アニメになった児童文学から見えてくる世界<20>:トラップ一家合唱団を世に出した名ソプラノ
世界名作劇場第17作目の「トラップ一家物語」を一週間かけて全40話を鑑賞しました。
ブロードウェイミュージカル「サウンドオブミュージック」の原作に基づいて作られたアニメ作品。映画にもなったアメリカ版ミュージカルは、トラップ一家合唱団が歌わなかった、新しいオリジナルな歌に溢れた傑作ミュージカルでした。
わたしはオリジナル版ミュージカル(英語)を舞台でも見たこともあります。
映画で歌われるナンバーのほとんどを暗誦していて、英語で歌えてしまうくらいに大好きだからです。
日本の学校の音楽の授業で「ドレミの歌」や「エーデルワイス」を習いましたよね。きっと誰もがご存知の名作映画。
でも映画版は細部においては数多くの改変が成されているフィクションであるとはあまり知られてはいないのでは。
1991年の世界名作劇場版。
テレビでの初放送の頃には「ドレミの歌」が主題歌だったそうです。映画版「サウンド・オブ・ミュージック」の最も有名な歌。
でも高額な著作権料の問題で、再放送やDVDにおける主題歌は、ミュージカルに依らない新しい歌に取り替えられたのでした。
新しい歌もソプラノソロによる素晴らしい名曲で、むしろこちらの方がアニメには絶対に相応しい。
あまりにミュージカル映画が有名なために、
と鑑賞することに二の足を踏んでいたのですが、見てよかったです。
アニメはマリア・フォン・トラップさんの書かれた自伝により忠実なのです。どれほどにミュージカル映画版が実話とは異なるものであるのかをよく理解できました。
ここでは、アニメ版と映画版の何が違うのかを考えてみて、アニメ版で学んだ、トラップ一家合唱団の誕生を後押しした、世界的ソプラノのロッテ・レーマンについて語りたいと思います。
ミュージカル映画版とは異なる、原作に忠実なアニメ
ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」はどなたもご存知ですよね。1964年にハリウッド映画版がジュリー・アンドリュース主演で製作されて以来、世界で最も愛されている家族映画と言っても過言ではない作品。
わたしも何度も見て聴いて、ほとんどの歌を諳んじています。
「私のお気に入り My Favorite Things」は、英語が下手な頃に英語の発音の練習に何度も歌っていました。今では普通に歌えますが、音楽的にほんとに英語らしいアクセントであふれていて、キチンとした英語のアクセントで発音できないと、うまく三拍子の調べに言葉が乗らないのです。
日本語でも舞台で上演されます。ですので、平原綾香さんによる素敵な日本語版の録音があります。
英語の歌詞を見事に日本語に移し替えた、なかなかの名訳だと思います。
「犬にかまれるWhen the dog bites」や「蜂に刺されるThe bee stings」はそのまま翻訳されていませんが、この日本語版、気に入りました。
演奏も、ジャズの巨人コルトレーンの名演奏を彷彿とさせる素晴らしい歌唱に楽器演奏者らによるバックアップ。コルトレーンが自身の演奏する音楽の主題として取り上げて以来、もはやこの曲はジャズスタンダードなのです。
ジャズの演奏はデイヴ・ブルーベック版はどうでしょうか。ビル・エヴァンズ版とは違う味わいがありますよね。
オリジナルの英語版のジャズ歌唱は、哀愁漂うジャズの大御所サラヴォーンの歌唱はいかがでしょうか。ミュージカル映画の清純なジュリー・アンドリュースの歌声とは全然別の世界です。
こうしていろんなアーティストによって演奏される音楽はクラシック。
こういう演奏聴き比べが好きなので、わたしは何十年もクラシック音楽を聴き続けています。
「サウンドオブミュージック」は20世紀の古典です。
ドイツオペラの名歌「ロッテ・レーマン」
映画版がどれほどにマリアさんの書かれた原作と違うかに関しては、検証サイトやブログもありますし、生前のアメリカ移住後のマリアさんがジュリー・アンドリュースと一緒にテレビ出演して一緒にヨーデルを歌うなどした番組などの動画も鑑賞可能です(日本語字幕はありません)。
ミュージカル映画版は、ハリウッドらしくドラマチックに一般けする内容へと変更されているのです(修道院出身のマリアさんの話なのに、宗教的な部分がほとんど出てきません)。
トラップ合唱団を指導指揮したヴェスナー神父などは全く登場しないし。
神父様の指導によって生まれたトラップ家族合唱団が世間に知られるようになったのは、全財産を預けていた銀行の倒産により一文無しになったトラップ一家が路頭に迷ったがためです。
一文なしのトラップ家。家は残ったので、マリアさんの発案によって、大邸宅をカトリック学生のための宿泊施設として生計を立てるようになるのです (映画にはこういう経緯は一切書かれていません)。そうして空き家を貸し出していたところに大歌手のロッテ・レーマンが泊まりに来るのです。
トラップ一家の住んでいるザルツブルクとは、大作曲家モーツァルトの故郷。
モーツァルトを記念する、現代にも続いているザルツブルク音楽祭に出演するために、レーマンはザルツブルクを訪れたのでした。
レーマンがどれほどすごい歌手か、有名な戦前のシューベルトの録音から偲ぶことが出来るでしょうか。
ここでは、トラップ合唱団も得意とした「菩提樹」をとうぞ。レーマンによる1930年代に録音された「冬の旅」はわたしの愛聴盤です。
12:08より第五曲目の「菩提樹 Der Lindenbaum (リンデの木)」。上の動画はその部分から始まります。
