世界的に知られている児童文学の大傑作「不思議の国のアリス」の中で最もよく知られたセリフは何でしょうか?
古典となった名著には暗誦するに相応しい名言に溢れていることが多いのです。
時にはそうした優れた言葉があなたの座右の銘にさえなることもあります。
いや、言葉ではなく文章。
名言の良いところは文章だから。単語ではありません。
何かを覚えようとしても、単語一つを単独でいつまでも覚えておくことなんて無理です。でも文章としてならば、さらにはある文脈の中でならば、よりよく覚えていられるのです。いつまでも忘れません。
言葉は名言の中でこそ輝きを放つのです。
「不思議の国のアリス」も丸暗記するに相応しい数々の名言の宝庫… と言いたいところですが、前回紹介した教訓狂いの公爵夫人のような人物が出てきて、教訓大好きなアリスの書かれたダブルスタンダードだったヴィクトリア時代が揶揄されたりするほどなので、人生に役立つような教訓を作者は特に盛り込んだりはしていません。
作者の姿勢は「教訓なんてナンセンスだ」なのですから。
アリスの文学的価値はひとえに言葉遊びがあります。
「不思議の国のアリス」の続編の「鏡の国のアリス」には、ユニークな引用として次のような言葉があります。
やたら気弱なチェスの白のクイーンの言葉。
ありえないこと、とんでもないこと、というのはアリスの世界そのものなので、なかなか含蓄に富んだ言葉なのかもしれません。
Impossibleはある意味、アリスの物語のキーワードなので、1951年のディズニー版「不思議の国のアリス」には次のような言葉遊びの会話が登場します。
原作にはないものです。
小さくなったアリスはどうすればドアを通り抜けられるのか、ドアに尋ねると(不思議の国なのでドアも喋れます)
通り抜ける (Pass) こと (-able) はできない (Im) ので、Impassible。
通常、この言葉は「無痛の、無感覚の」という医学用語ですが、そんな言葉は子供は普通は使わないので、アリスは知らないし、こんな造語があってもかまわなそうです。
無理やりこの場では、Im-passible 「通れない」という意味にしています。Imはもちろん、否定の接頭辞。否定の接頭辞には、In, ir, il, un, um, a などいろいろありますが。
Impassibleという造語を導いて、ここからNothing's impossibleというシャレにつなげているのです。
ルイス・キャロル風なありそうなディズニーの素敵なアドリブですね。
2010年のティム・バートン監督の「不思議の国のアリス」でも、婚約者を前にしてアリスは、亡くなったお父さんの話として、アリス自身が原作の白のクイーンのセリフを少し変えて語ります。
この映画はアリスが大人になって不思議の国へ帰るという物語なので、オマージュとして見ればとても楽しく出来ています。原作よりもすっとダークですが。原作を知っているとますます面白い。そうでなければわからないかも。
また映画後半、物語を締めくくる場面でキーワードとして再び出てくるのです。映画は「鏡の国のアリス」の作者自慢の創作詩が物語の革新となりますので、また次に語ります。
不思議の国のアリス」の最も知られた名言
ルイスキャロルの誰もが知る最高の名言はやはり次のこれでしょうか。迷言かもしれませんが、これを知らない英語ネイティブはあまりいないのでは
英語世界ではこの言葉を聞くと、誰もがアリスを思い出します。それくらいに広く知られている言葉。
シェイクスピアの長大な史劇「ヘンリー六世」の中で、捕らわれたヨーク公リチャード・プランタジネットは宿敵マーガレット女王に次の有名なセリフで罵ります。
そしてリチャードの悪態を聞き終えた後、女王は次の言葉を放ってリチャードにとどめを刺すのです。
中世イギリス史を紐解くと、本当にたくさんの人の首が斬られ、処刑執行人はこの言葉を合図として、メアリー・スチュアートやヘンリー8世王妃キャサリン・ブーリンなどの王侯たちの首を切ってきたと言われています。
ですが、この言葉が人口に膾炙するようになったのは、「不思議の国のアリス」が1865年の出版時にベストセラーとなってからのことです。
Off with her head はハートの女王の言葉として広く知られています。
揶揄ったり、悪戯をした仲の良い相手に、ふざけてこの言葉を使うといいですね。
Off with her head!「こやつの首を切れ!」
前々からこのセリフ、気に掛かっていたのは、文法的にどこか変だということ。
Off という言葉はもちろん英語の日常語ですが、品詞的には何でしょうか。
独立節や動詞に伴われる前置詞 Preposition
前置詞として、動詞と一緒に使用されて、
Put off
Take off
Go off
Get off
として使われます。
Off the road「道から外れて」やoff campus 「大学の外で」も前置詞としてのOff。
述語説を作り、名詞を形容する形容詞 Adjective
またBe動詞とともに使われるならば、普通は形容詞。
名詞の前について形容することも
動詞を補助する副詞 Adverb
副詞としても
では Off with his head の場合は?
動詞のOff
Cut off his head という形ならばきわめて普通の命令形ですが、動詞 Cutが省略されているとすれば不自然です。
Off his head は彼の頭から離れてという意味で、動作は伴わないのです。
そこで英語学の権威オックスフォード辞典を調べてみると、やはり書かれていました。
Offは動詞にもなるのです。
語源的には形容詞から派生したそうですが、Off withはユーモアある言い回しという注釈がついています。例文は「不思議の国のアリス」第八章の女王の言葉。
さて女王が何度、Off with... という言葉を使うか数えて見ると、合計で十回。登場するたびに口にしているので、本当に口癖です。
スザンヌ・ヴェガの「兵士と女王」
ここまで女王様の「首を切れ」という口癖について書きながら、ある古い歌を思い出しました。
「英語詩の言葉遊び」と題した投稿なので紹介しておきます。
この歌の女王が最後に命じた言葉はきっと
銃殺だとしても、どこか古風に目に涙を湛えながら
処刑執行人は理解したはずです。
孤独な女王はアリスの中の誰も愛していない誰にも愛されない女王と同じ。
スザンヌの歌もアリスの世界から生まれた歌だったのかもしれません。
詩の言葉は単純ながら、キチンと韻を踏んだ正統な英語の言葉。シンガーソングライターとして知られたスザンヌらしい詩。
1990年代にアコギ一本で弾き語る彼女の世界に引き込まれて以来、忘れられない曲です。
この曲が書かれた後に生まれた若い人たちにも聴いてほしい曲ですね。わたしが初めての海外留学を前にした高校生の頃に大好きでした。
韻を踏んでいる部分を太字にしておきます。
シェイクスピアが好きだった Iambic 弱強歩格のバラード。五歩格ではないですが。
平易な言葉だけで綴られていますが、文学的にも良い詩です。小さなドラマ。感動とは少し違うけれども、いつまでも忘れられない物語
Off with his head の真意は、もしかしたら「泣いて馬謖を斬る」なのかもしれませんね。言葉とは文脈の中で輝きを変えてゆくのです。