されるようになった21世紀の現代にこそ、復権するべき音楽です。
低音のトリルはツィマーマンの録音の0:22から聴くことが出来ます。
あまりにもロマンティックな主題の後に影のように低く轟きわたる響きを通じて一見抒情的であまりにも美しい世界の中に隠された深淵を除き知ることが出来るようになります。
ファニーのソナタに戻ると、第四楽章フィナーレもまた切れ目なく開始されて、プレストの半音階的なニ長調の音階が奏でられますが、すぐに「ピアノのための歌」の世界が現われて複雑な音の織物を奏でるのです。
ソナタ・ロンドの主題「タッタタ・タッタッ」は、フランツ・シューベルトのソナタを思い起こさせる懐かしいものです。この場合は21番ではなく、前の20番のイ長調に似ているでしょうか。
ときどき寂しい物思いが通り過ぎてゆきますが、最後は勇壮に古典的作品の名に恥じない力強い終結部で全曲が見事に締めくくられます。
わたしはこのフィナーレが大好きです。
ベートーヴェン的な劇的ドラマとファニーの音楽的個性であるカンタービレな抒情美が完璧に古典的造形の中に有機的に融合されているこのピアノソナタは、まさにファニーの最高傑作の一つと呼ぶにふさわしいものです。
これらの名作に日が当たるようになったのは20世紀の終わりになってからのことでした。
21世紀の20年を過ぎても、なおもほとんど知られていないけれども。
年老いた巨匠ピアニストなどは決して取り上げませんが、過去の巨匠たちの手垢のついていない新しい古典的作品と呼ばれるに相応しい作品ばかり。
これから新時代のピアニストたちのレパートリーに含まれるようになって、コンサートホールで時々聞かれるようになってほしいいと心から願っています。
きっとファニーの人生に共感した女性演奏家たちに、これからもっともっと愛されるようになる作品たちだと思うのです。
もちろん男性演奏家が取り上げてくれると尚のこと良いのですが。
わたしはト短調のソナタを練習し始めました。
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メロディは厳格に八小節単位で歌われて
この基本単位が有節歌曲
(つまり民謡みたいな分かりやすい節が繰り返される歌)
のようにピアノで歌われて、メロディはそのままで
ハーモニーは独特の転調を伴って変化してゆくのです
シューベルトのメロディのようでいて
ハーモニーはシューベルトのそれよりも複雑かもしれません
暗譜できるまで弾いてみて、そのうち誰かに、
これがファニー・メンデルスゾーンの知られざる名作だよ
と紹介できるようになりたいです。
音楽に深い造形を持つ人ほど、このような曲がこの世に存在していながらも、いまもなお知られてはいないことに驚かれて感動されることでしょう。
小品「ノットゥルノ」と最後のソナタは、ファニー・メンデルスゾーン入門に最良な音楽です。
代表作の「ノットゥルノ」(4分40秒)も再掲していおきます。ぜひ聴いてみてください。
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