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スコットランド幻想:メンデルスゾーンの音楽より

画家の中には、人物画ばかりを書く人もいれば、人物にはほとんど関心を示さないで風景ばかりを描く人もいる。

激しいドラマを描き出す画家もいる。ドラマの中核にいるのは人であって、風景は絵の中の人物たちの背景でしかないことが多い。

風景ばかりを描く画家は人間への関心が薄いのだろうか?それとも肖像画家たちは人間にしか興味を抱くことができないのあろうか?

楽聖フェリックス・メンデルスゾーン (1809-1847) は音の風景画家だと言われる。ユダヤ嫌いで知られる同時代人の大作曲家リヒャルト・ヴァーグナー (1813-1883) でさえ、メンデルスゾーンの代表作である序曲「フィンガルの洞窟」を評して、メンデルスゾーンを第一級の音の風景画家だと呼んだのだそうだ。

メンデルスゾーンとヴァーグナーの嵐の描写

ぶつかり合う荒れ狂う海の描写の序曲「フィンガルの洞窟」作品26 (1830)。

ヴァーグナーは典型的なドラマの作曲家なので、メンデルスゾーンの優れた嵐の情景描写の音楽を聴いて、人がいないことに不満を抱いたのではないだろうか?

ヴァーグナーの嵐の描写としては、初期の「さまよえるオランダ人」が最も有名だが、わたしが好きなのは楽劇「ヴァルキューレ」第一幕への前奏曲 (1856)。

暗い夜の森を吹きすさぶ風雨。悪夢のような嵐の中を通り抜けて逃れてくる傷ついた勇者。ここには心理的ドラマがあり、同じ嵐の描写でもメンデルスゾーンとは正反対のもの。

メンデルスゾーンは荒れ狂う海の情景を眺めている。心象風景かもしれないけれども、風景は風景でしかない。

ヴァーグナーは風景のただなかにいて、否応なしに聴き手を恐ろしい嵐の中へと聴き手を引き込んでしまう。遠のいてゆく嵐の響きは音量を絶えず増減させて、逃げ惑う英雄ジークムントの足取りを克明に描写する。

わたしはヴァーグナーの激しい音のドラマを日常的に聴きたいとは思わない。YouTubeを開いて音楽を聴くならば、私の日常には自分の普段の生活に相応しい音楽を求めたい。

画集や写真集を開いて美しい情景が目の前に飛び込んでくると嬉しくなる。

戦場の悲惨や醜い骨肉の争いを繰り返すような修羅の世界の描写をわたしはみたくはない(いまはテレビやニュースサイトを開けばいくらでもそうしたものを見ることができる)。

私たちの生きている世界の一部だから、目を背けることはできないにしても、いつもは必要はないし、欲しくはない。

メンデルスゾーンの風景描写

あまりにドラマティックなヴァーグナーはわたしの日常にはそぐわない。
むしろ、どんなに激しても品位を失うことのないメンデルスゾーンの音楽がわたしの日常に相応しい。

大金持ちの子息だったメンデルスゾーンは、音楽史上最も恵まれた星の下に生まれた人物で、爪に火を点して努力していたようなベートーヴェンやヴァーグナーとは全く別の世界の人間。文明社会の発達した二十一世紀の我々の生活は、むしろメンデルスゾーンのそれに近い。

蛇口をひねれば飲み水は水道管から出てくるし、蝋燭に火を灯さなくとも、LEDの光は一晩中部屋の中を照らし出すこともできる。食べ物だって安価に手に入るし、人道的支援もある程度までは行き届いていて、コロナ感染症にかかっても外部から手助けが届いたりする。