ロッテ・レーマンはアニメにも登場して、トラップ合唱団をザルツブルク音楽祭に招待するのです。トラップ合唱団が世に知られるようになったのは、ザルツブルク音楽祭を通じてだったのです。
トラップ合唱団のレパートリーは神父さまと修道女見習いだったマリアさんとの選曲のために聖歌が多かったのですが、オーストリア庶民に愛されていた民謡やウィーン生まれでウィーンに没したオーストリアの誇りであるフランツ・シューベルトなども含まれていました。
「サウンド・オブ・ミュージック」のようなポップな音楽を当時、彼らが歌うことはなかったのです。これが史実です。
ミュージカルの楽曲は、アメリカのオスカー・ハマースタイン二世による作詞、リチャード・ロジャーズによる作曲です。
トラップ一家の歌
アニメ版では懐かしい歌をたくさん味わえました。
文語調の日本語によるシューベルトの野薔薇や菩提樹に子守唄。そしてシューベルトではありませんが、学生時代にドイツ語歌詞をカタカナで歌った「別れの唄」。
ムシデン、ムシデン、ツムシュテッテリアスって意味もわからずに歌っていたあの歌。ドイツ語を学んだ今はこんな意味だったのかと感慨深いものです。
この歌を日本の公立中学校の音楽の時間にカタカナで歌ったのです。
もちろんドイツ語は英語同様に、母音をつけないで子音を発生して強拍のある言語。こんなカタカナ歌唱は今となってはあんまりと思えますが、昭和の昔にはハイキングやキャンプで歌われた、あの頃の日本になくてはならない歌でした。
トラップ一家は
なんて歌わないで、「ムシデン、ムシデン」と歌っていたのです。
この歌はドイツ南西部のオーストリアと国境を接しているシュヴァーベン地方の民謡。ザルツブルクのトラップ合唱団はこの歌に深く親しんでいたはずです。
オーストリア民謡のこの歌ももちろん何度もアニメに登場しました。
下の動画はオーストリアの子供たちの歌、トラップ合唱団を彷彿とさせて微笑ましい。
日本語版はキャンプの歌ですね。
アニメ劇中のシューベルト歌曲
トラップ合唱団のお得意の歌にはシューベルトもたくさんありました。
ドイツ語の歌詞を英語に置き換えると、たとえ音節的に正しくてもどうしても違和感があります。でも日本語を母語とするからでしょうか。日本語の文語で歌われるシューベルトは大好きです。
大正時代から昭和の初期にドイツの歌は日本語に文語調で訳されて人口に膾炙しましたが、35歳で早世した近藤朔風 (1880-1915)の詩には格調の高さと同じくらいに音楽への愛が深く溢れているように思えます。
「童は見たり」の野薔薇もまた、朔風の訳詩です。
Ein Knabeは古語なので、英語のようにChildやBoyだと、ゲーテの詩の素晴らしさは伝わりません。日本語は、英語よりもドイツ語と相性がいいとわたしは思います。
トラップ合唱団はオーストリアを併合したナチスより危機一髪で逃れて(映画版とは全く違った風に) アルプスを超えてイタリアへゆき、そしてスイス経由でアメリカに渡ります。
そこでアニメもミュージカル映画もハッピーエンドなのですが、史実では難民ゆえにビザが数ヶ月分しか与えられず、再びヨーロッパに舞い戻り、第二次対戦中は難民として、いろんな国を歌うことで生計を立てて、不安な時代にいろんなところを放浪していたのでした。
アメリカではヨーロッパの聖歌や民謡は文化的に受け入れられず、大変に苦労して苦難の道は続き、ようやくビザを得てアメリカに安住するも、マリアは夫のゲオルグを失くし、経済的困窮の中で自伝を書いて評判になるも、映画会社に映像化の権利を安く手離したのでした。
映画は評判になりました。続編まで作られるくらいに。日本語で「菩提樹」、「続・菩提樹」として知られる映画です。
その後、映画はミュージカルとして生まれ変わり、世界的な大ヒットとなりますが、映画化の権利を二束三文で売り渡してしまっていたトラップ一家は「サウンドオブミュージック」の商業的利益を全く得ることができなかったのです。
有名にはなれたので、のちに立派なスキーリゾートを建てて人気となり、今日に至っていますが。
アニメ版の素晴らしさは本当のトラップに出会えること
アニメ版に描かれるのは、ヨーロッパからアメリカに渡るまで。でもそこにマリアさんがトラップ家の母親になる過程が丁寧に描かれています。
アニメ版の魅力は主人公マリアのキャラクターの素晴らしい造形。
美しい精神を持つ彼女は最初は家庭教師のマリアを拒みますが、次第にその明るく裏表のない誠実な人柄に感化されて変わってゆくのです。
ミュージカル版とは異なり、最初からトラップ大佐は優しくて素晴らしい人格者です。映画でのように冷たい人柄がだんだん温厚になっていったわけではなかったのです。
ハリウッド版は本当にアメリカナイズされた作品。名作ですが、実話とは程遠いもの。こういう事実を知ることはミュージカル映画ファンには少し残念かもしれませんが。
本当のトラップ一家をお知りになられたいならば、アニメ版が一番です。もちろん、いろいろ原作よりも設定が変えられていますが(兄弟たちの順序が異なります)、アニメ版では家族の一人一人により親しく出会えるのです。
シューベルトやムシデンの歌の世界こそが本当のトラップ一家なのです。
アニメに登場した、実在するザルツブルクのトラップ家は、アニメそのもの。
ザルツブルクを訪れた方の撮られた動画を見て嬉しくなりました。
コメント欄に英語で「トラップ一家物語」は素晴らしいと書かれているコメントを見つけました。そっくりなのに気がついたのですね。
お屋敷のことです。
アニメを見られた方は次の動画を楽しまれるはすです。いつか行ってみたいものです。
現在は観光名所として公開されています。