戦場には暮らさない我々は世界的伝染病のために旅行こそできなくなったけれども、まだまだ幸福な日常を享受することができている。

そしてインターネットなどで、ここではない世界を夢見ることができる。そして欲しくなるのはヴァーチャルな観光体験。

だからメンデルスゾーン。

音によるイメージにおけるロマンティックな描写にかけてはメンデルスゾーンの右に出る作曲家はいないのでは。

ピアノ曲無言歌集の「ヴェネツィアの舟歌」を聴けば、ゴンドラの浮かぶ運河の情景が目に浮かぶ。

有名な「春の歌」の絶えず繰り返される上行する分散和音は、明るい希望に満ちた春を思い起こさせるに違いない。

歌曲「歌の翼に」は我々を遠い憧れの土地のガンジス川のほとりにまで運んでくれる。

17歳で書き上げたというシェイクスピア「夏の夜の夢」のための序曲は、幻想的な木管楽器の大活躍の様が妖精パックたちが跳ね回る様を思い起こさせずにはいられない。

しかしながら、音の風景画家の面目躍如たるこうした音楽の真骨頂は、作曲家が20歳の折の1829年のイギリス旅行から生まれた音楽。

スコットランドのメンデルスゾーン

イギリスを旅した若い作曲家は、北方のスコットランドにまで足を運ぶ。

  • 泥炭の大地。寂しげな荒野。

  • 厳しい北の海に臨む海岸線。

  • 不思議な響きのバグパイプ。

  • 「蛍の光」などの5音階のメロディの民謡。

  • エディンバラのホリドール城(エリザベス女王との確執で知られるスコットランド女王メアリースチュアートの居城)などの中世の遺跡。

これらのいろんなロマンティックなイメージがメンデルスゾーンの中で膨れ上がり、スコットランドの情景から三つの優れた音楽作品が後に書き上げられる。

作曲はイギリスからドイツ帰国後のことだが、旅行中に作曲家は数多くの絵画的スケッチを書き遺している。

英才教育を受けていたメンデルスゾーンの絵筆をとっても超一流。作曲家は素晴らしい写実的技巧を持った水彩画家でもあったのだ。

スコットランド滞在中に数多くのスケッチを書いたメンデルスゾーン
メンデルスゾーンは優れた彩色の水彩画を数多く完成させています。
これはスイスの情景。

旅することのままらなぬ我々は、メンデルスゾーンの音楽や水彩画から遠い北の地のスコットランドなどへと想いを馳せるのも良いかもしれない。

交響曲第三番「スコットランド」

三つのメンデルスゾーンによるスコットランド情景音楽で最もよく知られたものは、幻想的な憂愁のスコットランドのイメージそのものの交響曲第三番「スコットランド」作品56。

作曲されたのは1829年から1842年の間であり、長い時間を書けて書かれた作曲家にとっても思い入れの深い音楽(出版事情により第三番ですが、これが作曲家最後の交響曲。第四番と第五番は作曲家の初期の作品が改定されたのちに出版されて番号が入れ替わったのです)。

「スコットランド」交響曲は、作曲家メンデルスゾーンの生涯の最高傑作の一つ。

スコットランド交響曲の最二楽章のクラリネットソロのユニークな響きは、スコットランド由来の楽器バグパイプの響きを模している心躍る愉悦の舞曲。深い霧の中にあるかのような哀愁の第三楽章のアダージョを経て、第四楽章は勇壮なスコットランド軍が行軍してゆくような舞踏楽章。

終結部分のコーダでは、短調の響きは明るい長調へと変わり、大交響曲を明るく締めくくるのだが、この曲を愛したドイツの指揮者オットー・クレンペラーは最後のコーダを長調として明るく終わらない、悲劇として締めくくるヴァージョンを作っている。

スコットランドの長い苦難の歴史を想起するとき、暗い短調で締めくくられるヴァージョンは決して悪い発想ではない。

短調で終わるエンディングはこのようなもの。YouTubeで鑑賞可能。コーダを含めた最後の5分間の部分。

演奏会用序曲「フィンガルの洞窟」

二つ目は上記の有名な「フィンガルの洞窟」。
スコットランド北西部のヘブリディース諸島の情景を見た作曲家による音の絵で、地図上では次のようなところ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BA%E8%AB%B8%E5%B3%B6
https://aboardtheworld.com

幻想曲「スコットランド風ソナタ」

そしてピアノのための自由な形式によるソナタ風の幻想曲作品28。

スコットランドの寂しい荒野が目の前に浮かんでくるような幻想曲。

メンデルスゾーンのピアノ曲は小曲集の「無言歌」が圧倒的な知名度で、ロマン派時代屈指の変奏曲の名作「厳格な変奏曲」作品54や、この幻想曲などは一般的に知られていないのが残念。

ベートーヴェンの作品27の二つの「幻想曲風ソナタ」(二つ目はいわゆる月光ソナタ)を意識して作られた優れたピアノ曲。冒頭のアルペッジョの音形は月光ソナタの第三楽章そのものといった趣。

この曲は実際にはスコットランド旅行前に書き始められ、旅行によるさらなる霊感を得た旅行後にようやく完成(ソナタ・エコセーズとして。エコセーズとはスコットランド舞曲の名前。ベートーヴェンなどに作曲あり)。

旅行を挟んで5年の歳月を費やして作曲された幻想曲、上記の交響曲や序曲との関連性も認められていて、やはりどこかスコットランド風の音楽。

ベートーヴェンのソナタ13番同様に自由な幻想曲風なソナタ形式の音楽なので、このような副題が与えられている。もっと聴かれて欲しい、演奏されて欲しい、メンデルスゾーンの隠れたピアノのための名曲だといえるのでは。

マックス・ブルッフの「スコットランド幻想曲」

メンデルスゾーンの半世紀後に、ドイツの作曲家マックス・ブルッフ(1838-1920) は別のスコットランド幻想をヴァイオリン協奏曲仕立てにして音化。ブルッフのヴァイオリン協奏曲第三番であるとも。

音によるスコットランド観光には欠かせない名曲。

作曲家ブルッフは1779年から1780年にかけてこの曲を作曲。

スコットランド民謡が実際に曲中に用いている。詳しい解説はウィキペディアに譲ります。

美しいスコットランド民謡の引用は、音によるヴァーチャル観光にうってつけの名品。

スコットランド、一度は実際に訪れてみたいと思っています。

Palace of Holyrood


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